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茶の古典

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茶の古典や史料などを参考文献として。
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記事一覧

茶道とは何か?②

茶道とは何か?②

画像:「和敬清寂」茶の精神を四規として唱えた語。
The essential spirit of "chadō" is expressed in the concepts of Wa,Kei,Sei,Jaku(Harmony,Respect,Purity,Tranquility) as taught by Sen Rikyū.

裏千家十五世鵬雲斎宗匠は、茶道について、次のように述べている。

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茶道とは何か?

茶道とは何か?

これまで通史的に述べた茶道論を少し違った視点で見てみる。
倉沢行洋氏は、茶道とは「茶湯(ちゃのゆ)の道」と述べた。

ここでいう「茶湯」とは点茶(亭主による茶の点前やそのための準備全般)と喫茶(客が茶を喫すること全般)のことである。茶湯によって心が育まれ、その育まれた心によって茶湯を行うことで、おもてなしの心がお互いに伝わるのである。茶道における代表的な精神論である。

参考文献:倉沢行洋『増補 

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茶道論「分限論」 —江戸時代—

茶道論「分限論」 —江戸時代—

「分限論」とは 異風を良しとした戦国的茶の湯が世の非難を浴びるとき、すなわち近世的な茶道の成立である。異風に包まれる芸能性の否定と理論を茶道に付与する。いわゆる分限論である。
 分限論とは封建社会の基本的な秩序の思想で、人はみな、それぞれ己の分限をもち、その分限を守ることが生き方として最も重要視される思想である。 
 世間では、利休が町人の分限を忘れて天下人の側近となった結果、罰せられたとし、織部

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茶道論「茶禅一味論」② —江戸時代—

茶道論「茶禅一味論」② —江戸時代—

茶禅一味の初見茶禅一味の初見は大林宗休が武野紹鴎の画像に賛した偈である。

「大黒庵主一閑紹鷗」とは、武野紹鷗のことである。「曾結弥陀無碍因」とあるように、阿弥陀如来の念仏宗であったが、堺の南宗寺、大林宗套に禅宗に参禅した。「料知茶味同禅味」が、「茶の極意と禅の極意が同じことである。」ということであり、これをもって茶禅一味といわれる所以とされている。十六世紀の前半に、茶禅一味の思想が芽生えていたと

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茶道論「茶禅一味論」① —安土桃山時代—

茶道論「茶禅一味論」① —安土桃山時代—

「茶禅一味論」とは一休宗純、村田珠光、武野紹鴎、千利休、千宗旦の時代という茶道草創期。安土桃山時代から江戸初期にかけてのこと。

茶禅一味の背景

・中世の文化全体が宗教の大きな影響下にあった。
・仏教、とりわけ禅宗が芸文の世界の人々から精神的支柱として求められた。

中世の文化は宗教の力を借りて社会的に顕現したのである。芸能者が自らの芸のために演じ、興行をうつことはできず、神社仏閣の権威・権力に

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茶道論「芸能論」② —中世の芸能—

茶道論「芸能論」② —中世の芸能—

四つの芸能性の性格要素 芸能と茶一、ふるまい 「芸能表現」

舞台芸能における芸能表現とは身体の所作を媒介とした表現、演技、楽器演奏、身体表現を通じて観客を日常次元から芸術的次元へと高める→茶道での点前作法に当たる。 

二、よそおい 「化粧、衣装、手にもつ『採りもの(神楽の鈴のようなもの)』」

演者は装うことによって、日常生活の個人ではなく、想像上の役に変る→茶道では化粧はない。茶道は日常生活

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茶道論「芸能論」① —中世の芸能— 

芸能論とは茶の湯を芸能という切り口で捉えようとする発想である。
林屋辰三郎氏は芸能の性格として巡事性と結座性をあげた。

巡事性

巡事性とは、寄合いの座において、一人一人が順序を保ちながらことを運ぶことであり、「巡事というプロセス」が楽しまれる点に芸能性があった。
 連歌は発句からはじまって二句、三句と連衆によって巡事、句がつけられていく、この形式こそ日本芸能特有の巡事性である。

結座性

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茶書を読む 『南方録』②

『南方録』全七巻

「覚書」
「覚書」は巻頭にして『南方録』の総論のような巻である。
「茶の湯とは何か」と主張が明確に説かれ、茶の湯が仏教に根差し、脱俗の行いであると説きながらも、禅宗に囚われることなく日本人が本来持っている「キヨメ」の観念や火に対する意識などを挙げている。さらに茶の湯の歴史、茶会論、遊興の茶会を否定し、わびの精神をあらわす道具、茶花、懐石、点前のあり方について論じている。
「覚書

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茶書を読む 『南方録』①

茶書を読む 『南方録』①

『南方録』とは
多くの茶書の中でも、千利休のことや千利休の「わび茶」について詳しく書いたものはほとんどないと言われている。『南方録』は初めから終わりまで、千利休の茶について自由自在に語っている。茶道具についての考え方から、茶花の見方、茶会の心得、千利休の時代の逸話など。いかにも千利休らしい茶の思想が一貫している。

著者:南坊宗啓(生没年不詳)

南坊宗啓は、南宗寺の塔頭「集雲庵」を預かっていた禅

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日本においての喫茶の始まり②

漢詩集に見られる茶
9世紀の喫茶の様子は漢詩集に窺うことができる。

『凌雲集』・・・書名正式名『凌雲新集』。平安初期の漢詩集。814年(弘仁五年)成立。一巻。わが国最初の勅撰詩集。嵯峨天皇の勅命により、小野岑守・菅原清公等撰定。平安初期、平城・嵯峨・淳和の三天皇をはじめとする当時の代表的詩人24人の91編を収録。唐詩の影響のもと、格調の高い作品が多い。勅撰三集の第一。
「雲を凌ぐほどにすぐれた詩

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「茶」の歴史②   陸羽の『茶経』:中国

日本で茶道といえば、一般的に千利休を思い出すが同じように中国では茶道の元祖として「陸羽」の名が広く知られている。この陸羽の著書「茶経」は世界最古の茶道に関する古典だといわれている。

茶経の内容は次のとおりである。
(一) 一之源  茶の源
(二) 二之具  茶をつくる具
(三) 三之造  茶の造りかた
(四) 四之器  茶器について
(五) 五之煮  茶のたてかた
(六) 六之飲  茶の飲みかた

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