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公務員からアメリカ、MBAから起業への道。


一番最初の仕事は、学校を卒業して、大阪市庁で公務員をしていた時、それはアルバイトではない、初めての「本業」であった。でもなんだか、がっかりしてしまった。単調な毎日。ルールに沿うだけの仕事。面白くないのは自分が本気で取り組んでないからだろう、そう考えて、あれこれ工夫してみた。一生懸命やってみた。心底取り組んで見たら、何かが変わるだろう、そう思って。

市の教育委員会の仕事だった。事務職とは言え、それなりにやりがいはあったろう。学べることもあったはずだ。でも何年か努力してみて、やっぱりダメだと気がついた。市立の中学校各それぞれにアメリカから来た英語教師を派遣する事務の仕事だった。各先生の出張旅費を計算したり文具類を注文したりという仕事は、どんなに心を注いでも、情熱がもてなかった。

ある日一人の派遣先生のアメリカ人女性に、弱くなった気持ちを垣間見せたことがあった。

彼女は笑って、「Why don't you quit? (辞めちゃえば?)」
軽く言った。

その時、何かが閃いた。そうだ。自分の人生なんだ。公務員の仕事は一生するもんだと思っていたけれど、辞めてもいいんだ。やりたいことをすればいいのだ。

決断したら、行動は速かった。
ニューヨーク大学でMBAを取得し、世界中に支部をもつコンサルティング会社に就職をした。面接はニューヨークだったが、職場はシリコンバレー。

やはりこの時も、たった一人でカリフォルニアに渡った。

新しい街。シリコンバレーと言っても90年代はとにかく山とハイウェイしかない、広々とした土地だ。全米から、そして世界中からハイテック関係の秀才たちが集まり始めた頃だったと思う。GoogleもMetaもまだ存在していなかった。eコマースという言葉が出始めた頃だ。

選んだ仕事はマーケティングコンサルティング。IT企業が主だった。
仕事のチャンスを得るために、この頃のシリコンバレーに集まってきた20代30代の世代はみんな一様に野心があって、自信がって、けれど新しい土地で暮らす楽しさと寂しさを誰もが一様に感じていたように思う。

だだっ広いBarns&Nobleにあるスターバックスでコーヒーを飲みながら、誰かが女の子をナンパする場面を見るのはしょっ中だった。彼らはまず、チラッと女の子を見て、ちょっと微笑んで、そしてテーブルに近づいていく。当時の割合で、男16に対して女1というシリコンバレーの実態に、若手のプログラマーの男たちの間には激しい競争環境があったのだった。

アメリカ人のボスと同僚。IT企業のコンサルティングの仕事。日本の事務職の経験はほとんど通じない。辛い思いや悔しい涙も山ほどあったが、とにかく毎日が機関銃の速さで過ぎて行き、家に帰って倒れ込むように眠るだけの日々だった。

その後ニューヨークの本社に転勤。すぐテロ事件が起こった。

その時の職場は、ワールドファイナンシャルセンター。2001年の9月だ。ある日出勤して間もなく、爆音と共にビルが揺れた。

「今すぐ避難するように!」

叫び声と共に、私たち社員はいっせいに外に走り出た。

外に出てみると隣のワールドトレードセンターから黒い煙が吹き出している。2機目の飛行機が追突した後だった。遥か頭上の空中に紙が舞い散る中、ビルから飛び降りる影がある。人だ。熱さに耐えきれず、遥か上空の窓から人が落ちてくる。

「ここにいては危ない。北へ向かって歩いてください!」

消防団のアナウンスが黒い空にこだまする。人々は足をひきづるようにゆっくりと動き出した。誰も彼も、今起こってっていることが現実か夢か、皆目検討がつかないという顔をしている。泣き叫ぶ声や、悲鳴とも分別がつかない声があちこちから聞こえてくる。

しばらく歩き出したところで、背後で壮絶な音とともにツインタワーが崩れ落ちた

ゆっくりと振り向くと、それはスローモーションのようなスピードで、110階建てのビルが煙を吹きながら崩れていく瞬間だった。

その埃で私と廻りの人の髪が一瞬にして真っ白になり、霧か灰かわからないような薄暗い粒子が空気を覆った。足がガクガクと震えて歩けない人を、消防士が助け起こして、抱えるように歩かせている。

とにかくここから離れるのだ。今。すぐに。

この日を境に、考えが変わったのは私だけではない。ニューヨークの人々に、いや世界中の人々に、テロ事件は人生を変える衝撃をもたらした。

この世で生きている限り、真の意味での安心や安全など存在しない。実体験を持ってそう学ばせられたのだった。

事件のすぐ後、起業することを考えるようになった。いやそれを機会に考えると言うよりは、むしろそれまで眠っていた激しい闘志がむくむくと起き上がってきたような気分だった。

