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デザイナーは善き人であるべきか

2月21日にTypographicaに寄稿されたコラムについて。自分も関心のあるテーマ「デザイナーの仕事と人格の線引き」に繋がる部分があり、また焦点となっている会話がドイツ人デザイナー達によるもので実際にベルリンで面識のあるデザイナーもそこに含まれていることやドイツの団体が話題に上っていることもあって面白く読みました。これについて考えたことを書いておきたいな、ついでにもしかしたら誰か他にも興味のある人がいるかもしれないと思い、稚拙ながら日本語に訳してみました。解釈や表現に間違っているところを見つけたら是非教えて下さい。

こちらがオリジナルの英語記事です。


・・・・・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・・・・・

Type Choice, Political Choice

少し前に、ある一つの難しい対話の芽が摘まれそうになったことを通して自分の中で明らかになったことがある。ユートピアなどどこにも無いこと、そしてそれが自分自身の居場所だと感じていたコミュニティだったとしても——タイポグラフィの世界にである。

2018年5月25日、崇敬されている(少なくとも私にとっては)ダッチ・タイプ・ライブラリーがDTL Prokyon Cyrillicの開発経過報告を公開した。エアハルト・カイザーによってデザインされた、完成度の高い書体DTL Prokyonの拡張版である。この投稿がエリック・ファン・ブロックランドに一つの質問を引き出させた。

「今回も同じデザイナー?」

そのコメントに続くツイッター上の会話にはちょっと混乱したが、つまるところ私が理解した限りでは、カイザーはドイツの反イスラム団体LEGIDA(レギーダ: PEGIDAというドイツ反イスラム団体のライプツィヒ支部。本体より更に過激であると考えられている)の支持者であることを公言する人物だということだ。それを裏付ける証拠となるビデオが存在し、その中で彼は国粋主義的な内容のスピーチを行なっている。その内容は私には言語の壁のため理解することは出来ないが、それがLEGIDAのオフィシャルYoutubeチャンネルの投稿だったことからも私にとっては証拠として十分だった。その映像は既に削除されているが、カイザーのスピーチの場面は別の場所や2015年の他のLEGIDAイベントでも見ることが出来る。

同年9月6日にはダッチ・タイプ・ライブラリーはプランティン・インスティテュート・オブ・テクノロジーのタイプデザイン専門クラスの展示に関するフライヤーを投稿した。このフライヤーにはDTL Prokyonが目立つ形で使用されていた。このことが更なるもう一つの露骨な問いかけを導き、それはインドラ・クプファーシュミートによるものだった。

「あなた方は本当にそのファシストであることを公言する差別主義的なヘイトスピーチの運動家のタイプフェイスを使用し広めるのが、他のダッチ・タイプ・ライブラリーのフォントや或いは学生達の作品を使うよりも好ましいとでも思っているんですか?」

良い質問だった。私はそれが返答に値する質問だと思い、その答えを待った。そして即座に最も絶望的に典型的な形で質問が被せられた。
「○○はどうなの?」
今回のケースではその対象はエリック・ギルだった。——エリック・ギル。門外漢の為に説明すると、彼は高い功績を残したタイプデザイナーであり、そして自身の十代の二人の娘達をレイプしていた変質者でもあった。

この反応は十分に予見出来るものだったが、そこに数人による短い個人的な(ドイツ語の)会話が生じることとなった。ある人達は一人の人間の政治的意見が書体選択を決定づける要因になり得るかどうかについて問いかけた。デザインに政治を持ち込むことはないし、少なくともそうあるべきだと。そう言ったのは一人だけではなかった。影響力の大きい業界の有力人物達こそそう主張した。カーニングの酷いロゴについては公に啓蒙することをはばからない彼らは、この切実でオープンに話し合われるにふさわしい対話は個人的な、非公開の場に留めるように求めたのだ。

