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【短編】『旋律の響き』(後編)

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旋律の響き(後編)


※この作品内には、一部性的な描写が含まれます。

 私は彼女の思惑にのってやると言わんばかりにすぐに身に纏っているものを脱ぎ捨てた。毛布の中に入ると、酔っているためか彼女の体が暖かく感じた。彼女は私の下敷きになりただ私を見つめるだけで何も言わなかった。しばらく互いに動きを合わせていると、私は発情して彼女に言葉を投げかけていた。

「君が欲しい」

しかし彼女は興奮する様子もなく、ただ先ほどと同じ眼差しで私を見つめた。

「何かいったらどうだ?」

彼女は私の言葉に少々申し訳なさを感じたのか、何度か瞬きをしてから呟いた。

「私でいいんですか?」

「ああ、君じゃなきゃ嫌なんだ」

暗闇の中、再び彼女は黙り込んで、しばらく互いの皮膚が擦れる音と彼女の激しい吐息の音だけが部屋に響いていた。すると、彼女の口元がそっと動いた。

「嬉しいです」

「よかった」

彼女には感謝していた。ここ最近ひたすらプロの音楽家の面倒を見ていたばかりに女性関係を持つ時間は一切なかったのだ。こんなことを求めて彼女に会ったわけではなく、むしろ彼女の悩みを聞くふりをして彼女の内情を深く知るためにグラスを交わしたが、案外自分も肉体関係を深層では求めていたのかもしれないとも思った。

 それからのこと私は頻繁に彼女を自宅へと招いた。毎度外からハイヒールの音がするとすぐに玄関のドアが開き彼女が姿を見せた。彼女は未だ飲食店のバイトを続けているようで、いつもその帰りに私の自宅に来た。彼女の横で寝ていると、自分がかつて彼女の演奏に惹かれていたことに対する感情は消え去り、ただ女性として自分を好きでいてくれることに安心感を覚えた。彼女は私に会っても一切ピアニストを辞めてからのことについては語らなかった。そして私も同様にそのことについて触れることは彼女を傷つけてしまうと、口にすることを控えた。

 ある朝目を覚ますと、彼女は私に背を向けて昔弾いていたピアノの曲を口ずさんでいた。私は寝ているふりをしてそのまま彼女の背後でそれを聴いていると、なんだか居心地が悪くなりわざと彼女から遠ざかるように寝返りをうった。すると彼女は私のことに気づいては口ずさむのをやめて、私の方に振り返り背中に胸を当て腹下に腕を回した。彼女の腕は冷たかった。私は目を開けて彼女の指先を覗くと、昔よくステージ裏から眺めていた時のようにシワひとつなく綺麗なままだった。突然私は妙なことを思いついた。私は、彼女にもう一度ピアノを弾いてみないかと提案するのはどうかと思ったのだ。彼女との関係が始まってからのこと、特に直接言うわけではないが、彼女にピアニストの仕事に復帰してほしいと思う気持ちは少なからず芽生えていた。そうすれば彼女が隠れて行うアダルトビデオの仕事だってもうする必要がなくなるのだ。しかし、彼女を説得するにはどうも自分の臆病さが邪魔をした。代わりにそれとなく自分の気持ちを伝えるために、ある日事務所のプロピアニストのコンサート券を彼女に渡してみることにした。すると、彼女はすんなりと同行を承諾したのだ。

 いざ会場に来てみると、少し無理やりすぎたかとも思ったが、なにも言わず時々彼女の反応を窺った。しかし案の定私の期待通りには行くはずはなく、彼女は退屈そうに鍵盤の方を眺めては一度も表情を変えなかった。なぜ彼女はコンサートに行くことを承諾したのか理解できなかった。嫌ならば断ればいいだけのことなのに、きっと私に気を遣ったに違いないが、それにしても退屈な素振りを見せられてはこちらも居心地悪くなる。私は彼女が何を考えているのかわからなかった。

