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物語「先の一打(せんのひとうち)」

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親との衝突と転校。古流の一子相伝と会社生活。限られた時間の中で、大事な人と生きることを選ぶ。 四郎と奈々瀬と高橋の、 今回は「治癒と挑戦の物語」。
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#初恋

ピンチの時こそ、空を見よう。【物語・先の一打(せんのひとうち)】14

ピンチの時こそ、空を見よう。【物語・先の一打(せんのひとうち)】14

「今日はさ。のんびりできる、いい景色のトコへ行こうよ」
高橋が二人に言った。
「僕んちに三人でいると、おちつかないって言った方が正直かな」

奈々瀬はかすかにうなずいた。

発熱という理由で、高校への二~三日の欠席連絡は父の安春がすませた。土日の二日も合わせると、五日間の時間かせぎができたということだ。
手指と脇腹は打撲、頬は腫れ、口中は切れている。貴重な五日間。
奈々瀬は、少しほっとした。

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ねえ。なにかあったでしょ。【物語・先の一打(せんのひとうち)】15

ねえ。なにかあったでしょ。【物語・先の一打(せんのひとうち)】15

《前回までのあらすじ》 額田(ぬかた)奈々瀬は、松本に住む女子高生。両親のケンカを止めそこね、感情暴発した母親に怪我を負わされた。初恋相手の四郎……の親友・高橋照美の名古屋の家に、緊急避難しているところ。

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脇腹の打撲の塗り薬だけは別の部屋にこもって塗り、奈々瀬と四郎は再び食卓に戻ってきた。奈々瀬の細い手指の傷に、四郎が包帯を巻いていく。

「脈打たへん? きつすぎたらゆるめるで」

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頭はひとつ。手は、二本しかありません。【物語・先の一打(せんのひとうち)】16

頭はひとつ。手は、二本しかありません。【物語・先の一打(せんのひとうち)】16

出かける支度はととのった。
高橋は「あ。今日はそれじゃ寒いよ」と、奈々瀬に声をかけた。そしてクローゼットから自分と四郎のマフラーを出して、四郎に渡した。

四郎は一瞬、二本のマフラーを両手で持ち比べた。

高橋は、高橋のマフラーを四郎に寄せて、四郎のマフラーを持っている四郎の手を、奈々瀬の方に傾けた。
「奈々ちゃんとつきあってるのは、四郎。僕は、奈々ちゃんのパーソナルスペースには、入らない。位置関

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栗きんとん、コーヒー、五平餅。それとお父さん。【物語・先の一打(せんのひとうち)】17

栗きんとん、コーヒー、五平餅。それとお父さん。【物語・先の一打(せんのひとうち)】17

「転んで口切っちゃったんで、一串だけみそのついてないのと、リンゴジュースは氷なしで。あと洋食用のナイフとフォークあったら一本ずつ借りれますかね、すいません」

店で高橋は、一通りの注文にそうつけくわえた。そうしてもいいのだと、熟知しているかのようなリクエストのしかた。四郎と奈々瀬はびっくりした顔を向ける。
はいはい、とたやすく注文に応じる店の人。

高橋は二人の顔を見かえした。「あるものそのままで

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人は受け入れられてる雰囲気で息を吹き返します、たぶん。【物語・先の一打(せんのひとうち)】19

人は受け入れられてる雰囲気で息を吹き返します、たぶん。【物語・先の一打(せんのひとうち)】19

「一年と二週間。それは、四郎君のどういうタイムリミット? ……もしかすると、奈々瀬 ”と” 四郎君の、タイムリミットかな」安春は娘を見た。奈々瀬はリンゴジュースをまた一口飲んだ。殴られた顔のあざを隠そうと、再びマスクをおろしたところ。

奈々瀬はあやふやにうなずこうとして、それをやめた。
そうなのかどうか、わからない。はっきり考えたわけじゃないから。

(「誰が」の部分を、理性で切り分けないでほし

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虫ピンで標本にされるといいぐらい、「世界一ばかな男」 。【物語・先の一打(せんのひとうち)】35

虫ピンで標本にされるといいぐらい、「世界一ばかな男」 。【物語・先の一打(せんのひとうち)】35

隣の部屋との壁はうすい。

一度は眠ろうとした高橋だった。が、うとうとすると体ごとひっつくように、隣へと持っていかれる。

まるで……
「ゴルフの池ポチャ」とか。
「バイクのコーナー転倒」とか。
「野球のイップス」とか。
「ボウリングのガーター」のように。

全身がひっついていく。耳から隣へとひっついていく。

(「耳をそばだてる」って日本語は、ほんとにあるんだなあー……っ)
歯をくいしばりながら

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何の花が好き? と、メールで聞いてはみたものの。
【物語・先の一打(せんのひとうち)】44

