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自意識と羞恥心の一言日記
noteに書きたいことがいくつかあったが、全て下書きに仕舞い込んでしまった。自意識過剰の塊みたいな文章を公開できなかった。
文章を打ったり、絵を描くのが好きなはずなのに、家だとうまく作業できなくて、かといってやるぞ〜〜と思いカフェにいくと(誰も人のPCの文章まで読まないはずなのに)こいつこんなこと書いてるぞ、と思われたら恥ずかしいな。と思う。
周りが全員、そこまで日本語に明るくない外国人だけだ
休職にはいりまして。なにか書きたいなと思う
考えすぎという言葉を使いたくないが、日常のさまざまなこと、ジェンダーや無意識の差別が目についてしまう(∩'-'⊂)そういうこともネタにしていきたいなあ
定性分野のマーケターの意識のひくい文章というかグレーゾーンの人間だなこりゃ
noteになにかを書くのが久々だ。名前をフルネームから変えただけで少し、書きやすくなったような気もする。
創作するうえで、なんとなく人柄も正しておかないといけないような気になって何も書けなかった。(まあ、だったら別アカウントをつくればいいという話なんだけど、愛着もあってまたこうして書いている)
だれかが見ているとも思えない。ただかきたいだけという欲求をおさえられなかった。
noteに書く以上
さっきあんなことを書いた一方で、
自分の中の「正義感に振り回されない」が大事なのかもしれないとふと思ってきた
「おじさん」に含まれる悪意はコロナ後変わるだろうかと東京で思う。
上京して6年が経った。
東北で一度就職してから移住したので、社会人からの東京だった。
そこで気づいたことがある。東京に暮らしていて「あのおじさんが~~して」「だからおじさんは」という言葉をよく耳にした。
なぜだろう、と憎悪を向けられる原因を考える。
社会人になって、それも東京に住むようになってからよりわかりやすくなった。
今まで田舎に住んでいたので、電車通学をしたことがなかった。身の回り