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映画感想 ジャスティス・リーグ:スナイダーカット

 これが“本当”の『ジャスティス・リーグ』。

 『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』とは2017年に公開された映画『ジャスティス・リーグ』の4時間完全版のことである。
 ……と、説明すると話は簡単なのだけど、この『ザック・スナイダーカット』版が製作されるまであまりにもいろんな経緯がありすぎるので、その話からしよう。

 最初から話を始めると、ワーナー・ブラザーズはスーパーマンを主役に据えたザック・スナイダー監督の『マン・オブ・スティール』(2013)の後、続けて4本の映画を制作する計画を立てていた。計画通り第2作目である『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)を制作したのだけど、これが不評。映画批評集積サイトRotten Tomatoesでは10点満点中5点。その他の評価も概ね低く、その年の最低映画を決めるゴールデンラズベリー賞に7部門ノミネート4部門受賞するという不名誉が与えられてしまった。
 同時期に制作された『スーサイド・スクワッド』もまた不評。この時点でワーナー・ブラザーズはDC映画の「方向性の変更」を考えるようになった。
 2016年、ザック・スナイダーは『ジャスティス・リーグ』の撮影を始め、翌年には完了させた。この時点でまだCG未完成状態のラッシュフィルムを幹部を含む社内で試写したのだけど不評。ワーナー社員は同じ失敗を繰り返す……ということを懸念するようになった。
 2017年、ザック・スナイダーの娘が突然の自殺。監督のザック・スナイダーとプロデューサーであり妻でもあるデボラ・スナイダーがプロジェクトから抜ける。

 その後、ワーナー・ブラザーズは後任としてジェス・ウェドンを監督に雇用。ジェス・ウェドンはマーベル映画で『アベンジャーズ』の2作を制作した実績があった。ワーナー・ブラザーズはジェス・ウェドンに全権を与え、そのうえで映画のトーンを明るくすること、2時間以内にまとめることを指示し、ジェス・ウェドンはその指示通りの『ジャスティス・リーグ』を制作した。これが2017年11月公開の『ジャスティス・リーグ』である。名義は契約があるのでザック・スナイダーが監督としてクレジットされていたが、実質ジェス・ウェドン監督の作品であった。
 ジェス・ウェドン版をワーナー社内で試写をかけてみたところ、社内での評価は「好評」だった。ザック・スナイダー版よりも好印象で、ワーナーはこれなら成功すると踏んで公開に踏み切った。
 ところがジェス・ウェドン版『ジャスティス・リーグ』は不評。世界的に6億ドルを稼いだものの、どうやら推定損益分岐点を超えなかったらしく赤字。映画批評集積サイトRottenTomatoesによれば肯定的レビュー40%。評価は10点満点中5.3。これまで公開されたDC映画のなかでも最低の興行成績。最低の評価が下された。
 私はジェス・ウェドン版を見たとき、この辺りの事情を知らずに見たので、「今回のザック・スナイダー映画はずいぶんトーンが明るいな」……という印象を持っていた。

 ジェス・ウェドン版『ジャスティス・リーグ』が劇場公開された直後から、ファンから「ザック・スナイダーによる本当の『ジャスティス・リーグ』を見せろ」という運動が始まる。SNS上でも「#ReleaseTheSnyderCut」というハッシュタグを使った運動が始まり、これがネット上の巨大なムーブメントになっていく。
 劇場公開からしばらく経ってから出演俳優も「スナイダーカット版」を求める声が上がり、それとともにジェス・ウェドンの撮影現場での悪行が明らかになっていく。
 ザック・スナイダーの後を引き継いだジェス・ウェドンは撮影現場で独裁者として振る舞い、人種差別や女性差別、暴言・罵倒などを吐いて役者側と対立。この俳優に対する暴言にまつわる問題はDC幹部にも飛び火して、DC内部に差別的な空気があるんじゃないか……という問題にまで拡大していった。
(この時のジェス・ウェドンとの対立が切っ掛けとなって、ベン・アフレックはその後の監督業への意欲を喪ってしまっている)
 映画ファン、出演者が一体となって「スナイダーカット版」を求める声は大きくなり、ネット上の運動や署名活動などが始まる。当初は後から別監督の再編集版が出たというケースが業界内でも前例がほとんどなく、業界関係者も「スナイダーカット版はあり得ない」と語っていた。

