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人生学をつくりたいと考えて4年が経過したので一旦振り返る

2020年の1月、私は、生きづらさを乗り越える術を身につけるための学問「人生学」をつくりたいという記事を書いた。あれから4年間、自分なりに色々行動した。全然まだまだ道半ばであり大きな成果はないが、一度振り返ってみようと思った次第。

この記事は、VUCA時代(物事の不確実性が高く、将来の予想が困難な時代)に個人が力強く生きていく術を養う学問の必要性を説いたものだ。そしてそれは、現代の企業経営(特に企業倫理やIRの観点)から波及して生み出せそうだという個人的な意見だ。

記事を書いた当時は神田にある明治大学大学院商学研究科に聴講生として通っていた。家無し、職無し、金無し。200万以上の奨学金という借金あり。そのため交通費すら勿体なく、どんな悪天候でも、居候させてもらっていた姉の家から自転車で1時間ほどかけて行っていた。道中坂も車も人も多く大変だったが、今思えばこの自転車通学のお陰で、不慣れだった東京の土地勘が身についた。渋りながらも居候を受け入れてくれた姉には感謝しているが、そこまで年齢が離れているわけでもなく当然一部屋。毎日邪魔者扱いで、また自分としても相当に申し訳なく感じてしまい、関係性は良好とは言えず苦しい日々だった。

自暴自棄にならずにいられたのは、自分の中で目指すべき北極星が見えていたからだった。私は、企業倫理という学問に「人生学」への活路を見出していた。

4年制大学を卒業したものの現役就職はしなかった。自分にとって重要なことではなかったからだ。単に就活から逃げた、という見方をされることもあるが、それは違う。むしろ周囲よりもモチベーション高く、3年生になった頃には動き出し数々のインターンシップに参加していた。どちらかといえば”意識高い系”だった。そうして考えながら動く中で、自分の人生と向き合い、命の使い方を検討し「人生学の確立」という大仰な目標を立てたうえでの決断である。

以来、この大志を胸に、意思決定と行動を起こしてきた。卒業論文のテーマに企業倫理を選んだのも、東京に出てきて大学院で企業倫理を聴講したのも、北極星を目指した結果である。

企業倫理を受講し終わった後は就職活動をした。面接官からすれば私は有名私大を卒業しておきながら謎のブランクがある青年であり、さらに正体不明の感染症が拡大している時期である(後に「新型コロナウイルス感染症」と名付けられる)。経済活動が停滞し始める中、企業側は採用活動に慎重になっていた。また都合が悪いことに私はかなり口下手である。まさに逆境だった。どこでもいいから雇ってくれという気持ちにもなったが、自分の人生だ。投げやりにはなれなかった。できることを粛々とやろうと、人材会社の仲介とハローワーク経由での応募に加え、自分の手元にある本を出している出版社をリスト化し、募集情報の有無に関わらず履歴書を書き送り続けた。

結果、会社経営者を著者とした本を作りブランディングサポートを行う出版社にアルバイトで入社した。社員登用制度を利用し、最短で正社員になった。3年後に退社するまで所謂”お局”たちに散々な扱いを受けたが、私には大志がある。「大志がある」という揺るぎない事実は、どんな苦難にも屈しなかった。他人にちょっと批判されるぐらい屁でもない。なぜなら、私の大志の先では、今を生きる人たちだけでなく、これから生まれてくる人たちの笑顔が待っているからである。そう信じているからである。重みが違う。いつの間にか、大抵のことは笑って流せるようになった。

実は入社間もない頃、ついに姉から追い出された。流れは詳細に覚えてないが、昔のバイト先の先輩と渋谷で一緒に住むことになった。当然引っ越しは全部自分でやった。決して近い距離ではない中、何往復もした。敷布団を抱きかかえて電車に乗り、スクランブル交差点を突っ切った。変な目で見られたかもしれないが、自分のことで精一杯だった。六畳一間、180㎝前後の成人男性二人の生活が始まった。家具は備え付けの冷蔵庫と洗濯機、テレビ台とテレビ。あとはお互いの炊飯器のみ。カーペットも椅子もテーブルもない。経験はないが見た目は刑務所のような質素な暮らし。当然、殆どの荷物は置き場もなく処分した。特に姉に嫌がられていた1000冊以上の本も捌いた。この身一つで生まれてきて、この身一つで死んでいくのだ。物や過去の実績に執着する人間でありたくなかったので、丁度いいきっかけだった。近所の会員制Barに通ったり、ベランダでタバコを吸ったり、トランプで遊んだり、罰ゲームで一発ギャグをしたり、動画を撮るわけでもなく駆け出し貧乏YouTuberのような毎日。途中すれ違いもあったが、平凡な日々を自分たちで楽しもうと過ごしていた。かけがえのない時間だった。

そんなこんなで、まとめれば、大学で企業倫理と出会い、大学院で理解を深め、出版社で多くの経営者と関わってきた。プライベートも平坦な道のりではなかった。朝4時半起きだったり、週7勤務だったり、スーパーでレジ打ちや品出しをしたり、茶道の世界で生きていこうと先生に弟子入りを申し込んだこともあった。

現在はIR支援会社に所属し日々上場企業の経営動向を追っている。「上場企業の動向を追う」ということは、すなわち資本市場について知ることであり、日本ひいては世界経済を知ることであり、政治を知ることでもある。企業の財務情報と非財務情報に目を向け、これらを読み解き、未来へ向けて打ち出していけるだけの、知識と技量が求められる。

今は、得た知見を自分なりに積み重ねている段階。日々学び。日々鍛錬。時折、人生学の講義をするつもりで資料を作成している。情報収集と整理、そしてコンテンツの制作期間。すべては最終目標である「人生学の確立」を見据えたものだ。

ある有名な言葉がある。

Believe you can and you’re halfway there.
自分ならできると信じれば、もう半分は終わったようなものだ。

アメリカ第26代大統領 セオドア・ルーズベルト

目標に固執してしまい大切なことを蔑ろにしてしまう、という話も多い。そうならぬよう「何のために人生学を確立したいのか」真の目的を自問自答し続けよう。

他の記事でも触れているように、私にはHSS型HSPやASDなど、生きていく上での”障害的要素”がある。しかし大志のある世界では「障害だから」は通用しない。現在地がどこであろうが、北極星に向かって進み続けるのみである。早い遅いは関係ない。ただ一歩、1ミリでも、どうにかして進み続けるだけである。私はそこに生きがいを見出すのである。

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