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中川右介 『萩尾望都 と 竹宮惠子 大泉サロンの 少女マンガ革命 』 : 大泉サロンの 〈楽園喪失〉

書評:中川右介『萩尾望都と竹宮惠子 大泉サロンの少女マンガ革命 』(幻冬舎新書)

(※ 本稿は、2020年4月19日に「Amazon」のカスタマーレビューとして投稿され、それ以来、本日2021年10月13日現在までの約1年半の間に、実に88回の削除をされ、そのたびに再アップしたものです。Amazonの方では、削除の記録を末尾に追加して残して、参照可能の状態ですので、こちらではカットいたしました)

————(以下、レビュー本文)————

 〈大泉サロンの楽園喪失〉

拙レビューに先行する、本書についてレビュー3本は、「星1つ」が2人、「星2つ」が1人と、きわめて厳しい評価を下すものとなっているが、本書は決してそんな評価を受けるようなものではない。
そう断言して、以下にその論証を試みよう。

前記3人のレビュアーの「否定的評価」とは、本書が「資料(を並べたもの)でしかない」とか「オリジナリティに欠ける」といった趣旨のものだが、この批判は、およそ本書の「意図」と「成果」を正しく理解し得ないところに発した、的外れな評価でしかない。

まず「資料(を並べたもの)でしかない」という批判だが、これはたぶん、批判的レビュアーたちが、萩尾望都や竹宮惠子のファンであり、たいがいの周辺情報は知っているための、「そんなの知ってるよ」という類いの不満であろう。

しかし、著者のねらいは、そういう「コアなファン(マニア的なファン・信者的なファン)」を喜ばせるところにはなく、萩尾望都と竹宮惠子を中心とした「大泉サロン」が、日本のマンガ史において果たした革命的な意味を、広く紹介することで、日本のマンガ史にしっかりと位置づけようとするものであり、決して「マニアによるカルト的囲い込み」に安住するものではなかった。
だからこそ、本書では「大泉サロン」にいたるまでの日本のマンガ史(大泉サロン前史)が、手塚治虫による戦後のマンガ革命を基点として、「トキワ荘」に集ったポスト手塚世代のマンガ家たち、中でも竹宮惠子に多大な影響を与えた石ノ森章太郎、あるいは『ガロ』と『COM』といった重要マンガ誌の意味などを、時系列に沿って丁寧に説き起こすことで、紹介されているのだ。
要は、「大泉サロン」は、そうした「歴史」のなかで生まれてきたものであって、そこ(大泉サロン)だけが独立した問題なのではない、ということなのだ。だからこそ、おのずと「歴史」を語らざるを得なかったのである。

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しかし、そのあたりの「周辺情報」は、マニアには「常識」に類することだし、オタクはそもそもそのような「周辺情報」に興味が薄い(興味は、対象そのものにだけ向いて、ジャンルや歴史自体には興味がない)。
その結果、本書の「丁寧に歴史を辿る」記述が、「資料」呼ばわりされることなったのである。

「オリジナリティーに欠ける」という評価もまた、こうした「マニアあるいはオタク的な心性」に発するものだと言えよう。要は、彼(彼女)らは、萩尾や竹宮に関する「新情報」による、新たな「感動」だけがほしかったのだ。

こうした「カルト的囲い込み」をしたがるマニアが欲するものとは、自分たちの「萩尾望都像」なり「竹宮惠子像」なりを追認した上で、それを強化するかたちで「感動」させてくれるようなものでしかなく、そこには発展的な「社会性」が大きく欠如しているために、「歴史的位置づけ」などというものへの興味はきわめて薄い、ということになる。結局、彼らにとっての萩尾や竹宮は、自分個人の「感動消費ための具」でしかないのである。
だからこそ、本質的に、本書著者のような「批評」的な書き方が理解できないのだ。

しかしながら、本書は「資料的研究のための資料的研究」に終わるものではないし、その意味において「批評的オリジナリティ」も持っている。
それは、レビュアーの「カトカエル」氏が『まあ、解釈は人の数だけあるので自由ですが、健在の作家に対する妄想妄言は控えた方がよろしいかという感を抱きました。』と書いている点にも明らかだろう。

本書著者は、あきらかに前例を越えて、萩尾や竹宮の「内面」に踏み込んでいる。当然、そこが本書の「オリジナリティ」となるわけだが、それが「カルト的囲い込み」をしたがるマニアには嫌がられた、ということである。

内心でそれぞれに「ナンバーワン読者」を自認するマニアたちは、彼ら「信者」にとっての「神(作家)」を、勝手に「解釈」してもらっては困るのだ。
解釈権は、誰よりも「神」に従順な「信者」たる者にしかない。「批評家」が勝手な「読み」を示すことは、一種の「門外漢による神聖冒瀆」だ、と感じられたのである。
しかし、「批評」というものは、そういう「信者的思い込み」を打ち砕くためにもある、というのは言うまでもない。