 2019年、ザック・スナイダーはジェス・ウェドンに現場を任せる以前の、自分が編集したバージョンが存在することを明かす。確かに「スナイダーカット版」が存在していることが公になった。これが最終的なネット運動を後押しすることになった。ネット上のムーブメントが最高潮に達したところで、ワーナーメディアのトビー・エメリッヒ会長がその運動を認め、ザック・スナイダーと連絡を取る。
 2020年、ついにザック・スナイダー版『ジャスティス・リーグ:完全版』が制作されることが発表される。
 ただし、2017年に制作されたバージョンそのままではなく、新規撮影、CGシーンも追加される。もともとが何時間の映画だったかわからないが、最初から劇場公開ではなくホームメディアを想定した作りとなっているので、4時間の長大な映画として発表されることとなった。その長さから6本に分けたミニシリーズにする案もあったようだが、最終的には1本の映画として発表されることになり、2021年3月HBO Maxにて初公開。その後、様々なところでも公開され、DVD&Blu-rayでも発売された。
 ストリーミングが開始されてからアメリカ、カナダ、イギリス、インド、オーストラリアで記録的な視聴時間を獲得。特にカナダでは史上最もストリーミングされたコンテンツにもなった。『ザック・スナイダーカット』は世界的に圧倒的な好評として受け入れられたのだった。
 前置きが長くなってしまったが、そういう様々な経緯を経てようやく制作されたのが、この『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダー版』。実はDC映画にまつわるゴタゴタはこれで終わり……というわけではなく、いま現在も内部で揉めている状態は続いているのだが……それは別のところできっと話す機会もあるでしょう。
 DC映画の不幸は、有能なプロデューサーの欠如。マーベル映画はケヴィン・ファイギという超有能プロデューサーが最初からいてシリーズがコントロールしているからマーベル映画すべてに一貫性が出ている。DC映画には明らかにそういうプロデューサーがいない。個々の作品で素晴らしいものは生まれているが――クリストファー・ノーラン監督のダークナイトシリーズや『ジョーカー』――全体を通して見るとバラバラ。統括者不在でシリーズ映画を作るとこうなる……という悪しき手本になってしまった。そもそもDCコミックはクリエイティブに対する意識が低いんじゃないか……と今回の一件を俯瞰して見ると感じるところではあるけど……。

 そろそろ本編ストーリーを見ていこう。


 ドゥームズデイとの激闘の末、スーパーマンは倒れる。その最期に放たれた叫びが世界を巡る。その叫びは世界各地に隠されていた「マザーボックス」と共鳴していた。

 スーパーマンの死後、世界を守るためメタヒューマンの捜索をはじめたブルース・ウェインはアイスランドにやって来ていた。そこでアクアマンことアーサー・カリーと会う。
 ブルース・ウェインはアーサーと話し合うが「諦めろバットマン」と軽くあしらわれ、海の中へと去って行ってしまった。
 一方その頃、アマゾン族が住まうセミッシラに異界からの使者ステッペンウルフが襲来していた。アマゾン達は抵抗したが力及ばず、数千年守り続けていたマザーボックスを奪われてしまう。
 ステッペンウルフは残る2つのマザーボックスを奪うために人間界に現れるはず……。アマゾン族と人間界との関係はすでに断たれたが、せめてダイアナにだけは知らせよう、と1本の矢が放たれる。
 矢はギリシア神殿の「アマゾンの聖堂」と呼ばれる遺跡に飛び込み、激しい炎となって燃えあがる。ダイアナ・プリンスはニュース番組でその炎に気付き、ギリシアへ向かう。矢を手に入れて古い遺跡の中へと入っていき、その中でかつて異界の王・ダークサイドが地球に侵略していた事実を知る。
 あの時の脅威が再び迫っている……そのことに気付いたダイアナはブルース・ウェインと合流する。


 ここまでのお話しで50分くらい。バットマン、ワンダーウーマンだけではなくアクアマン、フラッシュ、サイボーグのエピソードもあるので、実際に見るともっと様々なシーンが描かれている。

 4時間! ……たぶんこれだけ長くなってしまった配慮だと思うのだけど、エピソード分割されていて、1エピソードがだいたい35分くらい。一時は6エピソードバラバラにして公開しようか……という案もあったくらいなので、それぞれのエピソードだけで見ても面白くなるようにできている。
 この35分の間に5人のヒーローがほぼ毎回登場するように作られていて、何かしらのアクションあるいはハイライトシーンが入るように作られている。私はとあるエピソードの終わりで一度休憩を入れたのだけど、普通の映画だと半端なところで区切りを作ってしまうと映画の世界に戻るのにしばし時間が掛かってしまうのだけど、この映画の場合は問題にならなかった。1日1エピソードという見方をしてもたぶん問題なく楽しめるでしょう。35分のドラマシリーズを4時間かけて一挙視聴している……という感覚だった。

