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マウンティングで失敗した話、第二弾です。私は本当にダメな人間です。自己主張が強すぎる、社会不適合者です。どうぞ今日も馬鹿げた話で笑ってください。

地域の防災訓練は年一回、秋に開催されています。「自主防災組織」があり、自治連合会や社会福祉協議会、小学校、中学校などもなども参加して合同で開催します。

敬老会で失敗したので、最初から発言せず静かに黙って一年目、二年目は参加しました。そのまま黙っていれば、波風立てずに済んだのに、意見してしまうのが私のダメなところです。


震災経験を役立ててほしい気持ちで発言。


私は1995年の阪神淡路大震災で被災しています。仕事と家を失い、約1年半、ボランティアで食いつないで生きていました。ですから震災の怖さ、その後の辛さを体験した人間です。防災訓練には、意味ある内容を求めたい気持ちがとても高い人間です。その気持ちがマウンティングを引き起こしていったのです。

防災訓練というのは、もしもに備えておくための訓練です。それなのに、訓練内容がまるで昭和40年頃の内容でした。どうしても黙っていられなくなって、つい発言してしまいました。

その時、自分が震災を経験しているから、その経験を役立ててほしい一心で発言しました。しかし、全面拒否されました。それはあまりにも滑稽で、呆気にとられるとはこのことだと、本気で笑ってしまいました。

まず不思議だったのは、「なぜ震災体験者の声を聞こうとしないのか?」ということです。発言の仕方はずいぶん気を付けながら考えたつもりでしたが、結局、「被災者面したヤツがほざいてるよ」という取られ方になっていたと感じました。

私の言い方が悪かったのかもしれません。とはいえ、せっかく目の前に体験者がいるのですから、「滅多にない機会だから聞いてみよう」と私なら思います。この私の思いと皆さんは違っていたので、独りよがりな気持ちが先走ったのでしょう。


防災訓練で不思議な項目 ①バケツリレー


小学校の校庭にたくさんバケツが置いてあり、プールの水を汲んでバケツリレーします。バケツだけでは数が足りないので、レジ袋に水を入れてリレーもしました。

「バケツリレーは何のために行うのですか?」

私が質問すると、自主防災組織の会長が答えてくれました。

「君はそんなことも知らないのかね?」
「いえ、バケツリレーの意味は知っていますが、今の時代にはそぐわないのではないでしょうか?」
「どうして? 火事になったら水で消すだろう?」
「掃除の仕方が昔と今では変わってしまい、バケツのない家が増えていると思うんです。ちなみに私の家にはバケツがありません。」
「それはいけない。すぐに買いなさい。」
「いや、それより消火器の方がいいと思うのですが?」
「君は何を言ってるんだ? バケツだよ。」
「ではお尋ねしますが、会長さんの家が火事になったとします。近所の人が5人駆けつけてくれた時、バケツを一個ずつ持ってきてくれるのがいいか、消火器を一本ずつ持ってきてくれるのがいいか、どちらですか?」
「君はバカかね? そんなの、バケツに決まってるじゃないか!」

私は一瞬固まりました。

「え? 消火器よりバケツの方が良いんですか?」
「当たり前だよ、そのために浴槽の水を毎日溜めてある。」
「火事で風呂場へ入れなかったらどうするんですか?」
「その時は、隣の家から運べばいいじゃないか、そのためにバケツリレーの訓練をしてるんだから。」

さて、この会話を聞いてあなたはどう思われるでしょうか?

実際に会議の中でこのような会話をしましたが、他の誰も発言せず、私に同調する人もなく、会長の大声で終わりました。だから、バケツリレーを行うことになりました。意味ありますか?


防災訓練で不思議な項目 ②簡易担架作り


消防署から応援が来られて、もしもの時のために応急的な担架作りの実演が目の前で行われました。

「まず2本の竹を用意してください。その間に毛布をこう置いて、巻き付けるようにします。そうすると、ほら、簡易担架の完成です。」

消防隊員の説明を聞いて、みんなは感心しています。実際に人を乗せて運べることも実演されました。この話で、おかしなところに気付かれましたか?

「竹、ないですけど?」
「え? ないんですか?」
「はい」
「日頃から準備しておいてください」

返答に困り、固まりました。こんな訓練ありますか? 何も返答できませんでした。

実際のところ、阪神淡路大震災で簡易担架はよく使いました。襖や障子、ドアなどがそのまま担架の代用になりました。

また、「竹」ではなく「物干し竿」を使うことが可能です。物干し竿でしたら各家庭に1~2本必ずあります。ただ伸縮するタイプの場合、抜ける恐れがありますので注意しなければなりません。

私が思うには、竹ではなく身近にある物干し竿で実演するべきだと考えます。なので発言してみました。

「物干し竿で代用できますよね?」
「できないこともありませんが、竹が好ましいですから、竹を用意してください。」

なんと、馬鹿げた返答かと思ってしまいました。その後、何年も防災訓練に参加しましたが、相変わらず「竹」で実演されていました。


今までやってきたことが正しいから、今も正しいとは限らない。


敬老会の時と同じですが、なぜ経験者の声を聞こうとしないのか、それが不思議です。反省会の時にその旨、聞いてみました。すると驚きの回答が出てきました。

「これで何十年とやってきているんだから、何も問題はない。それに神戸へ行って、防災センターの見学もしていろんな話を聞いたうえで内容を決めている。だからこれでいいんだ。」

今までのままで問題ない


世の中は本当に矛盾だらけです。良かれと思って発言しても拒否され、経験者の声は生かされることなく、今までのままで良いという考えがまかり通っています。

これは何も地域コミュニティに限ることではなく、企業でも同じではないでしょうか? 正論が通らない矛盾した社会です。どうも私にはその中で生きていくことが息苦しく感じてしまいます。何も思わない、何も感じない人は問題ないことでしょう。しかしそれが人の命にかかわることだとしたら、私は改善したくなります。だから発言するのですが、受け入れられることはほとんどありません。

他にも矛盾点はたくさんありましたが、書ききれませんので割愛します。

発言し始めると熱が入ってしまい、威圧的になってしまうのも私の良くない所です。だからマウンティングになってしまうわけです。反省します。防災訓練の反省会の後に言われました。

「あなたが言っていることは正論よ。でも組織ってそういうもんよ。だから無理よね。しょうがない。放っておきなさいよ。所詮、ボランティアでしょ? 時間の無駄よ。」

サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。