月の引力 / セレモニーには慣れなくていい

ひと月経った今も、ふとしたときに三浦春馬さんのことを考えてしまう。
未だに嘘であってほしいと思っているが、
正直に言うと、忘れてしまいそうなときもある。
存在ではなく、彼の死を。
彼の死について考えない瞬間は
「変わらず生きていると思っている」。
そんな感覚に近い。


あんなに大きな別れの決意を忘れてしまうなんて
本当は良くないことかもしれないけれど
彼の現在を忘れているときは心が痛くない。
それがしばらくの日常であることを
どうか許してほしい。



ただ、彼の現在を思い出してしまうときは、
やっぱり命について深く探りそうになる。
死のハードルが下がったとか
引っ張られそうになる、といった呟きも見た。
それも一つじゃない。いくつもだ。

とても危ういけれど、言いたいことは分かるなと思ってしまった。
漠然と怖いものであった死を
もしくは、願望のあった死を
実現したのがあんなに素晴らしい人だった。


言いたいことは分かる。
でも、「そんなにいつでも終わらせられるなら、今じゃなくてもいいか」と本心で思う人が、
引っ張られる人以上に多ければいいと思っている。


それにしても、遺した日記の一部(と言われているもの)が報道されているのはどういうことなのか。
情報の取り扱い方、さまざまな意味でどうなっている?
そんなに簡単に漏洩してしまうものなのだろうか。
すべてが本当とは限らない
でもすべてが嘘とも限らない
そんな勘ぐりをしなければならない世界は
確かにあまり居心地のいいものじゃない。


「ほんとうに」自ら選んだとすれば、
絶対に知られたくないものは確かに前もって処分するだろう。
見てほしい気持ちが、見つけてほしい気持ちが
少なからずあったのだろうか。

彼とは規模が違いすぎて前置きすることも憚られるが
私もうっかり第三者に見つかったら「やばい」ものは 
もう既に処分しているもの。
たとえば小中学生時代の日記もそうだ。


あの頃がいちばん無邪気に本当のことを書いていた。 


本当だと「やばい」って、なんなのだろうね。


とにかく彼の日記はそこにあったと言われている。
もしすべて読まれることを前提としているのなら
そして、もしその後の取り扱いは自由、と
彼が了承していた素振りがあったのなら(ないだろう)
知りたい人はきっと多いだろう。



単なる野次馬根性というより 
物語のような彼の生の記憶を辿り、
人間性を紐解くことで
「答え合わせや罪滅ぼしをしたいから」。


やっぱり人はどこまでも自分勝手だ。


我々はいつのまにか、彼を「救い出せなかった」「気が付けなかった」ことに罪悪感を抱いている。


本当にそれが核心なのだろうか。
悲しいことに後付けでしかない。


そもそも、救ってほしかったのか。



知ってほしいけれど
そっとしておいてほしい。


心は晒すけれど
生き方は自分で決める。


助けてほしいから
SOSを出していた。


知られないために
完璧にやり遂げようとした。


彼は「どれ」だったのかな。




このnoteは匿名だ。
表のSNSやブログでは身内や同僚とつながっているが、ここを知る人は数人しかいない。
周囲が知る「私の場所」ではない
何者でもなく書ける場所が欲しくて
マイナスの感情から作ったアカウントだ。


でも、もし何かの拍子で私が私だとバレてしまっても
それならそれで良いとも思っている。
見つけた人は、自己責任で。


私のような性質の人間は、たぶん、
知られたくない気持ちのどこかと隣り合わせで
表と裏が統合した自分を知ってほしいとも思っている。


ただ、知ってほしいけれど、
「触れられたくない」こともある。


面倒くさい性質なのですよ。



自分が極悪人とまでは思わないが
イメージは崩れるだろう。
基本的に人前ではよく喋るし、笑顔だし、
同窓会でも、元クラスメイトに
「人生楽しそう」と評された。
悩みなどないことが当たり前になっている。

自分で写真を見ても、この人は幸せそうだな、と思う。



ただ、少し打ち解けたと思った相手に
「人に心を開いてないね」と言われたことがある。

すぐに気づかれたのが嫌で、距離を置いてしまった。

そういうことなんだ。


隠し通せるならその方が良いし、
心をめくられるタイミングは早すぎない方がいい。 


嘘をついているわけではないのに。



答え合わせはしていいから、だけど、そっとしておいてほしい。



二面性や、月の裏側を見せないのは
あくまで本人の意志だ。
きっと、知ってほしいからといって
誰にでも心を開きたいわけではない。
かまってちゃん、と片付ければそれまでだが。



誰にでも心を開く生き方を苦痛と感じる人も
きっといるのではないかな。


その手前でなら、感動を共有したり笑い合っていたい。
でも、心を預けるタイミングはある日突然、
やってきたり来なかったりするのだ。
面倒くさいですよ、実態のない心って。

心を開くというより、心を預ける。



難しいけれど、たぶん親しさが開放のバロメーターでもない。
打ち明けられなかったことを悔やみすぎないでほしい。
好きだからこそ言えない気持ちもあるし
言わなかったから大切じゃない、わけじゃない。



彼はどっちだったのかな。
そんなことをぼんやりと思った。

正解なんて きっとないけど。


分からないことを、分からないままで生きなきゃいけないときも
きっとあるのだ。


たぶんこれから生きていく中で、もっとある。
慣れないだろうな。



慣れたくないよね。
でもそれでいい。



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