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創#614「本はいくらでも読めます。老後は、日本の古典を、プログラムを拵えて計画的に読む予定でしたが、その気持ちがなくなりました。外国文学の方が、やっぱり面白いです。興味関心の赴くままに、気楽に読んで行きます」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー351」
「K会の寮では、食事の前に、必ずお祈りしてましたし、水曜日や日曜日の礼拝にも出席してました。祈りは自分のためよりも、誰かのために祈ることの方が、多いじゃないですか。それって、やっぱり心の安定に繋(つな)がっていたような気がします」と、Mが私に言った。
「確かにそうだな。受験勉強は、100パーセント自分のためのハードな戦いだから、行き詰まり易っ
創#613「考えなくてもいいことは、考えない。不安はことごとくねじ伏せる。受験勉強を通して、間違いなく、人間は鍛えられます」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー350」
「農業は、先祖代々、この地域でやってたんです。もう墓も、ダムの底に沈んでしまいましたが、文化とか文政とかの年号を刻んだ墓石を、子供の頃、見たことがあります。少なくとも、江戸時代までは、遡れます。先祖がやって来たことを、続けて行くことに関しては、理由は必要ないし、どの道、食わなきゃいけないので、モチベーションも下がりません。が、窯は自分の代で
美#110「老後は、日本の古典と日本のアート三昧の生活だと、勝手に皮算用していましたが、古稀を過ぎて、興味関心は、ほぼほぼ外国文学と、フランスアートに戻ってしまいました」
「アートノート110」
モネの絵には、キリスト教的な要素が、一切ない。だからと言って、モネがキリスト教を信じていなかったかどうかは、判らない。が、とにかく絵画からは読み取れない。
風景の描き方は、コローの影響を受けているが、コローのようにcreativeではない。「草上の食事」の木々は、モネ風の写実主義だと感じる。晩年の睡蓮は、写実主義ではなく、モネの創造だと言える(目が
創#612「家庭サービスと、外の仕事は、まったく結びつきません。外の仕事に打ち込めば、打ち込むほど、家庭サービスは、疎かになりました。まあ、結局は、自己の人生観の問題です。我慢してくれた、家族には感謝しています」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー349」
「すでに試行錯誤は、かなりしています。取り敢えず、無地のものなら、そこそこの形で焼けるようになりました。が、色をつけるとなると、話はまるで違って来ます。苦労して色をつけても、思い通りには焼き上がりません」と、Mは打ち明けた。
「窯の中の化学的な変化とか、そういうことは、自分には一切、判らない。が、色をつけようとする制作者のオマエの内部に、何
創#611「結婚して、子供が生まれて、そこそこ育ってくれたら、何とか一段落ですが、それにしても、結婚生活も、子育ても、思い通りには行きません」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー348」
「オレの小学校の同級生のHは、中卒で大阪に行って、板前の修業をしている。日曜日は、一応、休日だが、その前の週にメモを取った料理のヒントなどを見て、研究しているから、日曜日は、自主練みたいな日だ。修業に行って、4年半くらいが経過したが、実質的な休みは、お盆と正月くらいだな。その休みには、実家に帰って来て、親孝行をしている。親不孝なオレには、ちょ
創#610「学校に美術部の生徒が描いた絵が、結構、飾ってあって、その絵の感想を書いたりしています。自分が文章を書けば、描いた意図とか、高校生の興味関心などが、おぼろげながら、掴めます」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー347」
「先輩だって、子供の頃、同級生の友だちはいなかった筈です。高専に進学して、親友と出会って、初めて同級生の友だちができたと、前に聞いたことがあります」と、Mが言った。
「小5、6の頃は、同級生の友だちがいて、海で泳いだり、野山で遊んだりしてた。小5、6の時のみ、故郷の漁村の小学校に通った。漁師の跡継ぎという一種独特な文化の共通点もあった。その
美109「モネが奥さんのカミーユや息子のジャンを描いた絵は、モネの家族への愛情が、はっきり読み取れます。セザンヌの絵は、家族への愛情は読み取れません。が、私はセザンヌの絵の方が、好きです」
「アートノート109」
腹心の教え子のM子が描いた絵を、ごくたまに見せてもらったりする。私は、M子が高校生だった頃から、彼女の絵が好きだった。担任だった頃は、彼女に紙芝居を作ってもらった(多分、その紙芝居を私も声を出して読んだ筈だが記憶にない)。卒業する時は、卒業文集の表紙の絵を描いてもらった。大学に進学し、その後、社会人になっても、時々、勤めている学校に絵を見せに来てくれ
創#609「無理やり、やらされた勉強は、身につきません。勉強に限らず、何ごとも遊びの気持ちで取り組まないと、興味関心は湧いて来ません」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー346」
「個人主義の時代だから、子供たちは、自分の考えを持って、親から離れて行く、こう考えるべきなんですね」と、Mが確かめるように言った。
「勿論だ。オマエは、この故郷に近いとこに戻って、農業を始めた。元の家も田畑も、ダムの底に沈んだから、場所がズレてしまっているが、ここだって、オマエが子供の頃、過ごしていたテリトリーだろう。親も農業だったし、その