そのことが私の心を落ち着かなくさせた。

私は若い黒人男性で、植民地時代からの人種的階層の強いカリブ諸島の国に住んでいる。自分にとってファシズムに対して抵抗すること、またその犠牲になるということは日常の大きな部分を占めてきた。私はタイプデザインの国際的な中心地からは(物理的に)程遠い場所にいる。けれど自分でその世界に進むことを決心してからは、そこで私は歓迎されているという感覚があった。タイプ&クーパーの際、そこで16時間にもなる長い一日を過ごした後私はパートナーの女性に電話をかけ、こう言った。「本当に最高の人達なんだ、タイポグラフィの人達っていうのはさ。」私は今も変わらずそう感じている。メールにすら返信をくれなさそうな人達から指導、助言そして建設的な批評をもらった。ツイッターやタイプドロワーズなどの場を通じて、コミュニティに入っていく道を見つけた。それは私にとって大切なものだ。

私達はグローバルな社会として多様性というものを原則的にも実際的にも良いものだと既に長いこと認識してきたように思える。多様性についての対話を前に進めているのは、現実世界では金銭的意義だ。別に私はこのことについてディスカッションする根拠に批判的な訳ではない。この2019年にタイプフェイスを作れることが私は本当に嬉しい。しかし自分の選んだこの世界において高く評価されるこんなに多くの専門家達の、私のような人間に切実に影響のある問題についての返答は、深刻に不安をかき立てるものだった。

全体で言えばタイポグラフィ業界は良い方向に向かっているように思う。例えばアルファベテスは少数派のグループに優先的にメンター制度を提供しているし、多くのタイポグラフィに関するカンファレンスは今では主催者やその他の個人チケットを援助することで現場に新たな人達を迎え入れようと試みている。素晴らしいことだ。けれどこの進歩が意図的に知らぬふりをすることで損なわれてしまっては厄介だ。偏見を内在化させてしまうかもしれないし、或いは知らずに通り過ぎるかもしれない。ファシストによってデザインされたタイプフェイスを使用することは、タイポグラフィ産業を、これまで特権を持っていた白人以外の人々にも開放しようと一生懸命取り組んできた人達の功績を弱体化することに繋がる。

敢えて言うとするならば、そう。ファシストに何らかの方法で利益や発言の機会を与えたり、あるいは広める行為は間違っている。私はトランプホテルのためにお金を支払うことは無いだろう、例え懐に余裕があったとしても。タイプデザインは特別な人達だけのためのものじゃないけれど、現実にはタイプデザイナーの仕事はそれが使用されることによって初めて普及される。ヘイトを表明する人達に発言力を与えることはせいぜいノーマライゼーションに寄与するかもしれないが、最悪の場合ヘイトを助けることになる。もしあなたがカイザーの意見に同意はしないけれど彼のフォントを使用するとしたら?それは十分に異議を唱えているとは言えないかもしれない。ファシズムは死をもたらす。とりわけ私のような外見の人達に。

これは自分自身の利益のためだけに主張している訳ではない。私には幸運なことに、文字と一緒に生きていく新しい人生の中で自身を育んでいくための助けになると信じられる人達がいる。しかし他にもいる私のような少数派で、ただでさえ技術的そして精神的に要求の厳しいこの職業を選ぶかもしれない人達にとってはどうだろう。ファシズム支持者によりデザインされたタイプフェイスを自覚しながらも使用し、その状況を積極的に擁護するという静かな行為は断固たる特権的な無知を語っており、そして新しい人達がこの世界に入ってくることをさらに難しくするだろう。タイプデザインで自らの素質を発揮したいと考える誰かを引き留めるには十分かもしれない。毎日数多くの高クオリティなフォントが生み出されている環境では、ある特定の書体に選択が集中する場面はどんどん増えていく。タイプフェイスの選択はただ美的要素や機能によるだけではなく、コンテクストと出典についてでもあるのだ——特にこの現代においては。言い換えると、あなたはファシストがデザインした書体を使用しなくてもよいのだ。あなた自身の選択である。

