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高橋照美
2017年11月18日 02:12
「今日はさ。のんびりできる、いい景色のトコへ行こうよ」高橋が二人に言った。「僕んちに三人でいると、おちつかないって言った方が正直かな」奈々瀬はかすかにうなずいた。発熱という理由で、高校への二~三日の欠席連絡は父の安春がすませた。土日の二日も合わせると、五日間の時間かせぎができたということだ。手指と脇腹は打撲、頬は腫れ、口中は切れている。貴重な五日間。奈々瀬は、少しほっとした。「
2017年11月20日 03:55
《前回までのあらすじ》 額田(ぬかた)奈々瀬は、松本に住む女子高生。両親のケンカを止めそこね、感情暴発した母親に怪我を負わされた。初恋相手の四郎……の親友・高橋照美の名古屋の家に、緊急避難しているところ。------脇腹の打撲の塗り薬だけは別の部屋にこもって塗り、奈々瀬と四郎は再び食卓に戻ってきた。奈々瀬の細い手指の傷に、四郎が包帯を巻いていく。「脈打たへん? きつすぎたらゆるめるで」
2017年11月24日 07:39
出かける支度はととのった。高橋は「あ。今日はそれじゃ寒いよ」と、奈々瀬に声をかけた。そしてクローゼットから自分と四郎のマフラーを出して、四郎に渡した。四郎は一瞬、二本のマフラーを両手で持ち比べた。高橋は、高橋のマフラーを四郎に寄せて、四郎のマフラーを持っている四郎の手を、奈々瀬の方に傾けた。「奈々ちゃんとつきあってるのは、四郎。僕は、奈々ちゃんのパーソナルスペースには、入らない。位置関
2017年11月25日 03:19
「転んで口切っちゃったんで、一串だけみそのついてないのと、リンゴジュースは氷なしで。あと洋食用のナイフとフォークあったら一本ずつ借りれますかね、すいません」店で高橋は、一通りの注文にそうつけくわえた。そうしてもいいのだと、熟知しているかのようなリクエストのしかた。四郎と奈々瀬はびっくりした顔を向ける。はいはい、とたやすく注文に応じる店の人。高橋は二人の顔を見かえした。「あるものそのままで
2017年11月29日 04:44
「一年と二週間。それは、四郎君のどういうタイムリミット? ……もしかすると、奈々瀬 ”と” 四郎君の、タイムリミットかな」安春は娘を見た。奈々瀬はリンゴジュースをまた一口飲んだ。殴られた顔のあざを隠そうと、再びマスクをおろしたところ。奈々瀬はあやふやにうなずこうとして、それをやめた。そうなのかどうか、わからない。はっきり考えたわけじゃないから。(「誰が」の部分を、理性で切り分けないでほし
2018年1月14日 03:31
隣の部屋との壁はうすい。一度は眠ろうとした高橋だった。が、うとうとすると体ごとひっつくように、隣へと持っていかれる。まるで……「ゴルフの池ポチャ」とか。「バイクのコーナー転倒」とか。「野球のイップス」とか。「ボウリングのガーター」のように。全身がひっついていく。耳から隣へとひっついていく。(「耳をそばだてる」って日本語は、ほんとにあるんだなあー……っ)歯をくいしばりながら
2018年3月4日 20:28
宮垣のところを辞去して、社内の打ち合わせを終え、なんとか定時で仕事を終わる四郎だった。明日の予定の組み立てはできている。実績記録の日誌は家へ持ち帰ることにした。宮垣といろいろ話をした帰りに、ふと思いついて奈々瀬にメールを打ってあった。——何の花が好き? もし好きな花教えてくれたら、時間があったら花屋で見て帰る。一行半。たったの一行半。この一行半に十六分の推敲をした。すなわち、花
2018年4月2日 11:58
返事が来ないとき……どうすればいいのか。十六分かかって一心に推敲していたとき、それをまったく考えていなかった。今やっと、「当事者」になった気分に直面してしまった四郎だった。……「当事者」であることは、四郎にとって、苦痛と緊張に面と向かい合う感覚しかない。だから、だからこそ、高橋に奈々瀬をゆずって、自分は姿をくらましてしまおうとさえ思ったのだ。電話をするほうがいいのか。電話はしないで
2018年7月9日 04:03
電話を切った高橋は、すぐ横で自分の料理を見ている奈々瀬をふりかえった。「四郎が、メールを送っちゃったのが失敗じゃないかって悩んでるみたいだよ。……どうしてあげようか」奈々瀬はあいまいにうなずいた。まだ少ししゃべりづらい口で、高橋に告げた。「私もどう返事していいのかわからなくって、返せない」「どう返事したらいいかわからなくって返事ができない、って書いてあげたら?四郎が投げかけてくること自
2020年7月15日 07:26
四郎は花なしで、手ぶらで帰ってきた。 「花のことをきいてくれて、ありがと」奈々瀬はそんなふうに、四郎に声をかけた。 「稽古してないことを、いきなりやるって、ほぼむりなのに、相手のある世界って生まれてはじめてなのに、それなのに相手に質問するなんて難度の高いことを私にしてみようとしてくれて、ありがと」 「やって(だって)」四郎は崖っぷちにたったような表情で奈々瀬の感謝に対して言葉をかえした
2020年7月16日 06:40
奈々瀬と一緒に暮らしたい、という「うれしさ」や「わくわく」感が、自分の中にない。 四郎は、そのことに気がついていた。 そもそも、どういう生き方をして暮らしたいという希望が、自分自身の中にないのだ。 「峰の先祖返り」の一人である以上、もう死ぬ年頃だ。 かないもしない希望をうっかり持って、失意と絶望をいっそう耐えがたいものにしなくてもいいではないか。 「十九、はたちで、死ぬ前提でい
2020年7月17日 06:59
「自分が出来損ないではないことの証明のために結婚をしたい」だけだ、という卑怯な動機に向き合ったとたん、 ぎゅうううっと肝臓が痛むような、張りさけるような、ぎょっとする激しい引きつれを、四郎は感じた。 急な体の痛みに、四郎は思わず右腹に手をやって顔をしかめた。この激しい痛みに対してとびあがるような恐怖がある。恐怖のあまり、ねじふせようとか、即座になんとかしようとか、稚拙なカウンターアタックに