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アスペルガーな私のやらかし人生#2 発達障害のカミングアウト

ついに自分に診断名がついた

2021年夏、QEEG検査によりASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)のグレーゾーンと診断された。

仕事ができているからという理由で「グレーゾーン」と診断されたが、「軽くはないですよ」と医師はさらっと言った。私の脳波にはASDとADHDの特徴が強く出ており、ADHDよりもASDのほうがより強く出ていた。
脳の左右バランスも処理状況も悪くない。頭の回転は速いのにADHDのせいでスムーズに処理できていない。脳のポテンシャルは非常に高いが、それを活かしきれていないのだそうだ。あぁ、だろうね!

さて、グレーゾーンとはいえ、自分に「発達障害」という診断名がついた。
これは生まれつきの特性であって病気ではないので、絶対に「病名」とは言わないことにしている。
ただ、「障害」という名称がついているだけに抵抗感のある人もいるだろうなと思う。だから、これをどう人に伝えるかについては、とっても気を遣う。それに、目に見えない障害を人に伝えるなんてことは難題でしかない。

発達障害を持つ者にとってストレスフルなイベント。
それがカミングアウトだ。

世の中は、残念ながら理解のある人ばかりじゃない。
むしろ、その逆。理解してもらえるなんて思わないほうがいい。
絶対に期待してはいけない。
そもそも、当事者でない人たちに当事者の苦しみが理解できるはずなんてないんだから(理解しようとしてくれるやさしい人たちはいるとしても)。

私はそれを肝に銘じて生きてる。
そう割り切るほうがずっと楽だ。
はじめから期待せずにいれば、誰かのリアクションにいちいち一喜一憂することもないのだから。

人気漫画『リエゾン』で描かれたカミングアウト

漫画や小説などで発達障害を扱った作品も増えてきた。
そのなかでも『リエゾン ―こどものこころ診療所―』(原作・漫画:ヨンチャン、原作:竹村優作)は、TVドラマ化もされて話題を呼んでいる。発達障害を抱える児童精神科医の奮闘を描いた医療漫画だ。

この作品の、カミングアウトのシーンが好きだ。

志保先生が学生時代のバイト仲間に久しぶりに会うことになり、そこで自身の発達障害をカミングアウトする決意をする。
自分のやらかしで迷惑をかけたことの理由を、ちゃんと伝えておきたくて。

しかし、仲間から返ってきたリアクションは……。

「まあでも、みんなある程度はそうなんじゃない?」
「あんまり障害とか重く考えることないって」
「多かれ少なかれ、みんな同じように苦労してるんだから」
「いちいち発達障害のせいにしてたら、成長できなくなるんじゃない?」

『リエゾン ―こどものこころ診療所―』#14カミングアウト②、#15 カミングアウト③より

私、何を期待してこんな話したんだっけ?
戸惑う志保先生。

わかる、めっちゃわかるよ!
だいたいこんなリアクションされるよね。決して悪気はないってわかってる。それでも、こんな言葉が返ってきたらすっごいモヤモヤするんだ。

そして、志保先生は仲間たちの目の前でカバンの中身をぶちまける。

支払いを忘れていたガス料金の通知。買ってからずっと入れっぱなしになっていた電池(しかもサイズ違い)。砂やお菓子のカス。リップクリーム3本。ドラえもんの四次元ポケットか! ってなくらいに、出るわ出るわ。
そして、数々のやらかし極上エピソードが語られ……

「これって普通なんですよね? みんな同じですよね?」

その後の志保先生のセリフがまた秀逸。発達障害を持つ私たちの気持ちを見事に言い表してくれている。

みんなが少し苦手なことがものすごく苦手で
気をつけても気をつけても頭から抜けてまた失敗して
その度に怒られるのも回数を重ねる毎に呆れられるのも辛いですけど…
みんなと同じ悩みに見えちゃうのも本当はきついです…

普通になりたくて努力したのに、もともとみんな同じなんて言われたら、これまでがんばってきたことが全部否定されちゃうみたいだから
「普通」じゃくくれない大変さがあることを、私たちはただ知ってほしかったんです

