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物事を継続していると開眼する時が必ず来る 誹謗中傷を繰り返す人は自分の人生で結果を出して来なかった

物事に対して中長期的に一生懸命取り組んでいますと、必ず壁を超える実感を経験することができます。この体験は子どもの頃から経験しておかないと、大人になってから困るかもしれません。なぜなら、物事に一生懸命にチャレンジして結果を出すことによって、自分を好きになることができるからです。そして、自分に自信を持つことができるからです。

現実社会でもネット社会でも誹謗中傷を繰り返す人たちの共通点の一つは、結果を出す人生を送って来なかったことです。彼ら彼女らは、自分たちに自信がなく自分たちのことが大嫌いです。そしてその自覚がないまま他人を攻撃します。この攻撃のためのエネルギーは、本来自分の自己成長のために使うべきものなのです。

今回は、物事に一生懸命に取り組んで結果を出すことの大切さについて書きます。なお、記事冒頭で「中長期的に」と書きましたが、対象によっては1~3か月未満で結果を出せることもあります。

子どもの頃からいつも一生懸命だった私

私は子どもの頃から何をやっても「不器用」でした。

ですが、そんな私でも物事に対して一生懸命取り組むことによって、普通以上の結果を出すことができていました。

自分で言うのも変ですが、私はいつも生真面目でした。今考えますと、その真面目さが不器用な部分を補っていたようです。

なお、当時の私は頭が悪かったのでそれで良かったのだと思います。大人になって多少賢くなれば、頭も手先も器用になっていくものです。

凡人の自覚

一部の天才を除き、私たち人間の多くは凡人です。その凡人の自覚があれば、物事で結果を出そうと思った時に全力を尽くすしかないことに遅かれ早かれ気が付くものです。

しかし、世の中にはこの自覚と気付きがないまま大人になる人が大勢いるようです。

凡人も天才も一生懸命取り組むしかないです。凡人は努力をして必ずしも成功するわけではありませんが、その他大勢から抜き出るためにはそれしかないのです。

なお、いつも結果を出している人は、自分が努力している自覚がないと思います。なぜなら、一生懸命が習慣になっているからです。歯磨き同様に習慣とは、努力の積み重ねではなく自然とできるようになることを言うのだと思います。

妬みと嫉みと僻み

一生懸命に生きて来なかった人は、日々、妬(ねた)みと嫉(そね)みと僻(ひが)みの人生を生きています。

そして、その鬱憤を晴らすために、常に他人を攻撃しています。このようなタイプの人間は、努力して来なかった自分を認めることができないのです。

また、自分自身を高めることに、時間と労力を注ぐことができません。こういう人たちは人間としては底辺に属する、と私は思っています。おそらくチンパンジーや猿により近いホモサピエンスです(笑笑笑)。

ですから、私はこのようなタイプの人間を100%無視します。彼ら彼女らは思考力が極めて低いので、説明しても絶対にこちらの話を理解できません。自分自身を変えることができない人に対して自分のエネルギーを使うことは、時間の無駄です。

なお、私はたまにnoteの中でブロックしたりフォローを外したりしますが、その人たちの共通点は、「この人は今後も変わらない」と思った人たちです。気づきや学びがない人と円滑な人間関係を築くことは難しいです。noteの世界は現実社会よりもずっと希薄な社会ですので、フォローにこだわることは間違いだと思います。私の場合、短期間で3度以上不愉快なことをした人は、必ずその対象に入っています。私は短気ではないので、1回や2回程度での不満では軽率な行動をしません。

「妬み」と「嫉み」と「僻み」の違いを分かりやすく言うと、「妬み」は相手に対する感情を表現する時に使い、「嫉み」は自分に対する感情を表現する時に使い、「僻み」は自身の思い込みを表現する時に使うという違いです。

「妬み」と「嫉み」と「僻み」の意味の違い

「妬み」という言葉は、「同僚の昇進を妬みやっかむ気持ちは非常によくわかる」「有名人は妬まれることも少なくない」などの使い方で、他人が自分より優れている状態をうらやましく思って憎む気持ちを意味します。

「嫉み」という言葉は、「妬み嫉みを買ってしまう」「妬みであったり嫉みであったりは悪いことばかりではない」などの使い方で、他人の幸せや長所を羨む気持ちを意味します。

「僻み」という言葉は、「彼女は僻みっぽいため誰にも何も訂正されなくなった」「僻み根性を直すために友人に相談した」などの使い方で、ひねくれた考えや気持ちを意味します。

「妬み」と「嫉み」と「僻み」の使い方の違い



私の最近の開眼

私のnoteにおける愛読者はほぼ全員ご存知だとは思いますが、私の英会話学習は今年で12年目に突入しました。

この道のりは非常に長く険しいものでした。正直なところ、このような厳しくて困難な選択をした自分を呪ったこともあります()。

そして、悲しいことに、英会話学習における日々の成長や上達はあまりにも実感しにくいので、挫折する仲間たちが多いです。奇しくも英会話学習の継続率とnoteのそれとは、同じ2%程度です。これは開始してから1年後の数字と考えて良さそうです。

そんな厳しい環境の中において、私もやっと英会話において開眼しつつあります。最近になって、脳の中に英会話の回路ができ始めたようです。

日本人ならば誰でも日本語の回路を脳の中に備え付けています。しかし、私のように晩学で外国語を始めますと、その新しい回路を身に付けるためには大変な困難が待ち受けているようです。

ただし、これには少しだけメリットがあるようです。私の場合は完全に独学で随分遠回りしました。これが指導者側に回った場合、おそらく生徒の労力と時間は、5分の1から10分の1程度になるはずです。何事も学ぶ時にはその学習方法と教材が大切だとは思いますが、私はそれを最初から間違えていました()。指導者になれば、生徒の皆さんはおそらく私よりずっと短期間で結果を出せるはずです。

最後に 続けるしかない

私たち凡人は続けるしかないです。途中休むことはあっても、それでも続けるしかないです。

そして、続けることで何かが見えてきます。その見えてきたことによって、自分の道を迷わなくなれば、最期までそれを続ければいいだけの話です。

孔子の論語に、「四十にして惑わず」という言葉があります。しかし、あれは真っ赤な嘘です。

迷う人は何歳になっても自分の生き方で迷います。そしてそれは、凡人でも天才でも同じです。しかしそれでも、優秀な人は切り替えが早いようです。

四〇歳の異称

[使用例] 彼は、年があけて数えで五十歳になる。不惑の年から十年もすぎていた[立原正秋*冬の旅|1969]

[由来] 「論語―為政」に出て来る、「四十にして惑わず(四〇歳になると、自分生き方に惑いを持つことがなくなった)」から。

不惑(ふわく)コトバンク

<今日の3行日記>

今日は町が異様なほど静かです。ほとんど何も聞こえないです。これもまた新型コロナウイルスとインフルエンザの影響でしょうか。

<今日の3行日記>のグーグル英語翻訳

The town is strangely quiet today. I can hardly hear anything. Is this also an effect of the new coronavirus and influenza?

<今日の3行日記>のChatGPT和訳

Today, the town is unusually quiet. I can hardly hear anything. Is this also due to the impact of the new coronavirus and influenza?

イラスト素材:よくできましたパンダ

今日のイラストには特に意味はないです。


今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。

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