「カトカエル」氏は『健在の作家に対する妄想妄言は控えた方がよろしい』と言うが、これは裏を返せば「死んだ作家についてなら、どんな評価を語ろうと、どうぞご自由に」ということになるのだが、言うまでもなく「批評」というのは、生者にも死者にも「公平」になされるものであって、「生者だから、解釈を示してはいけない(遠慮しなければならない、忖度されるべきである)」というようなことでは、当然ない。

では、なぜ『健在の作家に対する妄想妄言は控えた方がよろしい』などと「的外れ」なこと言ったのかといえば、それは「ひとまず、よそ者が、私の神に口出しをするな」ということでしかない、ということだ。
だが、さすがにそんな「わがまま」が世間では通らないことくらいはわかっているので、「生者のプライバシー」ということを持ち出して、それで自身の本音(ケチな了見)を糊塗しようとしたのであろう。

しかし、批評家が作家の内面を「作品などを通して、創造的に解釈をし、それを語る」というのは、当たり前に認められた行為であり、批評家が、誰かの「神」を「仏」だと評価しようが「人間」だと評価しようが、それこそ文句を言われる筋合いの話ではないのである。
「解釈をされたくない」「語られたくない」というのは、汚職政治家がマスコミを嫌うのと同様の、「利権独占」的な心理に発する、所詮は「筋違いの難癖」でしかない。

では、本書の著者が語った、「カトカエル」氏言うところの『健在の作家に対する妄想妄言』、つまり、萩尾望都や竹宮惠子についての「オリジナルな批評的内面解釈」とは、いったいどのようなものなのか。

それは、萩尾望都、竹宮惠子、増山法恵という三人の内面に秘められた「夢と友情と愛情の相剋」の「物語」である。

つまり、著者は、まず竹宮の作品から、ある時期の竹宮の増山に対する「強い執着」を剔抉し、そして本書のラストでは、それまで「冷静で知的」というイメージの先行していた萩尾もまた持っていた「強い執着」感情を、その作品の解釈を通じて示し、三人の「美しい楽園喪失」を描いてみせたのである。

『一九七〇年。学生運動が終焉へと向かうなか、少女マンガの変革を目指した女性たちが東京練馬区の二軒長屋にいた。中心は萩尾望都と竹宮惠子。後に「大泉サロン」と呼ばれ、マンガ家のタマゴたちが集ったこの場所で、二人は互いに刺激を受け合い、これまでタブーとされた少年愛やSFといった分野で先鋭的な作品を次々生み出し、少女に熱く支持される。だがその軌跡は決して平坦ではなかった――。『ポーの一族』『風と木の詩』等、名作誕生のプロセスを追いながら、二人の苦悩と友情、瓦解のドラマを描く意欲作。』(本書カバー背面の紹介文)

問題は、この『二人の苦悩と友情、瓦解のドラマを描く』という部分だ。

「神解釈」を独占したい「信者」たちにとっては、「よそ者」が「神」の内面に踏み込む行為は、許しがたいものと感じられた。だから彼らは、本書の著者を「異端者(正統ではない神理解を語る者)」として、口をきわめて断罪し、「焚刑」に処そうとしたのである。
だがそれは、本当の意味での「神への愛」ではない。それは単なる「エゴイズム(利己主義)」でしかないのだ。

 ○ ○ ○

著者は、竹宮が「大泉サロンの解散」を決める時期の作品である「ホットミルクはいかが?」から、次のような「隠されたメッセージ」を読み込んでみせる。

『 ベルミーナを増山法恵、マーティンを竹宮惠子に置き換えれば、当時の竹宮の置かれている状況と似ていることが分かる。ウソをつけず、ずけずけと批判する増山。その辛辣で的確な評に、竹宮は何度も泣かされた。それでも竹宮には増山が必要だった。彼女の賛辞が欲しい。
 増山は、もともと萩尾望都の友だちだ。萩尾に紹介され、竹宮と増山の交流は始まった。萩尾にとっても増山は大事な友だちだった。しかし、大泉サロン解散後、増山は竹宮と暮らす。萩尾が身を引いたのか 一一 萩尾が描いた作品なら、そう解釈できる。しかし、描いたのは竹宮だ。竹宮は、萩尾がこれを読むことを分かっている。増山と萩尾に対し、自分には増山が必要なのだと伝えたかったのではないか。』(P270)

ここで紹介されているとおり、増山法恵は「少女マンガ革命」を起こすべく、新たな「トキワ荘」たる「大泉サロン」を設立して、そこに竹宮と萩尾を呼び寄せ、三人の共闘が始まった。
しかし、新人マンガ家としては萩尾に一歩リードしていたはずの竹宮は、やがて萩尾のマイペースを崩さない活躍に焦りを感じはじめ、長いスランプに陥る。そして、このままではいらない(萩尾のそばにはいられない)と「大泉サロン」の解散を決意し、それを萩尾に伝え、萩尾はそれを黙って受け入れるのだが、その時に、竹宮の望んだ「暗黙の付帯条件」が、上記の「増山を譲ってくれ」という思いだったのではないかと、本書著者は解釈した。

