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脳みそジャーニー【6】 夫と二人、ガンの告知を受ける。

後日、夫と二人で医師のもとを訪ねると、開口一番、「残念ながら悪性でした」と言われました。半分は覚悟していましたが、半分は「良性でしたよ」と言ってもらえるのではないかと期待して、良性であった場合の質問事項も用意していました。

医師が、モニターに私の診断結果を映しながら、次々と状況を説明してきます。

数分前まで、私は健康だったのに。
今、私は、ガン患者になっている。
(……しっかりしなくちゃ!)


自分を鼓舞するも、衝撃が大きすぎて、言葉が頭に入ってきません。となりでは、夫が気丈な態度であれこれと質問を投げかけています。
私は混乱しながらも、あらかじめ用意していたメモ帳に、医師の説明を必死で書き留めました。

ガン細胞の種類が「グレード3」という「もっともタチの悪いタイプ」であること。そして、通常14~29%の間で示されるガンの増殖スピードが、私は70パーセント。

70パーセントって、なに? 
そんなぶっちぎりの数値って、存在するの?

母の乳がん罹患の際に、猛勉強した乳がんに関する知識。
「母の乳がんが、こういうタイプじゃなくてよかった」と思っていた、まさにそのタイプそのものが、私に降りかかっているのでした。
 
私、死ぬの?
ねえ、私、死ぬの?
一体、何が起きているの?
これは現実なの?

 
医師が、現時点で転移はないだろうと言います。
(……でも、そんなの、わかんないじゃん……良性だって言われてたものが、悪性なくらいなんだからさ……転移してたっておかしくないじゃん……だってグレード3だよ、70%だよ……?)。

 30分ほどの説明の後、診察室を出ると、すぐに手術に耐えうる身体かどうかの検査が待ち受けていました。夫とともに病院のあちこちを移動しながら、肺活量や心拍数の検査を、半ば放心状態で受け続けました。
 
その後、入院病棟に移動し、ロビーに母を呼び出すと、点滴袋を下げた母が弱弱しい様子でやってきました。

乳がんであることを伝えると、母が「どうして、どうして」と子供みたいに泣き崩れました。自分のガンは比較的平然と受け止めてきた母ですが、この時期の、娘のガン罹患にはさすがに衝撃を受けたようでした。

私が何かを言葉にすれば、まともに話せなくなってしまうので、夫にほとんどすべてのことを説明してもらいました。現時点で判っている私のガン細胞は、非常にタチの悪いタイプであり、母の罹患した乳がんとは種類が違います。しかし夫は、そこらへんをうまくぼかして説明していました。

母が夫の言葉にじっと耳を傾けた後、つぶやきました。
「……事実は、小説より奇なり……ね」
 母らしい言葉と、大きなため息に、私も夫も何も言えずに黙り込みました。
「……お父さんには言えないわね……ショックを受けるわ……」
 妻の乳がん、食道がんに続いて、娘までもがガンになったと知れば、確かに父も動揺するでしょう。
「……あなたも大変ね……よろしくね……」
 夫が、かつての交際相手をガンで失っていることを知っている母は、夫の悲しみに想像が及んだようでした。
 
しばらく母と過ごしてから、夫と二人、家に帰りました。
体が泥のように重たく、疲れ切っていました。

帰ってから着ている服を脱ぎ捨て、布団に横になって、ただただ茫然と天井を見上げました。

大変なことになった……どうしよう……。
悪性のガンが、今もこのカラダの中で増殖しているの……?
自分のカラダに、そんな恐ろしいモノが存在すること、そしてこのカラダから絶対に逃れられないことを思うと、絶望的な気持ちが襲ってきます。

怖い……怖すぎる……。
私は胸のしこりを確認することさえ怖くなり、右胸には二度と触れられなくなりました。
 
母の遺伝子をしっかり受け継いでいた私。
母の母、私の祖母も乳がんを経験しています。
私もいつか乳がんになるのだろうかと、考えたこともありました。

……いや、大丈夫。
ならない可能性も十分あるよね?
みんながみんな、なるわけじゃないもんね。
 
……しかしそれは、想像以上に早く、最悪のタイミングでやってきたのでした。
 
数日前、まだ私のガンが「良性かもしれない」と希望を抱いていたときのことです。

「運命論的にあり得ない」と、夫にしては珍しくロジックに欠いた発言をしました。当時の恋人が30代でガンで亡くなり、その後の妻が40代でガンになる……そして死ぬかもしれない。

そんな理不尽なこと、あってたまるかよと。
自分のパートナーを失う経験なんて、誰だって、一度きりで十分に決まっています。
 
私が、夫を看取る。
私は、絶対にガンになどならない。
なってはならない。

 
そう思って暮らしてきた私は、ガンなどの医療保険には一切入らない選択をしてきました。
その代わりに、老後に備えるべくiDeCoに加入したのでした。原則60歳まで運用をやめることのできない投資運用。行動力のない自分にしては、頑張って資産運用について学び、実際に運用し始めた自分を誇らしく思っていたのでした。
 
ポストを除くと、iDeCoの通知が届いていました。
加入して、ちょうど1年。今年の掛け金についてのお知らせです。
夫が自営業であるために将来の年金は少ないし、貯蓄も足りていないことをずっと不安に思ってきました。
だからこそ、私なりに考えてiDeCoに入ったのに……。

(心配していた老後なんて、あんたには来ないよ?)

そんな風にあざ笑う声が聞こえて、頭を殴られたような気がしました。

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