創#608「我々の世代がやったことは、後生の人たちの貯めに、正しかったとは、お世辞にも言えませんが、世界の経済がグルーバル化して、こうなってしまったわけで、個人やコミュニティやひとつの世代の努力だけでは、どうにもならない問題だったと言えます」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー345」
「ここと、東京と本質的には何が違うんですか?」と、Mが訊ねた。
「ここには、本物の自然がある。東京には公園はあるが、それは、本物の自然とは言えない」と、私が言うと
「それは理解できます。K市のどまん中にある中央公園には、樹木は沢山ありますが、路面は基本、舗装してますし、街灯とか電線もあるし、さすがにあれを自然だとは言えません」と、Mは返事をし
創#607「いつか余裕ができたら、手がけるとかと考えていたら、永遠にできません。余裕があってもなくても、取りかかるのは、常に今です」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー344」
「公募展に出品するとしたら、今すぐってことですか?」と、Mが鸚鵡返しに訊ねた。
「間髪を容れず、今、この瞬間だ。取り敢えず、作品をひとつ、小包にする。崩れないように、新聞を使ってぐるぐる捲きして、あとは、公募展の送り先の住所を紙に書いて、それを小包に貼る。こちらの住所、氏名、電話番号も記入しておく。オレが帰る時、O駅の傍の郵便局で出しておく
創#606「アルコールは理性の箍(たが)を緩めますが、認識の幅、奥行きを広げてくれます。バランス良く飲める人は、飲めない人より、より精神的にゆたかな人生を送ることができるような気がします」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー343」
「先輩は、常に好きな女性の先輩がいるじゃないですか。それも、一人じゃなくて、複数。それって、先輩の理性と照らし合わせて、浮気ってことにはならないんですか?」と、Mが質問した。
「浮気か、浮気じゃないかを、理性が常に監視していて、判断を下すのか」と、私は逆にMに訊ねてみた。
「理性がそういう監視をしてくれるので、我々は犯罪に陥ったりすることも
公#26「スーパー店員脚力ウルトラという記事を読んで、アスリートの世界は、優秀な指導者に出会うことが、必須だと、あらためて理解しました」
「公共26」
「スーパー店員脚力ウルトラ」という記事を読んだ。スーパーの店員であれ、雇止めありのバイトの講師であれ、如何にも使えなさそうな工事現場の交通整理の爺さんであれ、脚力は必須。「歩けなくなったら、The Endだ」と、介護や福祉の現場では、耳にタコができるほど聞かされて来た。歳を取って、もうさして欲らしい欲を持つこともなくなったが、脚力
創#605「ガンで余命を宣告することが、本当にいいことなのかどうか、判りません。告知された本人も、家族も間違いなくパニックに陥ります」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー342」
「自分は読書はしませんが、漱石や鴎外、シェークスピアやドストエフスキーと言った著名な作家や、その作家の作品について、一通りの知識は備えています。それは、中2から高2の終わりまで、ほぼ4年間、先輩が文学の話しをしてくれたからです。小説って、恋愛に絡む話しが多くて、頭の中にロマンチックな妄想が次々に浮かび、それで、リアルの恋愛、sexに走ってしまっ
美#108「学習指導要領の現代国語編などを、読んだことは、一度もありませんが、Kや先生が唐突に死ぬ漱石の『こころ』を、どういう風に位置づけているんだろうと、疑問には感じます」
「アートノート108」
学年末試験の時、2年生の現代国語の監督をした。問題文を読むと、漱石の「こころ」から、出題されていた。今の高2から、新カリの世代で、現国では基本、文学は扱わないと、新聞では報道されていた。が、おそらく文学表現といったマイナーな科目があって、その科目で「こころ」を扱っているんだろうと想像した。
私は、中学生の時、漱石の作品はだいたい読んだが、「ここ
創#604「小学生の頃も、15、6歳の高校時代も、その後の大学、社会人時代も、2時間くらいは、普通に歩いていました。走るのは、心の底から嫌いですが、歩くのは好きですし、人生の最後らあたりまで、歩けるという自信はあります」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー341」
「農地を無料で貸してくれる人は、この山奥にだって、結構、います。米の作り方は自分が教えます。農地を借りて、米作りをすれば、この田舎で、おかゆやおじやを炊きながら、隠棲できるんじゃないですか」と、Mは、唐突に切り出した。
「自分が食う分の米くらいなら、托鉢だって多分、集められる。農業で苦労するよりは、托鉢で歩く方がいい」と、私は即座に返事をした
創#603「鎌倉のE寺の坐禅道場に通い始めて、四ヶ月目くらいに、私はおかゆと、おじやの炊き方を学習しました。ルーツ、バンテンダーということで、幹部の方が、私を指名してくれたんだと思います。将来、禅寺の飯炊き爺さんになる未来予測図は、大学生の頃には、存在していました」
「降誕祭の夜のカンパリソーダー340」
「まだ絵模様は描けてなくて、コバルトで青っぽくしてあります。青というより、薄いエメラルドです。今後の課題として、絵を描いて行くわけですが、何をどういう色を使って、どれくらい描くのか、まったく見えてません。正直、日々、暗中模索です」と、Mは四文字熟語を使って状況を説明した。
「オレは、友だちの家の農業の仕事を、時々、手伝っている。農業は、もう