現実はこうだ。もしタイプデザインを他の業界のように包括性と多様性のために開放したければ、それは必然的にその価値を弱体化させる勢力から距離を置くことを意味する。寛容のパラドックスは、もし社会が際限無く寛容であるなら、その寛容性は不寛容によって奪われるか破壊されると述べている。2019年のタイプデザインがファシストによる蜂起に苛まれるとは思わないが、これは規律に対する障壁を解体するために奮闘する人々のおかげによるところが大きい。だがもしも誰の意見でも全ての言い分が容認されるべきであるという浅慮な仮説に道を譲ったのなら、最終的には苦しめられることになるだろう。いくつかのドアを開くためには他のドアを閉じなくてはならないのだ。

アジェイ・アーチャーはトリニダード・トバゴ出身でグラフィック、タイプ及びコードを扱うデザイナー。トリニダード・トバゴ大学でビジュアルコミュニケーションを、そしてタイプフェイスデザインをクーパー・ユニオンで学ぶ。興味の対象は言語、文化及びテクノロジー、中でもカリブに関連するもの。

・・・・・・・・・・・・・・以上、引用・・・・・・・・・・・・・・


デザインに政治を持ち込むことはないし、少なくともそうあるべきという意見については、何年も前は自分自身もそう考えていた。さらに言えばその時は、デザイナーが私生活でどうであろうと、どんな信条を持っていようと、キチガイでも、アル中で他人に迷惑をかけまくっていたとしても、良いデザインをするならそのデザインには価値があるという考えだった。それは良い仕事をする人が性根も善人で私生活も清廉潔白でなくてはならないと世の中から求められているような気がしていて、それに反発したい気持ちもあったと思う。

けれど今となっては、「デザインに政治を持ち込まない」というのは不可能だと思っている。それは社会の一員として生きる以上は、政治と無関係であることなど出来ないからだ。それこそ自分のように外国人として生きている立場では、例えば今回フォーカスされている人種差別は著者と同じように全く他人事ではなく、極端に言えば仕事が奪われ生活が出来なくなる可能性も遠からず生むのである。そうでなくとも我々はデザイナーとして仕事をする中で常に選択をし続けている。誰と、何のために、誰から資金が出て、どうやって仕事をするのかということは全て自分の選択の結果であって、記事で取り上げられていたデザイナー達のように無視を貫く、言及を避けるという態度は結局、そういう形の政治的態度を示しているに過ぎないためだ。

デザイナーの人格と仕事の線引きについて、記事に出てきたエリック・ギルの件を始め素晴らしい功績で知られるデザイナーが私生活でどう振舞っているのかに関しては表に出てくることはあまり無いし、「基本的には」その必要も無いと思う。それこそ歴代の芸術家では想像もしたくないようなレベルでモラルの欠けた怪物のような私生活を送り、一方で歴史に残る優れた作品を生み出していた人達は沢山いる。私は全ての仕事が世にでる際にその仕事自体や作者が周りによって審判を下され、断罪されるべきとは思わない。先に述べた例で言えばデザイナーがキチガイでもアル中でも問題だとは感じない。けれど唯一、抱えている問題がその業界に悪影響をもたらすものであるとしたらそこに境界線があると考えている。

エアハルト・カイザーの場合、発言力を持った排外主義者がタイプデザインの業界に存在することは著者の主張するように業界の新たな発展を阻害することに繋がると思う。エリック・ギルの場合は犯罪行為が放置されていたことそのものに問題がありそれは法的な場で断罪されるべきものであり、彼の存在が障壁になり業界を去る、あるいは新しく参入することを断念する人が出てくる訳でなければ彼の書体を使用するのは良いと思う。でも子供や人権関連の仕事に敢えてGill Sansを使うことはしないだろう。全てのデザイナー或いは書体の背景を知ることは不可能だが、自分の知ることの出来る範囲で知識を取り入れそれを仕事に活かすことは、デザイナーとしての強みにもなり得るはずであるし、依頼側からすると説得力のある豊かな表現やリスクヘッジの面から言っても頼りになる存在になれるのではないだろうか。そのためにもそういった情報について「今度飲んだ時に内輪で話す」ようにするのではなく、オープンに議論が行われ指摘がされることは良いことのように思う。

