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【連載小説】息子君へ 111 (25 かわいがられすぎていいことなんてないんだよ-4)

 君は俺の母親の話をどんな気持ちで読んでいるんだろうね。せっかく頑張ったんだから、もっと一緒に喜んであげるようなことをすればいいのに、素っ気なさすぎるんじゃないかと思っているんだろうか。
 けれど、俺は全然そんなふうに思っていなかったんだよ。俺はほめられなくてよかったと心底から思っている。ほめられたいからするんじゃなくて、自分がしたいからするとしか思っていないままで子供時代を過ごせてよかったなと思っている。そして、自分のやったことがよかったかどうかは自分が決めることだとなんとなく思っている子供でいられて、本当によかったなと思っているんだ。
 俺の母親は、俺がひとからほめられるようなことをしたときも、すごいねとか、えらかったねというようなほめ方をすることがなかった。結果ではほめないというのを決めていたのかもしれないし、思い上がったやつにしてはいけないと思っていたりとか、弟とのバランスを考えたりというのもあったのかもしれない。弟より俺の方が活動的な子供だったし、物怖じも少なくて、思い切りもよかったりはしたのだろうし、そうすると、どうしても俺の方がよいエピソードも悪いエピソードも多くなるし、小学校での活動で賞をもらったりすることも多かったりした。目立つか目立ちにくいかの違いなんていうのは、子供の頃は特に性格的なものでなんとなくそうなっているだけだったりするし、兄弟の不均等が大きくなりそうだったら、よかったねというくらいで、ほめようと思えばほめられることでも、特にほめないままにしていたことも多かったのかもしれない。俺がたくさんほめてもらえないことを不満に思ったりしていないのはちゃんと感じていたのだろうし、だったらむしろ、無理にほめて、無理に思い上がらせることもないだろうと思っていたのだろう。
 そして、それで不満がなかったのだから当然なんだろうけれど、俺は親からけなされたこともなかった。頭が悪いとか、どんくさいとか、近所の他の子供はどうなのにあなたは全然そういうことをしてくれなくて悲しいとか、出来の悪い子だというようなニュアンスの物言いをされた記憶がない。俺の育った頃だと普通のことだったけれど、俺も嘘をついたりすれば叩かれたし、それは平手だったり、スリッパだったりとか、怪我をさせない程度に、ある程度痛みを与えられるようにと叩かれたりはしていた。けれど、親から意地悪なことを言われたことは一度もなかったのだろう。嫌な気持ちにさせようとしたり、悲しい気持ちにさせようとしたり、自分の言うことを聞くしかないことを思い知らせるために何かを奪おうとするか、そういう自分が思うように従わせようという悪意からスタートする行為を向けられたことがなかった。
 俺は親が言っていることをいつでも真に受けて鵜呑みにする子供だったけれど、それは親に嫌な気持ちにさせられることがなかったから、親から傷付けられないように、親の感情を遮断する習慣がつかなかったということなのだろう。共稼ぎとはいえ、一緒にいる時間はいつも遊んでもらって、いつもちゃんと相手をしてもらっていたのだし、そのうえ嫌なこともされなければ、何かを不満に思うわけがないし、ほめられなくてもそれが普通だと思うものなのだろう。
 そもそも、親子の間では、ほめて喜ばせることが必要になる状況などないはずだろう。みんながやるようなことはやらせつつ、家族として一緒に生きていくうえで許容できないことをしたときに、それが許されないことなのだとわかるまで教えてあげることと、他人とみんなで楽しくやっていけるように、自分勝手にならず、みんなの気持ちを尊重することをだんだんと教えていくだけでいいはずなのだ。それ以外には、ただ子供がしたいことをできて、これはどういうことなんだろうとあれこれ思いながら手探りしている時間が充実したものになればいいというだけだろう。そして、俺の親はそんなふうに見守ってくれていたんだ。
 何でも欲しいものを与えてくれたわけではなかったし、ダメなものはダメだときっぱりした態度は取られていたし、べたべたとはかわいがってもらわなかったし、何かにつけてすごいねとほめてもらっていたわけではなかった。けれど、そのおかげで、俺はおべっかにうれしくなる習慣を身に付けないままで大人になることができたのだ。