その後、萩尾は、新時代を画する独創的な人気作家として着実に地歩を固め、それに遅れて竹宮惠子も「何でも描ける器用な売れっ子作家」から「少年愛の世界を切り開いた独創的作家」へと変貌を遂げて、大家となる。
萩尾と竹宮の二人は、増山の望んだとおりの「少女マンガ革命」を成し遂げ、日本のマンガ界に新しい時代を切り開いたのだ。

だが、「大泉サロン」を去った後、竹宮と一定の距離を置いていたと見える萩尾望都の内面とは、どういったものだったのだろうか。
知的で冷静沈着な萩尾は、はたして竹宮の「距離をおきたい」という申し出と、増山の独占について、どのような思いを抱いていたのか。
その点を、著者は本書のエピローグで、萩尾の作品「十年目の鞠絵」を読み解くことにより、次のように示してみせた。

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『 この女性「まりえ」を「ますやまのりえ」に重ねると、この作品は男二人と女一人の物語に見せかけて、大泉サロン解体への萩尾の心情を吐露したものだと思えてくる。
 物語を続ければ 一一 津川と鞠絵は最初はうまくいっていたが、津川はスランプに陥り絵が描けなくなってしまう。そんな彼に鞠絵は献身的に尽くすのだが、それゆえに夫婦関係はうまくいかず、別れ話まで出ていた。そして彼女は死んでしまった。
 そんな話を聞いて島田は「おまえたちは相思相愛で結婚したんじゃないか!」と涙を流す。二人が消えた時はびっくりしたが、忘れようとしていたのに、と。
 津川は打ち明けた。突然、二人が消えたのは「おまえがこわかったんだ」と。鞠絵が島田と結婚したら十倍も充実した人生を歩むだろうと思ったから、彼女をさらって逃げたのだと。島田は、すべてにおいて津川のほうが自分より勝っていると思っていたが、津川はそう思っていなかった。
 帰路、島田は思う。鞠絵が自分と結婚していたら、自分たちは少しは幸福になっていただろうか、と。そうなったら津川はどうしただろう。島田は津川のもとへ引き返した。
 そして「こんど個展開くんだ。」「見にきてくれナ。」と伝え、こう投げかける。「どうして三人でいられなかったんだろう。オレはずっと三人でいたかったよ。もう二度とあんな時期はないよな。」
 津川は静かに言う。「オレたち、若かったよな……あれぐらい対等だった時期はないよな……」
 大多数の読者は、『十年目の鞠絵』を切ない青春物語として読むだろう。それでいいし、そういう物語として、完璧だ。だが、萩尾は少なくとも山本(※ 良き理解者だった編集者の山本順也)には自分の思いを伝えたかったのではないだろうか。
 最後のページ 一一 若き日の津川と島田が、鞠絵をはさんで楽しそうにしているイメージシーンに、モノローグがかぶさる。
「あらゆる可能性/あらゆる奇跡/手を握り合い/完全な円を構成していた
 そしてその円は/外宇宙に向かって/無限に広がっていた」

 大泉の古い二軒長屋を中心として、無限に広がるはずの円は崩れた。
 しかし 一一 円ではなくなったが、二人がそれぞれの道を歩んだことで、少女マンガ革命は戦線が拡大し、変化は加速し、増山法恵が二十年かかると思っていた革命を、二人は十年もかけずに達成した 一一 そう思いたい。』(P339~341)

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この見事な「ラストシーン」を、なぜ萩尾や竹宮の「信者」たちは、認められなかったのか。この「解釈」の存在自体を、なぜ憎んだのだろう。

それは、本書の著者が『大多数の読者は、『十年目の鞠絵』を切ない青春物語として読むだろう。それでいい』と書いているとおり、自分たちが、本書著者を含む「四人」から「置去りにされた」と感じたからだ。
自分たちの大切な萩尾や竹宮を、横から「かっさらわれた」と感じ、本書著者に「嫉妬」したのである。

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無論、本書における著者のこの「解釈」が、正しいかどうかなど、誰にもわからない。
深層心理分析の結果が正しいか否かを、患者自身も正しく判断ができないのと同様に、本書著者のこの「解釈」の正しさは、竹宮惠子や萩尾望都自身にも「客観的に正しく」評価することはできないだろう。ましてや「いちファン」においてをや、である。

ただし、たしかに言えることは、この「解釈」は、萩尾や竹宮の熱心な読者に「嫉妬心」を起こさせるほどの「説得力を持っていた」ということだ。
その意味で本書は、「大泉サロンの少女マンガ革命」の歴史的位置づけという大テーマを掲げながらも、やはり優れた「作家論」となっていたのである。

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初出:2020年4月19日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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