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貧乏って最高やないか!

最近ネットで母子家庭のお子さんが100均で買った筆箱を使っていて友だちに「100均やん」って言われて傷ついたという記事を拝見しました。


私も似たような経験があって小学生の時に自転車を買ってもらったんです。貧乏だったから中古の自転車を買ってもらったんですよ。近所にあった自転車屋さんで中古の自転車にダンボールで値段が書かれて数台並んでいたんです。選択肢めっちゃ少ない中から私は目をキラキラさせながら毎日のようにどの自転車にしようか見に行ってましてその中から黒色の自転車を選んで買ってもらいました。もうそれが嬉しくて嬉しくてドヤ顔で乗っていたのですが、お金持ちの子に


「中古やん」



って笑いながら言われたのを今でも覚えています。まあ、子ども心でその時傷付いた訳ですが、今の私はどう思っているかと言いますと、


中古やったら自転車2台買えてお得やないか!2台も楽しめちゃう!




っと思っている訳なんです。貧乏でバカにもされましたがその代わりに


物の価値観


は身に付いたから良かったなと思っているんです。トラウマよりもむしろ中古の自転車の良さや他と別に変わらん事を知る事が出来て良かったなと感じています。なんなら今通勤で数年使っている自転車も義母のお古の自転車ですからね。中古でもお古でも漕いだら色んな所行けますからね。ただ、これは自分の価値観なので妻や娘には押し付けてないです。2人には好きにやっておくれと言っていまして好きにやっています。人のことは全然気になりません。


ブックオフで名作の本が当たり前のように100円で売られて並んでいるじゃないですか。私はあの価値観を越える物なんて中々無いと感じているんです。


こんなに素晴らしい本がこの値段で売られているのにそれを越える物ってあるやろうか?



っと感じるんです。通勤する時にいつも通る道に10年以上前の型のステップワゴンが止まっているんですね。でもそのステップワゴンめちゃくちゃ綺麗なんですよ。車って年数が経つと古くさく感じるじゃないですか。そのステップワゴン全然古さを感じさせないんです。乗っている人の思いや手入れが行き届いているのもありますが、なんかこう新しさすら感じるんです。私もこういう乗り方したいしこういう風に物のを大切にしたいなと思う訳なんです。一般的なレトロカーみたいに価値のある車じゃないかもしれませんが、価値を決めるのは自分じゃないかなと思うんです。なんかもう基本的な価値観が


値段じゃなくて何しても楽しい



んですよ。友だちと缶コーヒー飲んでるだけで楽しいですし河川敷歩いて花見てるだけで楽しいんです。そう言えば前に河川敷歩いてるだけで楽しい私が小さい白い花を見つけて


綺麗やな〜何て名前やろ?



って言っていると妻に気まずそうに


それ貧乏花やで



って言われた事があります。なんか何とも言えん空気が流れました。十代の頃お金が全然無い時に友人と2人で麻布十番の喫茶店に入ったんですよ。2人ともお金がなかったもので一番安い飲み物を頼もうということになりまして、エスプレッソを頼んだんです。800円ぐらいしました。もちろんエスプレッソって何か全然わからんかったのですが、なんかちっちゃいコーヒーカップにびっくりするぐらい苦いコーヒーが入っていました。横にクッキーが付いてまして、


これ苦いからきっとこのクッキー入れて飲むんやな



って言って2人でエスプレッソにクッキー突っ込んで


これが都会の味か〜



言いながら飲みました。こんな苦い飲み物そのまま飲む人おらんやろ〜って18才ぐらいの私は思った訳なんですよ。クッキー突っ込んでびっくりするぐらい不味かったですが、私はその時窓から東京タワーを見ながらクッキーを突っ込んだエスプレッソ飲みながら大人になった気分でいました。めっちゃ間違った大人でしたけどあれは確実に大人への階段登った瞬間でしたね。二度とエスプレッソ飲まんって思いましたからね。まあ何が言いたいかと言いますと、


缶コーヒー片手に貧乏花眺める人生は最高ですわ!



っていうことを言いたいんです。私はエスプレッソを朝にゴクっといく世界線には住んでないです。今でもクッキー突っ込んじゃいそうですからね。ん?いや待てよ。エスプレッソにクッキー突っ込んでしまうなんて


やっぱ貧乏やったのはあかんかったかもしれん



そう思えて来ましたわ。エスプレッソにクッキーを突っ込まんためにはある程度ええ生活しなあかんのかもしれません。






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