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『鬼』(超短編小説)


   「欠席」として返送するべきだった。こんなことになるのなら。

   もちろん、友人の結婚を心からお祝いしたい気持ちはある。でも二次会パーティーに出席しているゲストの中に私の知り合いなど一人もいなかった。中学時代の仲間のグループ、高校時代の部活のグループ、勤め先の会社のグループなど、会場内は不自然なくらいにキレイに島ができていて、どの島にも上陸できない私は、一人孤独に海の真ん中をゆらゆらしていた。

   友人の新郎はというと、今日は主役という立場なので、100人近く出席しているゲストの相手をしたりお色直しをしたりと忙しく、私の相手だけをしているわけにはいかないのだ。

   みんなのテンションが軒並み高いこういったおめでたい場において、話す人が一人もいないという状況は、ある意味拷問である。今日のために、洒落たジャケットを新調して新幹線に乗ってやってきたのに。これじゃ、あんまりじゃないか。自分が脇役の立場なのは十分に理解しているが、ゲストとして呼ぶならもう少し配慮というものがあっただろう。そんな私の苦痛など知る由もなく、新郎は終始幸せに包まれた顔をしていた。

   それぞれの島では「ウェイウェイ」言って盛り上がっているが、私は完全に「アウェイ」である。「アウェイ」と言っても、サッカーの場合だったらチームメイトがいるから全然平気じゃないかと思う。

「あのお、すみません〜」

   新婦側の友人だろうか。若い女性の一人が話しかけてきた。ああ、やっと人と話ができる、一人から解放されると、そんな嬉しさいっぱいの顔で振り向く。

「写真おねがいしまあす。ここ押してくださあい」

   写真を頼まれただけだった。シャッターを押す。被写体のグループがフラッシュの光で包まれた。彼らとは対照的に私は完全に影の存在であった。女性は彼氏とおぼしき男の腕を掴んで「きゃはは」とはしゃいでいた。

「ありがとおございまあす。楽しんでくださいね」

   女性は頬のあたりが赤くなっていて酔っているように見えた。白々しい台詞を残して、女性の小舟はゆっくりと島に戻っていった。私は海の真ん中でまた一人になった。

   私のこの状況は誰の目に見ても明らかである。一部の人間は気づいていても気づいていないふりをしているのだろう。自分から島に入っていくのは難しい。なぜなら島は島だけの思い出話で花が咲いているからだ。この状況を哀れに思い、まともに話しかけてくれる人など一人もいない。自分は話しかけやすそうな隙だらけの顔を意識していたのだが、次第に顔からは生気が消え、無表情の色に覆い尽くされていく。会場の隅っこの方の壁に寄りかかって、死んだ魚のような顔をして、ただ時間が過ぎてゆくのを待つ。シャンパングラスが右手と一体化しそうなくらい、私はじっと動かないのだ。

   何もすることがない私は、警備員のように薄目で会場をゆっくりと見渡す。ん?どこかで見た顔だ。そこにいたのは、間違いなくあの人だった。SNSでフォローしている憧れの“アヒル口太郎”さんだ。フォロワー数が3万人を超えるネットではちょっとした有名人である。なんという偶然だろう。こんなチャンスはまずないと思い、勇気を振り絞って話しかけにいった。

「すみません。アヒル口太郎さんですよね?」
「あ、はい。そうです」
「自分は“ケムシバス”というアカウント名でフォローさせていただいる者で、新郎の山下さんとは・・・」
「・・・あ、そうなの」
「こんなところで会えるなんてすごいですね!」
「・・・・」

   SNSでいつも面白いことをつぶやいている印象とは全然違って、無口でテンションも声のトーンも低い。そして彼は私の顔を一切みない。こちらが何か話さないと沈黙が続きそうだったので必死に会話を続けようとする。

「新郎の山下さんとはどういうお知り合いなのですか?」
「・・・」

   彼は私の顔を一瞬見た後、何も答えずに黙って遠い場所に視線をやった。隠すこともなく、ぶっきらぼうにとても面倒くさそうな顔をした。その瞬間、私は悟った。この人は私に全く興味がない。今後の彼の人生に私はいないと判断したのだと。私が何を話しかけようと、彼の耳にも心にも届かないのだ。

   そこに、真っ赤な顔をした松田優作風の背の高い男が現れた。私の存在はなかったかのように、アヒル口太郎は笑顔で楽しそうに話し始めた。私はその場からそっと離れた。


・・・そこにいる人間たちは、新郎も含めてみんな笑顔の仮面を被った「鬼」に見えた。さながら、すべての島は鬼ヶ島なのだ。


   「人は何のために生きているのか」と哲学的なことを聞かれれば、普段の私ならこう答えていただろう。「人を愛するため」と。でも今の私ならこう答える。「生きていることに意味などない」と。



   帰りの新幹線で、流れていく雨の東京を眺めていた。車窓にうつる自分の頭には角が生えていた。私は鬼たちの集まる場所にわざわざいって、自身も鬼になってしまったのだ。

   私は知った。この世界には、絶対に出席と返信してはいけない招待状があるということを。地獄は天国のような顔をして近づいてくる。結果として自分の心が荒んでいくこともあるのだ。

   ふとスマホを見た。会社の同僚や仲の良い友人や母親からいくつかのメールが入っていた。自然と涙が出た。そしてなんだか無償にカレーライスが食べたくなった。さあ、自分がいるべき温かい場所へ帰ろう。

(了)

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