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私の成長記録④脊髄障害の私

こんにちは!!
丘咲 つぐみです。

13回目の記事になります。

3度目の「その日」はゆっくり、ゆっくりと私に近付いて来ました。

摂食障害を発症した時期と重なって、身体に異変を感じるようになっていました。

首、肩、腕、背中、腰、足、と身体のあちこちが痛い
腕がしびれる
突然、腕の力が入らなくなる
お手洗いに頻繁に行く

初めの頃は、小さな違和感程度の症状で、肩こりが酷くなったのかな、重い荷物を持ち過ぎたからかな、という程度に思っていました。
ところが、症状はどんどん強くなり、誤魔化せないくらいに顕著に表れるようになっていきます。座っている体制が一番辛く、授業中も座ってることに耐え切れずに、立ったまま授業を受けさせてもらったり、床に倒れこんでしまう日も出て来てしまいました。

整骨院へ行ってみると、

ただの肩こりですね

と言われます。
ただの肩こりで、歩けなくなる程の痛みが出るのでしょうか?

整形外科の病院へ行ってみると、

どこにも異状はないですね
レントゲンも奇麗だし、MRIを診ても異状ないよ

と言われます。
医師は、まるで私が嘘をついているかのような目で、しっかりと私を見てきました。そう感じられるほどに、露骨に嫌悪が顔に表れているのです。これは、1カ所や2か所の病院での出来事ではありません。
私の覚えている限りでも、30カ所以上の病院を転々と回りました。
でも、どこの病院へ行っても、診断はほぼ変わりません。

異状なし

このことを周りの方にお話すると、

異常が無くて良かったね

と返されることが多々ありました。
飛んでもないです!!
異常がないと診断されてしまうから、治療をしてもらうことができないのです。異常がないのにも関わらず、歩けなくなるほどの、学校生活を送れなくなるほどの症状となって表れることがあるのでしょうか。
もちろん、心理的な影響によって、身体そのものに異常が無かったとしても、身体の痛みとなって症状が出るケースもあります。でも、そうであるならば、心理的な治療を進めて、私の症状を軽くして欲しいのです。
病名が、身体的な病気の名前であろうと、心理的な病気の名前であろうと、そんなことはどちらでも良いのです。
ただ、私の症状を軽くして、普通に「日常」を送れるように治して欲しいのです。

「異常なし」の私を煙たがる整形外科の医師により、精神科を紹介して頂いたことも何度もありました。この症状が改善されるならと、甘んじて精神科での治療も受けました。
「甘んじて」というのは、本当は全く納得していなかったからです。なぜ、納得できなかったかというと、精神科の医師たちも私を責めてきたからです。

身体に異常がないのにこんなに痛がるのは、あなたがおかしいのですよ
どこの病院に行ったって、治りませんよ
あなたみたいなおかしな人、誰も診てくれませんよ

こんな言葉を何人もの精神科の医師たちは、平気で私に投げてきました。
今考えてみると、治してくれるはずの医師からこんな言葉を掛けられたら、余計に症状が酷くなっても不思議ではないように思います。

このようにして、私の痛みとの戦いの歩みがスタートしました。
しかも、摂食障害と並行して。

高校へ通うことがどんどん難しくなり、欠席日数が足りずに毎年留年の危機にさらされていましたが、学校の配慮により、補講やレポート提出などによって、無事に3年間で卒業をすることは出来ました。しかし、卒業後は、そのまま入院と療養生活に入って行くこととなります。
あんなに我武者羅に勉強を頑張ってきたのに、大学受験も大学進学も考える余地などどこにもない生活となってしまいました。

たくさんの医師と、たくさんの周りの方からの「嫌悪」の目に耐えながら、療養生活を送り続けました。

トイレに行くことも叶わず、寝たきりとなった時期、
車椅子の生活となった時期、
杖を使ってようやく歩けた時期、

もありました。

トイレに行くこともできなくても、一人きりの生活の中で、糞、尿、汚物まみれの布団で過ごしたことも、今や懐かしい光景です。

車椅子に乗っている私を見て、

脊椎損傷でもないのに車いすに乗っちゃうなんてすごいね(笑)

と医師から投げつけられた嫌味な言葉も、もう懐かしいと感じます。


このようにして、社会から完全に離脱をして生活をしていた私でしたが、27歳の時、やっと病気を発見してもらうことができました。
それは、

脊髄緊張性終糸障害。

希少難病です。

そこから、何度かに渡って手術を繰り返して行くこととなります。
しかし、病気を発見してくれた医師からはこのように告げられました。

発見が遅かった。
この病気は、発見が早ければ、手術によって完全に症状が無くなるほどに改善する。
しかし、つぐみさんの場合には、発症してから10年以上経過してしまっているから、手術をしてもどこまで回復できるか分からないよ。

傷みに顔を歪める私を見て、医師はこう言ったのです。

10年以上前から、病院に助けを求めていたのに
治してってお願いしていたのに

どう表現をしたら良いのか言葉が見つからない程に悔しかったことを、20年近くたった今でも忘れません。
でも、その医師は、やっと病気を発見してくれた方ですから、私にとっては「神」のような存在です。もし、その医師に出会えていなかったら、あの糞尿まみれの生活が今でも続いていたかも知れません。

それでも、手術の繰り返しとリハビリによって、少しずつ、少しずつ、症状は改善されていきました。「振出しに戻る」ほどに悪化する時期も何度もありましたが、それでも、少しずつ、少しずつ、回復していきました。
そして、病気の発見から15年が経つ頃、やっと、痛みにそれほど顔を歪めなくても生活できるような日常を取り戻せるようになっていきました。

今から、3年前のことです。


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