見出し画像

⑥自分捜しの方法❸:思い出す(導入編)【マガジンⅡ】

今日も会いに来てくれたのね。
有難うね。

じゃあ今日も
昔の私とお話するように
昨日のお話の続きを
話していこうかね。

なんで見たものだけじゃなくて
他の聞いたことや感じた感覚なんかは思い出しにくいのか
というとね
思い出しているその時に
耳には音や声が自然と入ってきてしまうし
体感できる温度やその場の空気感や
その時自分がどのくらい緊張していたかなんかの心境的なものは
そもそもハッキリ明確に記憶していないものだし
人だけにかかわらずこの世に存在しているすべてのものは
環境の影響を絶対に受けてしまうから
思い出す記憶よりも
リアル情報を否応なく優先的に感じ取ってしまうもの
なのよ

だから思い出したとしても
静止画や音や声のない動画再生のように思い出すことが
どうしても多くなるの

そっかぁ。
そうだよね。
周りがうるさいと、
やりたいことに集中できなかったりするもんね。

そう
だからね
ひとつひとつの物事で
「感じる」ってことを意識してほしい
んじゃよ

感じる・・・?

大抵の場合ってね
集中して何かをしてる時は「無心」になってしまいがちなのさ
一心不乱に取り組むから視野が狭くなってしまって
周りで起こってることに気づけなかったりするんさね

うん。
・・・え?
集中することは良いことなんじゃないの?

もちろんええことじゃよ
じゃがね
集中しすぎる時間が長すぎると
いつの間にか自分が疲れてることにも気がつかなかったり
周りで気にかけてくれてる人がいた時に気づいてあげられなかったり
そんなデメリットもあるじゃろ?

それは・・・確かにあるかも。

自分で自分のことは
ある程度コントロールできるようにしておいた方がええ
と思うよ
人に任せるのも手じゃが
私のペースは私にしかわからんもんじゃし
コントロールしてる人の視点での最適ですべてが動くから
感性や考え方が違う私のペースに合うことはないんじゃよ

でも人にお願いしといた方が楽ってのも正直あるのよね・・・

確かにそうじゃのぉ
だから
どっちもできるようにしとくのが一番効率がええと思うんじゃ
人から貰えないから自分じゃ出来ませんで
ちょうだいちょうだいばかりじゃ
幼稚園児と変わらんからの
少なからず体も心も成長してきた今だったら
やり方さえわかればできるじゃろうて

駄々っ子ってことね(笑)

確かにそれで貰え続けられるんなら楽だけど、
そうじゃない時自分じゃどうしよもないってなって
立ち止まって落ち込んじゃうかも・・・
仕方ないってずっと思って抜け出せずに、
誰かが何とかしてくれるまで
ただ待ってるだけって・・・
そういう時ってずっと落ち込み続けるのよね。。。
別にそうしたいわけじゃないのに。。。

うん。
どっちもできるようにしとくってのは
精神的に健康で居られそうだね。
やり方わかればやってみたい。

そかそか
心が安定してたいって思うのは誰もが望むことじゃよな
さっきも言ったんじゃが
ひとつひとつの物事で
「感じる」ってことを意識してほしい
んじゃよ
まずは
自分の快と不快を自覚することから初めて行こうかね
なんとなくじゃなくて
ちゃんと把握
しとかにゃ
不快(ストレス)を可能な限り減らしていくって
難しいからねぇ




今日はここまでにさせてね。

今までは心構えや陥ってしまいがちな心の逃避について話してきたんじゃがやっと何をしていくかのお話に入っていけそうね。

さっきも書いたんじゃが、

自分の快と不快を
なんとなくではなくて
ちゃんと把握すること


面倒がってなかなかやらないことじゃが、
これをやらないから
自分を見失ってしまうんじゃと私は思うんよね。

私もこれに気がつくまでに何十年もかかったわ。
できればね、
なるべく早く知りたかったって思ったものよ。

ちゃんと説明してくれる人が居なかったから、
自分で方法を見つけることから何とかしなけりゃならんかったけど、
私がやってきたことで良けりゃ
是非受け取ってもらいたいんじゃ。

自己満足じゃが、
役立ててもらえたら嬉しいね。


じゃあ
良かったら明日見に来てみてくださいね。

今日は来てくれて有難うね。
また会いましょうね。




続きのお話はこちらに。
お時間ございましたら是非お読みください。


私の為に使わせていただくというよりは、 身の周りで助けてくれる人へのお礼として使わせていただきたいと考えてます。 せっかく私の為にご用意くださったものなのにごめんなさいね。 私は余生を、出来る限りの有難うを伝えて過ごしていきたいの。 気持ちを汲んでいただけると嬉しいです。