 今作を視聴するに当たり、「おさらい」ということでもう一度ジェス・ウェドン版を視聴した。
 見比べてみるとぜんぜん違う。全体の大枠は一緒なのだけど、そこに至るまでの展開がぜんぜん違う。ジェス・ウェドン撮影とザック・スナイダー撮影の2種類の映像が混在しているわけだけど、改めて見返してみると、二つの映像の質感はぜんぜん違う。この完全版と同じフッテージも多数使用されているわけだが、フィニッシュが違う。完全版は彩度が押さえられているし、ジェス・ウェドン版はどうやら画面の上下を切っていたようだ。CGの仕上げも違っていて、特にステッペンウルフがまったくの別人。クライマックスのバトルシーンはまるごと入れ替えられていて、そこだけみると別の作品のようだった。
 ジェス・ウェドンは映画会社から再撮影・再編集を依頼されてから、映画を2時間ほどに圧縮した上に、脚本を80ページほど書き足している。今回の『スナイダーカット版』にはジェス・ウェドン版による撮影は1フレームも使用していない……と語られている。ジェス・ウェドン版のコミカルなシーンはことごとく後で撮影された場面だった……ということがここでわかる。
 完全版は2時間の映画が4時間になったので、新規のシーンが2時間分ある……というのではなく、新規シーンが3時間分近くもある。よくある「完全版」とはまた違う趣のある作品だ。
 映像の勉強をしている人はあえてこの2つのバージョン両方を見てほしい。同じ脚本、同じ出演俳優、同じ撮影素材を使いながら、全くの別の映画ができあがっている。編集や最終仕上げで映画がどれくらい変わるのか……それを知る機会として大きい。この2つの作品を見比べると面白い知見が得られるはずだ。

 新たに追加されたシーンの中で、印象的なのはフラッシュとサイボーグにまつわる追加シーン。特にサイボーグは、ジェス・ウェドン版ではいまいち存在意義がよくわからなかった。調査とハッキングの能力だけならブルース・ウェインでもできる話。キャラの性質が被っている。新たに追加されたシーンによってサイボーグ独自の能力が明らかになったし、彼がどんなドラマを抱えているのかも明らかになった。
 フラッシュもサイボーグもともに共通して“父親”というテーマを抱えている。フラッシュは冤罪で逮捕されている父親がいて、その父親を救うために司法試験に向けて勉強をしている。サイボーグの父親は化学者でその研究に没頭しすぎて息子との関係が途絶えてしまっている。サイボーグことビクター・ストーンが交通事故にあい、生死の境を彷徨っていたとき、父親によって改造手術を受けてサイボーグとなってしまう。本人の意思を確かめずサイボーグにされてしまったこと、その時一緒にいた母親を救わなかったこと、それでビクター・ストーンは父親を恨むようになってしまった。
 そういう父親との葛藤が掘り下げられ、4時間の間にきちんと解消される構成になっている。しかもサイボーグの父親はマザーボックスと深く関連しているので、メインのシナリオと常に寄り添っている。新エピソードが2時間分増えたけれども、蛇足っぽさはなく、むしろドラマが力強くなっている。どれもジェス・ウェドン版にはなかった要素だ。

 そうそう、ジェス・ウェドン版にあった“矛盾”も解消されている。ジェス・ウェドン版は他のDC映画をどうやら観ていなかったらしく、他のDC映画と矛盾する台詞があった。しかも脚本家同士の交流もなかったせいで、誰もツッコミを入れなかったらしい。
 その一例としてアクアマンことアーサー・カリーとメラとの関係性。ジェス・ウェドン版では「初対面」という設定になっていたが、正しくはアーサーとメラはその以前から知り合いのはず。『スナイダーカット版』ではこういった設定ミスも修正されている。

