記事一覧
放送大学博士後期課程:1期生の立場から(14)口頭試問と博士論文の公刊
私の博士学位請求論文「ポストコロニアル的視座より見た遠藤周作文学の研究:村松剛、辻邦生との比較において明らかにされた、異文化受容と対決の諸相」は、400字詰原稿用紙に換算すると約2200枚、ごく一般的な単行本5,6冊の原稿量になりました。400枚程度を書けば分量的には充分なのですが、私はそれまでの自分の研究を集大成するつもりで、自分の命のすべてを注ぎ込んだのでした。
口頭試問は、すり鉢状の階段教
放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(10)文化庁長官官房文化政策室
ここで少し、本務である高等学校教師としての経歴と、そのかたわら細々と続けていた文筆活動について書いておくことにします。
最初の全日制工業科高等学校には3年いて、次に全日制普通科高等学校に11年いました。2校目は進学校で、心身を磨り減らすような環境ではなかったので、この時期に私は勉強することができました。とはいえ、20代の頃は、仕事が忙しく、また面白く、自分の未来について深く考えることもしなかった
放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(7)芸術学と政治学
博士後期課程に入学して、修士課程のときの指導教授に引き続き指導を仰ぐことになりました。放送大学では、主たる指導教授の他に、ふたりの副指導教授からも指導を受けるという3人指導体制となっています。私は、人文学プログラムに所属していたので、美学芸術学の指導教授に加え、同じプログラムに所属する国文学の教授と、社会経営学プログラムに所属する国際政治学の教授から副指導者として指導を受けることになりました。
放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(6)博士後期課程の学生受け入れ開始
修士課程を修了したのが2014年3月ですが、2014年度から博士後期課程が開学し、10月から学生受け入れが始まるということが公式に発表されました。博士課程が作られるという話自体は以前からありましたが、実現はまだまだ先のことと思っていたのでした。教授たちからは、一切何も情報が伝わってきませんでした。情報管理がそれだけ徹底していたということです。
私は悩みました。東日本大震災の年に小学校6年生だった
放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(5)修士論文と国際日本文学研究集会での発表
修士課程の1年目はさまざまな書籍を読みました。学会に入り直すことで、日本文学研究の現在に関する知識を得ることができましたが、私がショックを受けたのは、私が学校の仕事に忙殺されていた間に、国文学研究の手法が大きく多様化していたことです。浦島太郎になった気がしました。
私は、文学研究科で近現代文学を専攻している教授の指導を受けたわけではありません。美学芸術学の教授から指導を受けたのです。指導教授は東
放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(4)修士課程入学
放送大学の本部は千葉県幕張にあります。4月最初の日曜日、大学院オリエンテーションに参加するため、JR幕張駅を下りて、南に向かって歩きながら、なんとなく殺風景な感じがするなあと感じていました。高い建物がなく、平地で道路も一直線なので、起伏が多く景観が変化に富む横浜と違って、何だか気持ちが落ち着かないのです。
午前中は、大会議室の前方に教授陣が並んで全体的な説明があり、昼休みを挟んで、午後に学生各自
放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(3)東日本大震災の思想的衝撃
2011年3月11日に起きた東日本大震災と、それに伴う東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故は、私に強い衝撃を与えました。
私の妻は神戸の出身です。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災のときにも、私はショックを受けました。当日の朝、NHKニュースをつけたところ、テレビの画面で燃えさかる神戸の街が映っていたのでした。妻の実家に電話をしてもつながりません。横浜神戸間の電話回線が止められていた