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雑記20240428
◇珠洲市での話
ボランティアに行ってきた。この年になるまでボランティアという行為は身近にあるものではなかった。チャリティー自体は手慣れたものではある。
現在4月27日。地震があったのが、1月1日なのでほぼ5ヶ月が経とうとしてた。これは振り返って思うことだったが、まだボランティアの募集をしていたということになる。
ボランティア自体は難なく終えることができたが、町の家屋は依然として倒壊したままであ
20240223〜雑記
推し活なるものを初めてみたいなと、ふと思ったわけではないけれど、そういうのを初めてみた。聞けば、毎日の生活が楽しくなるんだとかそうでないとか。まだ、初めて2週間も経ってないけれど、あんまり面白くはないというか、推していくというか、彼らはやはり遠い雲のようってわけではないけれど、身近にはいない人たちだよねっていうのがチラついてどうも自分には推していけないようだった。暖簾に腕押し。あとね、コミュニテ
もっとみるわたしに近づいてきた人たちには、もれなくニンマリの刑に処され、関わった人全員が笑顔をこぼしながらニンマリ帰っていくのだ!!!
何これ
20240106_雑記
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞご贔屓によろしくお願いいたします。
新年のご挨拶をこんなnoteの片隅に書いていいものだろうかとも思うが、こぢんまりと見てくれている人に向けたほうがいいような気がしてるので、まぁ良いか。
せっかくなので、去年(去年したほうが良かったな)の振り返りからでもしようかしら。去年の一大イベントはお引越しだったように思います。徐々に自分の方向性を決めていくとい
イラストはたとえば、映画のカットシーンの連続のように劇的であることがのぞましい。場合によってはそれが明示的でないといけない。庵野秀明の作品群のように瞬時に切り替わるシーンのようであることが、あるいは簡単に消費されていくことが、イラストにとって「価値がある」ということだと思う。
建築批評とは小説であった。
西倉美祝さんのNoteを見て、建築批評の話は確かに分かるところがあると思いつつもこれまでの建築批評について擁護したい部分も出てきたので、ついでに記事を書いておこうと思った次第です。詳しくはこちら。
ここで書かれる建築批評とは私は日本語で書かれた日本の建築に関する批評のことと受け取りました。なので以降、批評について問うているところは日本人によって、あるいは日本語で書かれたものを指すことにします。
壊されたカラオケ屋にて
かりそめのリアリティを演出する当事者と消費に慣れてしまった私たち。
与えられた本当の姿あるいはその裏側をひっくり返し、夢のリアリティを演出する。これが破壊だ、これが裏側だ。本当の混沌とした汚泥の上澄みを救ったような異常さが私たちに襲いかかる。
構成されたものは私たちの生活には馴染みのないものだったと思う。破壊された壁、引き剥がされた天井、綺麗に処理されていない下地材や鉄骨の後。唯一身近なものはカ
20230903の日記
たとえば、聞きなじみのある音楽を聴いているとき、カゲロウプロジェクトの音源を聞いているときこれを初めて聞いた時の感動と当時の記憶を無意識に辿っていく。たくさん読んだ化物語を読み返しているとき、つらかった中学の時苦し紛れに入った図書館で初めて読んで面白かった時のことを合わせて思い出してしまう。自分の住んだ街を改めて眺めているとき、散歩しながらこんなに擁壁や公園は小さかったかなとか考える。
記憶を