 俺は子供時代を通して、親からだけではなく、特に誰からもほめられたいと思ったりしないままで過ごしていたように思う。それこそ、小学校の書道コンクールでも、粘土造形とか絵画コンクールでも、いろいろクラス内で金賞をもらったり、神戸市の何かで入選したり、兵庫県の何かで入選したりしていたけれど、賞を取りたいと思って取り組んでいたことはなかったし、それは賞をもらったあとも同じだったし、そもそも賞をもらって朝礼で表彰されたときも、みんなの前に出るのに緊張したくらいで、たいしてうれしかった覚えもないし、表彰状を渡されるときに自分の名前を言い間違えられて、もらった表彰状も自分の名前が漢字が間違っていて、あとで書き直してもらったことくらいしか覚えていない。
 きっと、少年野球団でもっと打ちまくったりできていれば、そのあたりの感覚も違ったのだろう。絵画や書道はやらされたものを適当にささっとやって、たまたま賞をもらっただけで、みんなそんな賞のことはどうでもいいし、俺もどうでもよかった。野球はみんなでやっていたし、自分がチームで一番打てて、自分の打点で勝てた試合も多かったりしたら、みんながすごいと言ってくれて、自分でも頑張ったかいがあったし、次も打ってみんなにすごいと言われたいと、いい気になりながら、野心のようなものが育っていったのかもしれない。
 けれど、俺は少年野球団ではそういうわけでもなかった。そして、中学も高校も部活をしなかったから、ひとからすごいと思ってもらったこともないし、すごいと思われたいと頑張ることもないままになってしまった。俺はほめられたいという気持ちがあまりないまま思春期に入って、自分はすごいんだという気持ちも芽生えないままで、何をするときもほめてもらえるかもしれないという気持ちが希薄なまま生きてきたのだ。
 ずっとそうだったんだろうなと思う。小さい頃は誰にほめられてもあまりぴんとくることがなくて、中学高校と特に誰からもほめられることがない六年間が過ぎた。そして、もうそこでものの感じ方がある程度固まってしまった。いまだにほめられても、相手がほめたくてほめているということを感じるだけで、ほめられてうれしいとか、そういう感情は浮かばない。ただ、相手がいい気持ちを向けてくれていればそれは伝わってくるし、すごいよねとか、面白かったとか、顔が好きとか、そういうことを言われてじーんと来ることは何度もあったけれど、それは気持ちに気持ちが反応していただけで、ほめられてうれしかったわけではなかったのだろう。よくある言い方に、気持ちだけいただいておくというのがあるけれど、適当にほめられているときには、気持ちだけいただこうと思っていたら気持ちがないから、ということは相手の自己完結かと思って、ほめている自分にいい気になりながら空回っているひとを眺めて、なんだかなと思っていることが多かった。それは大学に入っておべっかを言われる機会がちらほら出てきてから今までずっとそうだったのだと思う。

 君だってそれで何も困らないはずなんだ。ほめられても、そのひとがほめたかったんだなとだけ思っていればいいんだ。自分がほめられたと感じるのではなく、目の前で現実に起こっている通りに、相手がほめたいと思ってそうしてくれているとだけ思っていればよくて、ほめられたからって、君は自分がほめられるようなことができた自分になれたと感じる必要はないんだ。相手がほめることを通して何かを伝えようとしてくれているのならそれを受け止めればいいだろうけれど、ただほめているだけっぽいのなら、何を伝えようともしていない挨拶程度のマナー身振りだと思って受け流しておけばいい。
 ほめられているから機嫌よくしていられるのも不自然だし、ほめてもらえないからと不満を溜め込んでいるのも不自然だろう。日々それなりに自分のやりたいことをできていて、ひとに何かやってあげたり、一緒に何かを楽しんだりできているから、それで充分に満足しているというのが自然な状態なんじゃないかと思う。
