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【書評】フレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』字が小さい本は読まれない

ロッシーです。

フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』を読もうとしました。

『ジャッカルの日』は、フォーサイス氏の最高傑作と名高い作品らしいので、非常に楽しみにしていました。

で、ワクワクしてページを開いたところ・・・


「字ぃちっさい!!!」


いやいや、いまどきの文庫でこのフォントサイズはないだろう、と思いましたね。

ただでさえ仕事でずっとパソコンを眺め続けている私の眼球。こんな細かい本を読むことは、拷問に等しいです。

もちろん、頑張って読むことはできるでしょう。しかし、それによるダメージを考えると躊躇してしまいます。

これからも長く続く読書生活では眼が命です。眼の健康をおそろかにすることはできません。

よって残念ですが、本書を読むのはやめました。

さよならジャッカル。無念。

まあ、図書館で借りていたので金銭的損失がなかったことが救いです(笑)。


出版社の関係者が、こんな記事を見ているわけはないと思いますが、読書好きの人間として、これだけは言わせていただきたい。

「字をもっと大きくしてくれ!!」


今の時代、どんなアプリだって、UI(ユーザーインターフェース)が悪ければ利用してもらえません。本だって同じことです。字が小さい時点で読む気が失せるのです。

どんなに中身に価値があっても、UIが悪ければ相手には見てもらえないのです。たかが文字の大きさ、と侮ってはいけません。

その点、そういったニーズをちゃんとくみ取っていただいているのは、光文社古典新訳文庫です。このシリーズの素晴らしいところは、どの本も「字が大きく読みやすい」ことです。


よく、「最近の人は、古典なんて読まない。」という言説がありますね。でも、それは勝手な決めつけだと思います。

いつの時代だって読み継がれてきたからこそ古典なのですから、古典を読みたい!というニーズはいつの時代でもあるのです。

古典があまり読まれないのは、前述したとおりUIの問題が大きいです。つまり、単に文庫の文字サイズが小さいのです。(もちろんそれだけではないでしょうけれど、私は大きな要因だと思っています)。

光文社古典新訳文庫が出てくる前は、古典を安価に読むには、岩波文庫や新潮文庫しかアクセス手段がありませんでした。

そして、これらの出版社は、ある種絶対的な存在として、読者のニーズをくみ取る必要もなかったわけです。だから、文字も非常に小さくフォントも読みにくいものばかりでした。競争がきちんと行われないとこういうことになるといういい見本です。

しかし、そんな状況の中、光文社古典新訳文庫は、古典というマーケットに新規参入者としてさっそうと切り込み、「字を大きくすること」で誰でも古典にアクセスできるようにしました。

コロンブスの卵かもしれませんが、それこそが古典を読みたいという読者のニーズを最も満たす方法だったのです(と勝手に思っています)。

そんな光文社古典新訳文庫について、批判的な人もいます。

「翻訳がカジュアルすぎる」
「〇〇文庫版のほうが、翻訳が格調高い」

などなど・・・。

でもね、古典文学の専門家でもない一般ピープルにとっては、そんなことはどうでもいいことなんですよ。

多少の翻訳の違いなんぞで古典の魅力は変わりません。そんな重箱の隅をつつくよりも、まずは古典にアクセスできること。そしてその世界を読者が体験できることが一番大事なのです。

そういう意味では、光文社古典新訳文庫は、古典へのアクセスを容易にし、日本人の文化レベルを引き上げることに貢献したという点で、賛辞に値すると思っています。

いうなれば、聖書をドイツ語に翻訳して誰でもアクセスできるようにしたマルティン・ルターに匹敵するくらいだといったらほめ過ぎでしょうか(笑)。

ぜひ、光文社さんには今後も頑張っていただきたいです!応援しております!


もはや、書評ではなく出版社への批評になってしまいましたね(笑)。

最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!


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