 そもそものお話しとして、ザック・スナイダーによる『マン・オブ・スティール』と『バットマンVSスーパーマン』は不評だった。特に『バットマンVSスーパーマン』はお話しとして無理がある。2人のヒーローを対決させたいが、どちらも正義の側なので対立する理由がない。間にレックス・ルーサーが介入していて、バットマンが騙されていた……という構図を取っているものの、それでも展開として不充分。無理やり対決させた……という感覚がつきまとっていた。
 その続編として作られていた『ジャスティス・リーグ』。『ザック・スナイダーカット』はジェス・ウェイドン版で不明瞭だった部分がはっきりして、それぞれキャラクターが持っているドラマが掘り下げられていった。ジェス・ウェドン版よりも確実に良くなっている。でも不評だった前作の問題を解消させるほどの作品ではない……というのも事実。
 特に引っ掛かりは、どうして今になって侵略宇宙人ステッペンウルフがやってきたのか? という問題。地球には最強宇宙人スーパーマンがいたから安全が保たれていた……という話になっているが、そのスーパーマンがやってきたのは20世紀に入ってから。一方マザーボックスが地球に取り残されたのは数千年前。どうしてこの間、侵略宇宙人は地球攻略を諦めていたのか。
 そもそもそのマザーボックスが作られたのは数千年前……その間、どうして同じものが作り出せなかったのか……という疑問がある。侵略宇宙人達に文明の退行があったのだろうか?
 ステッペンウルフはマザーボックス探索の最中、地球上に「反生命方程式」と呼ばれるものがあることを発見する。それを意外な発見だ……とボスであるダークサイドに報告する。ダークサイドは「本当なのか?」というけど……いや待て待て。ワンダーウーマンが語る過去話の中に、ダークサイドが「反生命方程式」を地球上に作り出すシーンが描かれていたじゃあないか。ダークサイドは知っているはずでは?
 前作からの引っ掛かりだけど、今作におけるスーパーマンの最強っぷりを見ると、やっぱり前作、バットマンがスーパーマンと戦うのは無理があったなぁ。いくら強化アーマーを装着して、クリプトナイトでデバフをかけたとしても、地球人が戦ってどうにかなる相手じゃない。スーパーマンとバットマンでは、サイヤ人と地球一般人ほどの差がある。
 今作においても、スーパーマンは相変わらず最強のキャラクターなので、登場した瞬間、お話しが終わってしまう。デウス・エクス・マキナになってしまっている。最終的に侵略宇宙人との戦いになるのだけど、スーパーマンは理由を作ってしばらく参戦せず。最後の最後でいきなりやってきて、美味しいところを持っていく……という展開になっている。お話しを盛り上げるためのキャラクターになってしまっている。
(※ デウス・エクス・マキナ 直訳するとラテン語で「機械仕掛けの神」。物語の作法において、登場すると同時に物語上のあらゆる問題を解決してしまう存在のこと。物語創作における悪手とされている)
 これはスーパーマンというキャラクターが抱えている問題。もはやワンパンマンのような存在。「最強」と設定されているがゆえに、デウス・エクス・マキナになってしまう。だからシナリオはいかにスーパーマンの参戦を遅らせるか……そのことに知恵を絞らなくてはならなくなる。その理由にやっぱり「無理矢理感」があって……。

 『ザック・スナイダーカット』は2017年のジェス・ウェドン版公開の後、実に3年間ネット上で醸成されたムーブメントによってようやく日の目を見たバージョンだ。それは間違いなくジェス・ウェドン版より出来は良くなっている。ドラマはしっかりしているし、同じフッテージが使われていても仕上げやサウンドも変わっているので印象はグッと良くなっている。
 でももともとの物語上の欠点まで解消できているか……というとそれはない。冷静な目で見ると、「ちょっと待て」とツッコミを入れたくなる部分は多い。さらに前作『バットマンVSスーパーマン』の時点でお話しに無理矢理があったので、それを解消できるほどのインパクトはない。
 3年間ネット上で作られたブームがあったから『ザック・スナイダーカット』の評価は非常に高くなっているけど、改めて見るとそこまでではない。『マン・オブ・スティール』から始まる3部作の中では一番良かったのは間違いないけど。

 さて『ザック・スナイダーカット』は全部で4時間の映画だけど、私の見たところ、おそらくもともとは3時間半の内容だったんじゃないかな……。ネタバレをすると、侵略宇宙人ステッペンウルフ討伐まで3時間半。残りの30分はエピローグとなっている。このエピローグのところが新規追加撮影のシーン。ステッペンウルフ討伐までの3時間半までの内容は2017年にすでに撮影されていたシーン。
 もともとザック・スナイダーは『マン・オブ・スティール』から始まる「全5部作」の構想を立てていた。『ジャスティス・リーグ』はその中間地点。さらにその先のストーリーがあった。
 今回、エピローグとして新たに追加されたシーンは「続きはこうなる予定でしたよ」という場面。しかしザック・スナイダーとワーナー&DCとの関係は完全に途絶えてしまった後。その続きを制作する機会は永久にない。ザック・スナイダーは『ジャスティス・リーグ』にあのエピローグを追加するのは“蛇足”になることを承知の上であえて入れている。
 そこには作り手の名誉と意地があった。「続きはこういう展開になる予定でした。みなさん、見たくないですか?」と問いかけをするために。もしかしたらそこで会社側が考えをあらためるかも知れない……という希望もあったかも知れない。
 でも正直な感想を言うと……「その展開はやっぱり無理矢理じゃないか」と私は思うのだった。


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