『リエゾン ―こどものこころ診療所―』#15 カミングアウト③より

ただ知ってほしいんです。
理解してほしいなんて贅沢は言いません。
知ってください。そして見守ってください。
もし可能であれば、寄り添ってください。

それが、私たちの想い。
たぶんきっと、そういうこと。

カミングアウトしてうれしかったこと

私が発達障害をカミングアウトしたのは、ごく親しくさせてもらってる友人と、仕事関係だけで、あわせて4人くらい。

職場でいちばん仲良くさせてもらっていた、ひとまわり以上年下の男性社員にカミングアウトしたときのこと。

ちょっと驚いたリアクションを見せた彼。それが私にとっては意外だった。
彼は私のことをよくわかってくれていたから「あ〜、やっぱりそうだったんですか〜?」みたいなノリの反応があるかもなんて勝手に思っていた。いや、常識ある大人の男性が、年上女性に対してさすがにこんなリアクションはしないか。失礼。

発達障害についての知識が少しあるようだったので、話は早かった。
「じゃあ今後、どういうふうに接してほしいとか何かありますか?」
と聞かれて、
「曖昧な表現が理解しづらいから、具体的に指示をしてほしい」
とか答えていると、
「それじゃ、これまでと変わらないですね!」
と彼は言ってくれた。

そう、彼は私の仕事上の困りごとをずっとフォローしてくれていた。
もっと主体的・能動的に動いてほしいと言われてもどうすればいいのかわからない私に、具体的な指示がないと動けない私に、とてもやさしく親切丁寧に、時に厳しく。困ったことやわからないことがあれば彼に相談すればなんでも応えてくれる。この職場に勤めて6年ほどになるが、彼がいなければ私はここまでやってこれなかったと言い切れる。彼には感謝しかない。

彼はいつも、どんなことでも私が理解できるようわかりやすく噛み砕いて説明してくれた。それなのに理解できなくて、自分の理解力のなさに「理解力なくてごめんね」とこぼしたことがある。すると彼からこんな言葉が返ってきた。

「理解力ないなんて思ったことないですよ。1回でわからなくても2回説明すればわかってくれるじゃないですか。わからない人は2回説明しても何回説明してもわからないですからね」

このとき、涙が出そうなくらいうれしかったんだ。いや、もうすでに涙目になってた。
ずっとずっと「お前はほんまに理解力がないな〜」って言われてきたから。

彼は大阪人ゆえか、まったく表裏のない人だった。こんなに年が離れてても、分け隔てなく接してくれる。私がしょうもないミスをしたときなど、ダメなときはダメとしっかり叱ってくれる。
正直、きっついわぁ〜って凹んだりすることもあったけれど、こういう人柄だったからこそ私は彼のことを信頼していた。そんな彼がくれた言葉だったから、なおさら胸に響く。

そして、私に障害があろうとなかろうと何も変わらず接してくれることが、めちゃくちゃ、めちゃくちゃうれしかった。

カミングアウトの後、これまでいろいろと助けてもらったお礼をあらためて言って、「これからも、いままでどおりよろしくね!」と彼に伝えた。
やることはほぼ変わらないのだけれど、彼が私の特性を知ってくれたことで、その後の仕事がとってもやりやすくなったことは言うまでもない。

もうひとり、私の直属の年下上司にもカミングアウトした。けど、こちらは思ったより薄いリアクションだったのでちょっと淋しかった。ま、いいけど。

休職するにあたっての心残りは

私にはこんなに心強い味方がいたし、職場環境も申し分なかった。周りもみんないい人たちばかりで、人間関係のストレスやわずらわしさを感じることはほぼほぼなかった。これ以上の恵まれた環境はないと思う。そう、私はこの職場が大好きだった。
しかし、肝心の仕事内容が残念ながら私には合わなかった。合わない仕事を無理してがんばり続けてしまった結果、適応障害で休職するに至った。

もしかしたら、私が休職したことで彼が責任を感じていやしないだろうかと心配になる。彼には本当にとてもよくしてもらったのに、上手く応えられなくて申し訳ないことをしたなと思う。
もちろん、彼が責任を感じる必要なんてこれっぽっちもない。これは私自身の問題であって、誰も悪くない。

心残りは、彼を含め職場のみんなにちゃんと挨拶できなかったこと。
残されたタスクの消化と引き継ぎに必死で休職前はバタバタだった。心身ともにギリギリの状態でやっていたから、それどころではなかった。あのときは本当に病んでいたんだな。平常を取り戻せたいまやっと、冷静に自分を客観視できるようになった。

いつかきっと、みんなにお礼を言いたい。ありがとう、って。
それまで、待っててくれるかな?

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