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生きるより死ぬことの方が難しい。

最近、何故か眠るという単純な行為がなかなか簡単にいかない。

昨夜もなかなか寝付けずにいると、なんの契機もなく、脈絡もない夢想が落ちてくる。

「生きるより死ぬことの方が難しいのではないか?」と。

日本では毎年自殺者の多いことが問題にされるが、恐らく実際には「死んだ方」より「死にたいけど、死ねなかった方」の方が多いのではないかと想像する。

「死を想う」ことと「死を行う」ことの間には巨大な障壁がある。

私自身も自殺を考えたことは何度かあるが、結局殺害未遂犯は今もこうしてのうのうと生きている。

さて、死に向うことには2つの方向あると思う。

すなわち、
①生きる苦しみから逃れて死に向う
②自ら進んで死に向う
の2つである。

②については、考えるべきものではなく、感じるべき対象だと思うので、ここで子細に語ることは避けたいが、偏見を逃れれば、死というのは案外魅力的なものだということだけ記しておこう。

一方①はというと、一般に考えられている自殺の要因であろう。寧ろ、世間的には①でしか自死というのが捉えられない為に、自殺率の上昇が悲観されるのであろう。

だが、「苦しみを逃れたい」という感情など、人が悉く等しく持つ感情だろうし、にも関わらず、自殺について執拗に重苦しく語ろうとする人ほど、自殺を軽く扱っているようにしか私には思えない。

殆どの人間は「苦しみから解放されたいから」というだけでは死ねない。

人間はそこまで単純ではない。

私自身、自死を企てた時には、「残された人達の未来」や「人は死んだらどうなるのか」について考えずにはいられなかったし、未来や死後といういくら考えても解答の見えぬことの前に、「死んだら楽になれる」という確証が持てなかった。

思うに、人は苦しんでは死ねない。死に真に楽を見いだせた時に初めて死を行うことが出来る。

したがって、今年は有名人の自殺が続けざまにあったが、彼等に対して、私は畏敬の念を覚えた。

世間は悲哀を語ったが、私は潔いと思った。

彼等はまだ生きていれば成し得たことなど幾らでもあろうに、それらへの執着をも断ち切って、この世に可能性を残して死を選んだことは、見事だと思う。

加えて、キェルケゴール風に語らせてもらうと、人は絶望を深化させるほど、自己が精神であることを理解する。

したがって、自殺志願者は他の人と比べて、精神的である。

自分が精神であると信じる人間ほど、肉体の死が真に終結だとは信じ辛い。

死後が無だとすれば、それは己にとって救済となるが、生まれ変わりや死後の世界があるとすれば、それは根本的救済にはならない。

天国は幸せな世界だと思うかもしれないが、誰もにとって普遍的な幸せなど有り得るのだろうか?

私は誰もが自己を捨てることによって、つまり、誰もが欲望を捨て幸福を追求するのを捨てることによってしか、成立しえない世界だと思う。

このようなことは自殺を思う人なら誰もが考えることではなかろうか?

それでもこうした障壁を越えて死を行うのである。

死ぬのって難しい。

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