言葉を通して「読む」と「問う」を両立させる一冊
以前書いたnoteで、米原万里さんについて少し触れました。
が、あの内容だと米原さんのすごさが全く伝わらないな…と若干反省したので、今回は米原さんの好きな本の話をします。
まず米原万里さんのこと。
少女時代をチェコの首都・プラハのロシア人学校で過ごされたのち、日本語とロシア語の同時通訳者として、沢山のご活躍をされた方です。
旧ソ連・ロシア関連の要人会議でも同時通訳を行い、ロシア語通訳協会会長も務められたとのこと。華々しい。
聡明な眼差しと痛烈な批判精神をもとに、作家としても沢山のエッセイを上梓されていて、様々な賞も受賞されています。
そんな中でも私が一番好きな一冊が『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』です。
現代の価値観だと、眉を顰められそうなタイトルですよね。
(というか当時も読売文学賞の選者だった大江健三郎氏から「わが読売文学賞の歴史において最悪のタイトル」と称されたらしい)
ここで名越健郎氏の解説を引用します。
現代はポケトークやGoogle翻訳などのサービスもあるので、簡易的に伝えるならそれで十分でしょう。
しかしそれでも異なる言語間で「十全に伝える」ことは可能なのか……の問いが悩ましい事実は、今でも変わらないもの。
本作は時間が勝負の「同時通訳者」ならではのバラエティに富んだエピソードを通して、異なる言語間でのコミュニケーションや「言語」の特性と本質を考えるエッセイです。
報道関連の場面で同時通訳を何度となく行われたこともあり、いわゆる「放送禁止用語」に関する話題にも触れているんですが、その中で語られる「差別」とされる言葉への姿勢に、共感しきりなのです。
※長くなりすぎるので自重しましたが、この直前の文章にも大切なことが書かれているので、機会があればご一読いただけると幸いです。
本書を読むにあたっては、訳文として整っている様を「美女」と称することへの問いも必要でしょう。
と同時に、言わんとすることの本質に向き合わず、言葉だけを捕らえて糾弾する醜さも認識しておきたい。
そんなふうに「読む」と「問う」を両立させられる一冊だと思っています。
と同時に、比較文化論としても興味深い。
小難しいこと抜きで、同時通訳の現場ならではの面白エピソードを、ただただ楽しむのもヨシ!です。
(私は「日本的なプロポーズの言葉」に関するツッコミが未だに忘れられません)
お読みいただき、ありがとうございました。
今日も良い日になりますように◎
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?