その頃は、1歳になる娘の育児と仕事の両立に忙しい毎日だった。ある日娘の服を選んでいたら、オーガニックコットンのベビー服が目についた。肌が弱い娘にこれはいいなと思ったが、デザインが可愛くない。オートミール色一色で、プレーンなデザイン。

2000年代はじめ。SDGsの観念はまだ早過ぎた。

けれども「エコ」という言葉は広まり始めていたので、そこに着眼した。綿花の輸出で有名なエジプトへオーガニックコットンの生地を買い付けに行った。縫製工場を探して契約し、プロットデザインを提出して小さなデザインコレクションを発売。カラフルで可愛いデザインの、オーガニックコットンのベビー服のブランド「スクーン」が誕生した。

スクーン オーガニックコットン ベビー服

当時はまだコンサルティング会社と2足のワラジを履いていたので、会社から帰って夕食後、夜の8時から朝の2時まで毎日仕事をした。そして6時に起きて出勤する日を続けた。

ちょうど時代の「エコ」ブームに乗って、売り上げは毎月毎月伸びていった。

もうどうしてもこれ以上、両立はできないというところで会社を辞め、自分の事業に専業した。自宅と、在庫を置いた倉庫の行き来をしながら死ぬほど働いていたと思う。

そんな時、アフリカで貧しい子供たちに商品を寄付する団体から商品の寄付を求める声がかかった。

着るものも食べるものも満足にない子供達の支援になるし、在庫もはけるので、寄付することに承知した。それは願ってもないことだったが、そこで初めて、同じく寄付しようと参加していたある会社の商品「月経カップ」を知ることになる。

「アフリカの女の子たちは生理用品が買えない子も多くて、学校を休まずにはいられないんです」とその寄付団体は話した。「ボロ布を使う子もいるけれど、生理ナプキンはまだまだ高価な商品なのです」

月経カップとは、シリコーンでできた小さなカップで、生理時に膣内に挿入して使う。ナプキンの買えない地域では非常に重宝されるアイテムで、欧米では第3の生理用品として、もう当たり前になりつつあるということだった。

オーガニックコットンのベビー服のあまり生地で「布ナプキン」を作っていた私たちブランドは、その「月経カップ」という、まだ日本では聞いたこともないような生理用品に魅了されてしまった。

そこから新しい旅が始まった。「スクーンカップ 」はアメリカで製造され、今や世界36か国で販売されている。日本では、初めての月経カップとして、厚労省から認められたのが「スクーンカップ 」だ。

こんなものは日本で売れない、という人も多くあったが、今や月経カップのブランドは日本だけでも15種類近く販売されている。欧米では50社を超えている。

スクーンカップ のブランド代表として、これまでの7年間、その使いやすさと快適さを訴え続けてきた。

その間にジェンダーの平等SDGsの女性の生理への関心も高まり、今やっと、日本も、世界の先進国として生理の選択肢を考え始めている。

フェミニン+テクノロジーの造語である「フェムテック」という言葉も、今や流行語だけでなく、私たち一人一人に浸透し始めている。

月経カップを使うことで、生理に向き合うこと、自分の身体を大切にすることだ。モノを売るだけの会社ではなく、女性の生き方まで変えていく、そんなブランドでありたいと強く思う。

遠い、長い道のりだったけれど、日本の市場がこうしてオープンに女性の生理用品を受け入れ始めてきたことを、誇りに思える。

最近ではパートナーにスクーンカップ をプレゼントする男性も増えてきて、日本の男も捨てたものじゃないなあ、と感じる。

若い頃の私は、起業からはほど遠いところにいた。しかし今は、光栄に思うと同時に、もう他の仕事は考えられない。このような仕事に出会うことができて、なんと幸運なことか。この仕事に選んでもらえたこと、呼んでもらえたことに、心から感謝している。

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気負いとあとがき(11.03.2023)


何か新しいことをはじめたとき、人は少々気負ってしまうことがある。
この #note を書き始めた時は自分もそんな風だった。1年半ほど経って読み返してみると、ずいぶん肩に力がはいっていると感じる。

本人にしてみれば、起業や就職、出産など、ちょっと大きなイベントには自ずと力が入ってしまうもので、そこを過ぎると、ちょっと身体がラクになる。そんな大したものではないことがわかってくる。

そんな風にしながら結構ダマシダマシ、なんとかやっていくのもいいかもしれない。そして道は続いていく。Life goes on. 


月経カップ
スクーンカップ  月経カップ
www.sckooncup.jp




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