 ある日仕事が終わって事務所を出ようとした時だった。以前彼女が弾いていた楽曲の旋律が隣の練習スタジオから聴こえてくるのだ。その弾き方はどこか彼女の鍵盤の叩き方に似ており私は妙に違和感を覚えた。中を見るにはドアを開ける必要があり、私はどうしようかとたじろいだ末、少しの隙間からピアノを弾く者の姿を見ようと軽くドアを開けた。すると、全身裸の彼女がピアノを一生懸命に弾いているのだ。私は一瞬動揺して「あっ」と声を出してしまった。途端に彼女は私に気づくとこちらに視線を送ったが、依然として鍵盤を見ずにピアノを弾き続けた。やがてその鍵盤から響き渡る旋律は素協和音へと変化していき、その音量は限界を超えた。一瞬にして壁が破壊されピアノも跡形もなく弾け飛んだ。目が覚めると、私はベッドの上にいた。隣には彼女がすやすやと眠っており、先ほど夢で聴いた不協和音のようにも聴こえた。私は彼女がこんなに近くにいるのに、ピアニストに復帰してほしいことを口に出せないことに歯痒さを感じた。やはり彼女を一度見捨てたこともあり、自分からはどうも言いづらかった。私はせめても彼女が隠れてしているアダルトビデオの仕事を辞めるよう話そうと意を決した。

 ドアのすぐ外で彼女のハイヒールの音がした。彼女が仕事から帰ってきたようだった。私は平然を装って彼女を家の中に入れた。しばらくして彼女がソファの上で身軽になったのを見て言葉を切った。

「なあ、話があるんだ」

「なに?」

「実はさ、知ってるんだ」

「なにを?」

「君が隠し事をしていることを」

「隠し事?」

「うん。君はアダルトビデオに出ているんだろ?」

「ああ、それね。一度街中で声をかけられて参加してみただけよ。その時あたし、自分が人に見捨てられたのが信じられなくて、なんでもいいからあたしを求めてくれる人が欲しかったの」

「それってつまり、体でってことか?」

「うん。でも結局そんな上辺だけのもので自分の欲は満たされなかった」

「じゃあ、ネットに載っていた画像は?」

「羽振りがいいから少しばかり続けていただけよ。でもとっくに辞めた」

「そうだったのか」

「ええ」

「ごめん。こんな形で君を質問責めにするつもりはなかったんだ」

「いいの。隠してたことは事実だから」

私は手応えがなかったせいか、彼女がアダルトビデオの仕事を辞めていたことに安心するよりどこか寂しげな感覚に襲われた。同時になぜ彼女はピアニストという職業を捨てた身でいて、そして私がそれを招いた張本人という立場にもかかわらず私に接近したのか疑問に思った。

「君はなぜあの時、私の前で裸になったんだ?」

彼女は少し間を空けてから私になんとか聞こえる声で話し始めた。

「初めは、あたしのことを捨てたあなたのことを恨んでいたの。あなたがあたしの演奏を気に入っているのを知っていたからそれを逆手にとって、むしろ真逆の姿を見せつけて幻滅させれば気が晴れると思ったの。でも気づいたらあなたはずっとあたしを求め続けてくれた。もう今は恨んでいないわ」

「そうか。そういうことだったのか」

 私はそれからのこと、徐々に彼女に対して不満を抱き始めた。関係を持った当初は、彼女が私のことを好きでいてくれることに安心感を覚えていたが、今は彼女に何かが欠けているような気がしたのだ。それは彼女からの好意に対してでもなければ、彼女との肉体関係に対してでもなかった。むしろそれに関しては良好な方だった。私はふと、彼女がかつてピアノの鍵盤を美しく激しく叩いて、私の目を釘付けにした時のことを思い出した。私はあの時彼女を手に入れることを強く願った。そして、今こうして彼女を隣にしてその夢が叶ったと言っても過言ではないと再確認した。

 その夜、私は彼女に別れを告げた。私には失うものはなかった。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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