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時間の檻に幽閉されながらみる光


ちょうどこれぐらいの気温

もう秋に足をつけた涼しい夜の風に吹かれている。体温より少し高い微睡みの中でぷかぷかと浮かんでいると思い出す。

解決できそうで解決できない掴めそうで掴めない距離から、嘲笑われているそんな苦しみを抱えていた頃を。

まだ自分の見えない肩書きに苦悩を抱えて
ひたすらもがいていた日々

数年経って苦悩が別の形の苦悩に変われたことを「幸福」としても、多くの人と同じになれるわけではないことには気づくはずもない。

外気とまどろみとの中間は、普段の心のなかを身体で感じることができる貴重な瞬間である。

その時は、何もかも簡単に諦めてしまおうと思えるのだ。


苦しみ抜いた世界に、今度は自分から苦しみを与えなければならないなんて馬鹿げている。もう諦めて中途半端に生きて、僕を苦しめた人達を許してしまえば楽なのである。

そう思いながら無音な透明な世界に全身をつける。それでも、全身をつける頃には、既に体温以下の生温く肌寒い微睡みに変わってしまっている。


まるで、その選択は許されないかのように。

一つ一つが、連続したものであるけれど時間が止まっている。

僕がだけが永い時間を生きているような。不老不死のような。
世界だけは進んでいってしまう。儚くも簡単に。

あるアニメのセリフに

「愛すれば、本当の一人になってしまう」

という外の世界で愛を知ってしまった時のことを話すシーンがある。

確かに、僕の専売特許だった「人に期待する」というのは「人を愛している」ということでもあった。

もちろん作中の意味とは異なるが、人を愛したとしても自分に返ってくることはない。人を愛すれば、相手に少なからず記憶に影響を与えたり、行動に自分を映していくことを期待する。

自分自身は、自分自身を自分自身で信じられないでいるからこそ、人の記憶に残り続けたかった。人の中で少しでも自分が、ちゃんと存在していてほしかった。


傷だらけで、汚れて、いつまでも取り残されて、壊れて、それでも動き続ける人形のくせに、夢や希望、そして愛を信じ続けているごみくずな自分を、どこかで人としていた自分を残してみたかったのかもしれない。


「よく頑張っているよ」と自分を褒めても現実はぐちゃぐちゃで

「素敵な人だよ」と自分を愛しても愛されてないから下手くそで

「このままで大丈夫だと」と自分を諭しても居場所はどこにもない


それでも自分に伝え続けていくことが必要なのだね。

無駄なものを大切に持ち続けて、頑なに守ったからこそ「命」がここまで続いたということは信じられる。どんなに壊れてしまっても「いつかは愛されて」「いつかは笑える」と信じていた僕を否定してはならない。

少しづつ何かを失っていくと同時に、僕はあの頃の僕の腕を引いて、季節を巡らせてあげないといけないのかもしれない。

本当は誰かが引いてくれる手を、自分自身で手を引いていかないと。

それでも許してくれるのだろうか。

どんな形でも、どんな色でも、どんな世界でも、僕と過去の僕だけでも

許してくれるかな。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。