 ほめられることに慣れて、ほめてもらいたがるひとになってしまうと、それは他人からしたときには、ほめられたがりの面倒くさいひとでしかなくなってしまっている。もちろん、その逆に、ほめてもらえなくて、ほめてもらえるのを羨ましく思ってばかりいても、君のお母さんのようなほめられたがりになってしまったりする。それは家でゲームを厳しく禁じられていた子供が、ある程度の歳になってゲームが解禁されると、普通以上にゲームばかりする子供になってしまうようなことと同じなのだろう。けれど、君のお母さんはほめてもらったりわかりやすくかわいがってもらえなかったから悲しかったわけではなく、嫌なことをされていたから悲しくて、嫌なことをされていたから、かわいがられている他の子供が羨ましかっただけなんだ。俺は嫌なことはされていなかったし、心から安心して毎日を過ごしていたし、友達の親を見ることがあっても、自分のお母さんがお母さんでよかったといつも思っていた。そうしたときには、ほめられなかったことがマイナスに作用する要素なんて何もないんだ。
 俺は親からわかりやすいほめる言葉をかけられてこなかったから、ある程度の歳になったときには、おべっかを言われるといつも少しびっくりしてしまうようになっていた。わざわざそんなことを言わなくてもいいだろうにと思って、気味が悪かったりすることも多かった。それは多分、俺には気軽にほめられて、気軽にその言葉にリアクションを返すという習慣がついたことがなかったから、そういうことを言われるたびに、わざわざそんなことを言うのはどうしてなんだろうという観点でそのひとから伝わる感情を確かめてしまっていたことで、不純だったり不自然なものばかりを感じ取ってしまっていたということなのだろう。
 けれど、俺からするとわけがわからないけれど、世の中には、いつもひとからほめられる準備をしているかのように、ほめられると、ほめられ方も気にせずに即座にうれしそうにするひとたちがたくさんいる。ちょっとした口ぶりから、まわりにいるひとたちに対してもっと自分をほめたっていいはずだろうと思っているのを感じて、おいおいと思ったこともたくさんあった。そういうひとというのは、自分がちょっとその気になって何か言ったとき、それに対して自分と違う意見を言われると、非難されたわけでもなくても気分を害すことが多かったりして、鬱陶しいなと思うことが多かった。
 どうしたらそんなにみっともない態度を取れるんだろうかと思っていたけれど、そういうみっともないひとたちというのは、もしかすると母親に甘やかされ続けて、何もしてなくてもすごいと言われて、何を言っても、そうだねすごいねと言われていて、そういう時期にできあがった感覚をずっと引きずっていたりするんじゃないかと思ったりもする。生まれてからずっと全面的にひたすら甘やかされ続けた場合には、そこには自分と他人との対等な関係性がなくて、自分の思い通りにいったらいい気分で、そうじゃなければ不快な気分になるというだけしかなくて、他人がどうとかではなく、自分がうまいことやって自分をいい気分にさせてくれる状況をなるべく確保するというのが人生になってしまったりとか、そんなことすらありえるのかもしれないと思う。
 もちろん、自分の行きたいところに行って、自分のやりたいことをやるようになれば、他者との出会いとか、他者から何かを学ぶとか、自己実現のようにして何かを伝えようとしたり、何かを作り出そうとしたりとか、そういう経験の中で、自分がいい気でいられればそれでいいというのとは違うものの見方というのが身に付いていくものだったりはするのだろう。けれど、小さいときに他人に興味を持てない種類の自堕落な甘やかされた子供で、そのまま誰にも何にも特別な興味を持つことなく、まわりがやっている楽しげなことを同じようにやって楽しげな気分になるくらいで満足しているだけの人生になったケースというのはそれなりにあるのだろうし、そこから抜け出せないままになるケースもそれなりにあると考えると、やっぱり親が甘やかしすぎるというのは社会全体に対して有害なことなんだろうなと思う。
 どれだけ時代が変わって男女関係とか夫婦関係も変わったと言われていても、現実的には、今でも結婚してみたら旦那が家事や子育てに積極的ではないとか、ほんの少し手伝って満足していてほとんど負担を分担してくれていないとか、そういう不満についての情報ばかりが発信されている。
 今の母親世代だって、娘以上に息子を甘やかしまくっているのだろうけれど、ここ十年くらいで結婚して配偶者に不満を持たれている男たちが育てられた頃はもっと甘やかされていたのだろう。男女の違いを役割の違いだと思ってはいけないとも教えられていない場合が今よりもっと多かったのだろうし、父親が母親にえらそうにしているのを母親が当たり前に受け流しているのを見て育ったひとも多かったのだろうし、父親が家事を手伝う姿すらほとんど見たことがない子供も多かっただろう。
