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若いうちにぶつかって良かった壁


読書で得た知見

大学生のとき、福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んだ。その中に今でも心に残っている話がある。

次世代の若者たちよ、他人の仕事を見て物足りないなあ、と思えば、自分でその仕事を引き受けて、試しにやってみるのがよい。他人の商売を見て、下手だなあ、と思えば、自分でその商売を試してみるのがよい。隣の家がだらしない生活をしていると思えば、自分はしっかりと生活してみよ。他人が書いた本を批判したかったら、自分でも筆をとって本を書いてみよ。学者を評しようとするなら、学者となれ。医者を評しようとするなら、医者となれ。
非常に大きなことからとても細かいことまで、他人の働きに口を出そうとするならば、試しに自分をその働きの立場において、そこで反省してみなければいけない。あるいは、職業がまったく違ってその立場になれない。というのであれば、その働きの難しさ重要さを考えればよい。違った世界の仕事であっても、ただ、その働きと働きを比較することができれば、大きな間違いはないだろう。

実力不足の自分に気づく

この話に感銘を受けた私は、さっそく行動指針として自身の生活に取り入れることにした。すると一気に無口になることに気がつく。「買い物をしたお店の接客態度が悪かった」「アルバイト先の誰某の働きぶりが気に入らない」「政治家や著名人の言行不一致が気に障る」などの思いが頭をよぎると、「果たして自分はそれらを批判するに足る人間だろうか」と自問自答する。たどり着く答えはいつも”NO”であり、結果口を閉じることになる。私は、それまで自分が発していた言葉の多くが他者への批判であったことを痛感し、それまでの自分の生き方やあり方を反省した。このままでは、立派な大人になると誓った地元の両親に顔向けできない、そう思った。

感情のやり場を見失う

私はこの行動指針を徹底した。「人に文句を言う暇があったら黙って手を動かせ。時間を無駄にするな」と自分に言い聞かせた。しかしこの方法には限界があった。自分の意見を自分で押さえ続ける状態が続き、知らず知らずのうちに我慢をしていたのである。私の中で積み重なっていた不満や怒り、無力感など、ごちゃ混ぜになった感情がある日大爆発してしまった。日常に支障を来したので、学校やアルバイトなど一切の活動を休み、最小限の着替えと一冊の本を持って旅に出た。

日常で自己研鑽を行う

①知識と技術の習得

そんな期間を経て、私は次のステップに進んだ。自分の頭に浮かんでくる様々な批判を押さえつけるのではなく昇華させる術を習得する必要があった。まずは一つ、自分が関心をもつものに対する知識や技術を身につけることにした。知識や技術が伴えば、中身のない批判は「建設的な対話」と化すからだ。

②執着心を手放す練習

次に、執着心を手放す練習である。知識や技術をすぐに習得できないような領域、つまり自分の手が届かない領域のことで頭を悩ますのは、時間と労力を浪費し、無意味とまでは言わないものの非効率的もしくは優先度が低いという考えからだ。これには哲学・宗教(主に仏教)が大いに役立った。とりわけ「一切皆苦」や「諸法無我」といった四法印は、数多の煩悩を凌駕した。

③人生を捉え直す

最後は、自分の人生の再定義。知識や技術を養い執着心を手放すことで、集中すべき物事が明瞭になる。そこで、改めて自分の生き方やあり方を見つめ直すこと。禅語に「自灯明」という言葉がある。言い換えれば「自分自身を頼りとして生きなさい」という意味。いつだって頼りになるのは自分なのだ。倒れても自分で起き上がれるだけの知恵と胆力、そして志をもっておきたい。柔道で最初に受け身を習うように、人生においてもなるべく若いうちから、上手な転び方と起き上がり方を身につけておきたい。

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