クプファーシュミートのツイッターでのポストは確かに結構不躾な表現であったとは思うけれど、実際にこうして一般にも可視化されることで自分も知らなかった情報を得ることが出来たし知ることで初めて是非を問うことが出来るので、やはり見える場所で議論がされるきっかけになったのは良いことだと思う。気になったのは記事に取り上げられたツイッターの会話の中でのエリック・シュピーカーマンを始めとする著名デザイナー達の反応である。スレッド上でわかる限り、彼らはツイッターでの短い文章で誤解を生むのを避けるために別の(非公開の)場で話すべきだと主張しているというよりは、かなり攻撃的な言い方で頑なと言えるまでの態度を貫いている。やり取りを抜粋すると以下のようなものだ。(スレッド全体はこちら。)

レイノルズ: LEGIDAの演説家の書体は使われるべきではないと思う。正直言って、業界のその世代の一流デザイナー達がそう思わないことに驚いている。
シュピーカーマン: それならエリック・ギルはどうなんだ?近親相姦の獣姦者だろ。彼の書体を禁止すればいいのか?
ベルナウ: そうやって論点をずらすことが彼の意見に対する唯一の答えか?
シュピーカーマン: 違う。残りを読め。とにかくそのライプツィヒの奴(*カイザー)には興味ないんだ。ただ無視する方が良いやり方の時もある。
ベルナウ: 読んできた。更にガッカリしたよ。
ジーベルト: まだくだらない演説の話してるの?
シュピーカーマン: そのようだ。家のパソコンの前で自分は反ナチスだと主張すれば通るらしい。自分一人の閉じた世界で他人にゴマすりしてさ。

デザイナーが仕事をする内に様々な業界に関わりが生まれ知り合いが増えることは基本的にポジティブなことだけれど、そのために触れることの出来ない内容が増えるということは頻繁に起こり得るだろう。恐らくそういったある意味ではしがらみにも近いものが多くなるに従い徐々に発言を避けるようになっていくのだと想像するが、全ての人間に良い顔をするのは不可能だ。いつかどこかで態度を決める必要がある。それが業界の未来にとって良くないと思うなら、どう扱うかは自分で選択しなくてはならない。

自分に直接不利益が降りかかるわけではないことにエネルギーを使いたくないという気持ちも良くわかる。また、消費者はどうせ書体の背景を知らないという意見もあるだろう。ここでジャスティン・ロスがコラムに投稿したコメントを紹介して締め括りたい。

(...) 全ての物事は環境が取り巻いている。もし何らかの偏見を持つ人によって作られたタイプフェイスを使っているとして、あなたのデザインがファシズムに直接的に寄与していることになるだろうか?そういう訳ではないだろう。けれどそれは大体の消費者はそのコンテクストを知らないという点にかかっている。こんなにも多くの情報が誰の手にも届く場所に溢れた現代に、そのコンテクストを見つけることはとても簡単で、誰かしらがそれを知ればあなたの「政治と無関係な」仕事はたちまち政治的なものと見なされる。例えそれが意図的であろうと、なかろうと。

もちろんデザイナーは無自覚だったと主張してもいい。そしてその主張は道徳的見地からはその状況を救うかもしれない。でももし知っていながらあなたの伝えたい目的や信念に反するメッセージを持つコンテクストをあなたの仕事に付加するとすれば・・・少なくとも慎重に決断を下すべきだろう。

切実にファシズムに悩まされることのない人達が政治に無関係でありたいがために、政治を自分の環境に持ち込ませまいとすることは本当に多い。彼らにとってそれが人種差別・ヘイトなのかどうかというのはタバコの増税や建築規制条件の変更と一緒に並んだ只の机上の議論の意味での「政治」であって、道楽なんだ。


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城下 沙緒里

グラフィックデザイナー。福岡県出身、多摩美術大学卒業後、ベルリン芸術大学大学院修士課程修了、ドイツ・ベルリン在住。�Photo by Michael Neumann

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