 どれだけここ数年で家事や育児を家庭内で不平等感がないところまで分担するのが当たり前のことで、家庭内のことは奥さんがやることだと思って家の中でふんぞり返っているのは時代遅れなみっともない男だということが多くのひとの目に触れるところでひっきりなしに言われるようになったからといって、十年後の新婚家庭はマシになっているだろうけれど、今すでに成人している男たちの大半は、家で何もしなくていいひととしてひどく甘やかされて過ごしてきたわけだし、男女で不平等感がないように気を遣いながら振る舞ったり発言できないとバカ扱いされる経験を思春期から繰り返してきたわけでもないのだ。どれだけニュースや記事でそういうことがたくさん発信されるようになったからといって、現実に自分が非難されて自分の認識の間違いを認めさせられる経験をしていないひとは、ただニュースを見ただけではほとんど何も感じていないのと同じなのだし、自分の家に奥さんと住むようになったからといって、自分の家では甘やかしてもらって当然というような気持ちになってしまうのだろう。
 けれど、男が近年家庭内の仕事の分担で非難されているのは、男が甘やかされて育っているからではなく、男女ともに甘やかされて育ってくるようになったからでもあるのだろう。そして、それはずっと昔からのことで、一九六〇年の断層のよりあとに育ったような、親から家事を教わらずに母親になった女のひとたちは、もう何十年も前から、家族のために自己犠牲的にできるかぎりのことをしてあげるつもりになることはできなくて、自分の気分次第でしか家事をできなくなっていたわけだし、その傾向は年々強まっただろうし、そこに共働きの家庭の比率もどんどん高まってきたのだ。男女ともに自分は甘やかしてもらっていいはずなのにと思っている状態で結婚して、親になっていくのだし、特に共働きのひとたちからすれば、自分ばかりがやってあげる側になるのが我慢ならないのは当然なのだろう。
 けれど、だからといって、今子供を育てているひとたちにしたって、かなり多くは子供を甘やかしまくっているのだろうし、その子供も、大人になったときには自分は甘やかされて当然だと思っている人間に育つのは今と同じなのだろう。そこはどうしようもなくて、けれど、これから大人になっていくひとたちについては、ひたすら甘やかしてもらって好き勝手なことをさせてもらえるのが一番いいと思っている同士としてしか男女で一緒に暮らしていくことはできないということをわかったうえで恋愛したり、結婚を考えたりするようになるのだろうし、そういうつもりで共同生活をするひとが増えるから、世代が変わればマシになっていくという感じなのだろう。
 俺が付き合ってきたひとたちのことを考えてもそうだし、女のひとたちだって、充分甘やかされて育ってきていて、実家で家事の手伝いなんてほとんどしていなかったひとたちばかりなのだろう。ひとりになったとしても簡単なものなら作るのに困らないくらい程度にでも、実家で料理を教えてもらったひとなんて、女のひとでも二割もいないのだろう。もちろん、それは娘の側の問題でもなくて、そもそも今の新婚の女のひとの母親が、実家にいる間は母親から料理を全く教わっていなくて、料理学校に真面目にそれなりの期間通ったひとだってほんの一握りで、特に都会で暮らしてきたひとなら、軽く過半数を超えるくらいが、一人で適当に何かを見て料理して、よくわからないなりに適当に料理するのに慣れただけで料理してきたひとなのだろう。そして、その中で一部のひとたちは、自分が思ったような味にできるコツみたいなものをつかんでいったり、料理が楽しくなったり、楽しくはなくても美味しいものを作れて、家族が美味しいと言ってくれるから満足しながら料理をしていたのだろうけれど、むしろそういう家庭の方が少ないくらいで、ずっと思ったように料理できないままで、料理に苦手意識があって、実際あまり美味しくないものを家族に食べさせ続けてきたり、買ってきたもの中心で食べる習慣ができてからは、極力自分では調理しないようにしたものを家族に食べさせてきたひとたちがとんでもなくたくさんいたのだろう。そして、今の子育て世代の母親というのは、そういう親に育てられたひとたちなのだ。




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