見出し画像

私の成長記録⑥虐待後遺症の発症Ⅱ

こんにちは!!
丘咲 つぐみです。

15回目の記事になります。

「虐待後遺症の発症」について、前回の続きを書いていきたいと思います。

虐待後遺症に支配された私


もしかしたら、私の場合は、複雑性PTSDの発症と社会性不安障害の発症が重なっているため、この2つの病による症状の境目はあいまいなのかも知れません。
どちらの病なのか、『白黒付ける』ことなどどうでもよく、この2つの病を中心に他の精神疾患も重なって、私の人生そのものが精神疾患に支配されていました。
虐待そのものは、ある年齢を超えたころには「終わった」はずだったのに、その後で「虐待後遺症」に支配され続ける毎日が待っていたのです。
虐待サバイバーの多くの方がこう言います。

大人にるまで我慢すれば自由になれると思ってた
でも、違った...
大人になってからの方がもっと深い地獄が待っていた

私自身もご多分に漏れず、大人になってからの地獄の方がうんと、うんと深くなりました。
地獄の底には、どこまで行ったら辿り着けるのか。
どこまで行ったら「終わり」に辿り着けるのか。
そんなことばかりを感じていました。
「児童虐待」と言うと、未だに「身体的虐待」のことばかりがクローズアップされます。
殴られた、
出血した、
命の危機に晒されるほどの大けがをした、
児童虐待で報道されるケースは、最も最悪のケースとなってしまう「子どもの死」に至ってしまった場合がほとんどのため、ある意味仕方ないところもあるのかも知れません(私としては、到底「仕方ない」を受け入れることは出来ませんが)。
しかし、生き残った虐待サバイバーは、殴られたり、蹴られたりしたときの痛みや恐怖そのものよりも、毎日の生活の中でジワリジワリと小さな幼い子の心を蝕んでいたトラウマ体験の連続、心理的虐待の連続によって、その後の人生を支払され続けることになります。
だから、「心理的虐待」という虐待を簡単に捉えないで欲しいのです。
少々極端な表現をするならば、身体的虐待は、命さえ守ることができれば「その時」だけで終わるものであって、心理的虐待は生涯に渡って終わりのない人生そのものの支配となっていくのです。

現在の私


現在の私は、これらのことを随分と受け入れることができ、克服もしつつあります。これは、苦しみの後に出会った多くの方の力によって、地獄の底から引き釣り挙げてもらえたのだと思っています。

例えば、先日こんなことがありました。
休日のランチを作ろうと、夫と二人でキッチンに立っていた時のことです。
ラーメン好きの夫が、ラーメンを作ろうと大きなお鍋をコンロの火に掛けていました。お鍋の中の水が温まってくると、少しずつ湯気が上り始め、その内、フツフツ、フツフツと泡を立ててきました。
夫は、そのお鍋のお湯をテーブルの上にあるラーメン丼ぶりに移したかったようです。
しかし、狭いキッチンの中、夫と私の二人が立っていて、思うように移動することができず、オロオロとしていました。すると次の瞬間、そのフツフツと泡を立てるお鍋を私の頭上まで持ち上げて、私の真後ろを通ろうとしたのです。
その時、私の頭の中に『お鍋を持って追いかけてくるお母さん』の姿が一気に蘇って来ました。包丁を動かす手が止まります。身体が硬直します。
でも、次の瞬間には、私は夫にこう言ってました。
笑い声も交じりながら。

やめてよ~
そういうことされると、お母さんにお湯掛けられたこと思い出しちゃうでしょ~
あれ、すごい怖いんだからね~笑

こう話している自分に、私自身が驚いてしまいました。
あの恐怖体験を笑って話せるなんて、虐待後遺症を克服してきている「証」だと思います。
この後の夫とのランチタイムが、いつも以上に楽しい時間となったことは言うまでもありません。

それでも、未だにふとした出来事にフラッシュバックを起こし、パニックに陥ることもしばしばあります。
ちょうど昨日も、子ども支援団体の方々の講話に触れている中で、フラッシュバックが起こり、体中が強張って、過呼吸の予兆のようなものを感じ、20分ほど離席して、心を立て直した、ということがありました。

そうは言っても、私の場合は、奇跡的な多くの出会いと多くの人の力によって地獄から脱出できました。しかし、多くの虐待サバイバーの方たちは、この「奇跡」に触れることがなかなかできず、ずっと苦しみ、哀しみ続けています。


虐待被害児にとって、虐待の影響による地獄は永遠に続いていくのです。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?