何の花が好き? と、メールで聞いてはみたものの。 【物語・先の一打(せんのひとうち)】44

宮垣のところを辞去して、社内の打ち合わせを終え、なんとか定時で仕事を終わる四郎だった。明日の予定の組み立てはできている。実績記録の日誌は家へ持ち帰ることにした。

宮垣といろいろ話をした帰りに、ふと思いついて奈々瀬にメールを打ってあった。

——何の花が好き? もし好きな花教えてくれたら、時間があったら花屋で見て帰る。

一行半。

たったの一行半。

この一行半に十六分の推敲をした。すなわち、花

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どうすればいいかを、しらないから……!【物語・先の一打(せんのとうち)】45

どうすればいいかを、しらないから……!【物語・先の一打(せんのとうち)】45

返事が来ないとき……どうすればいいのか。

十六分かかって一心に推敲していたとき、それをまったく考えていなかった。今やっと、「当事者」になった気分に直面してしまった四郎だった。

……「当事者」であることは、四郎にとって、苦痛と緊張に面と向かい合う感覚しかない。だから、だからこそ、高橋に奈々瀬をゆずって、自分は姿をくらましてしまおうとさえ思ったのだ。

電話をするほうがいいのか。

電話はしないで

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シャイな彼が、電話ためらってるって!【物語・先の一打(せんのひとうち)】46

シャイな彼が、電話ためらってるって!【物語・先の一打(せんのひとうち)】46

電話を切った高橋は、すぐ横で自分の料理を見ている奈々瀬をふりかえった。

「四郎が、メールを送っちゃったのが失敗じゃないかって悩んでるみたいだよ。……どうしてあげようか」

奈々瀬はあいまいにうなずいた。まだ少ししゃべりづらい口で、高橋に告げた。「私もどう返事していいのかわからなくって、返せない」

「どう返事したらいいかわからなくって返事ができない、って書いてあげたら?四郎が投げかけてくること自

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「おんなのこを大切にする稽古が間に合っていなくてごめんなさい!」という事実【物語・先の一打(せんのひとうち)】47

「おんなのこを大切にする稽古が間に合っていなくてごめんなさい!」という事実【物語・先の一打(せんのひとうち)】47

四郎は花なしで、手ぶらで帰ってきた。

「花のことをきいてくれて、ありがと」奈々瀬はそんなふうに、四郎に声をかけた。

「稽古してないことを、いきなりやるって、ほぼむりなのに、相手のある世界って生まれてはじめてなのに、それなのに相手に質問するなんて難度の高いことを私にしてみようとしてくれて、ありがと」

「やって(だって)」四郎は崖っぷちにたったような表情で奈々瀬の感謝に対して言葉をかえした

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生きる希望の持ちかたがわからない時、他人を踏み台に使う件【物語・先の一打(せんのひとうち)】48

生きる希望の持ちかたがわからない時、他人を踏み台に使う件【物語・先の一打(せんのひとうち)】48

奈々瀬と一緒に暮らしたい、という「うれしさ」や「わくわく」感が、自分の中にない。

四郎は、そのことに気がついていた。

そもそも、どういう生き方をして暮らしたいという希望が、自分自身の中にないのだ。

「峰の先祖返り」の一人である以上、もう死ぬ年頃だ。

かないもしない希望をうっかり持って、失意と絶望をいっそう耐えがたいものにしなくてもいいではないか。

「十九、はたちで、死ぬ前提でい

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「自分の中にできているひずみ」の、言い分を聞く【物語・先の一打(せんのひとうち)】49

「自分の中にできているひずみ」の、言い分を聞く【物語・先の一打(せんのひとうち)】49

「自分が出来損ないではないことの証明のために結婚をしたい」だけだ、という卑怯な動機に向き合ったとたん、

ぎゅうううっと肝臓が痛むような、張りさけるような、ぎょっとする激しい引きつれを、四郎は感じた。

急な体の痛みに、四郎は思わず右腹に手をやって顔をしかめた。この激しい痛みに対してとびあがるような恐怖がある。恐怖のあまり、ねじふせようとか、即座になんとかしようとか、稚拙なカウンターアタックに

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