米津玄師が音楽に託した「情熱」の行方について
【米津玄師/『馬と鹿』】
輝かしい”Lemon”の季節を超えて、ついにはJ-POPシーン全体をも掌握してしまった米津玄師。それほどに、あの曲が放っていたポップな魔力は破格であったのだ。
しかし言うまでもなく、彼は同時に、2010年代を代表する孤高のロックアーティストでもある。
反骨精神とマイノリティ・マインドが、力強いビートに乗って、ポジティブなヴァイブスへと反転していく”LOSER”。
《アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう/もう一回もう一回行こうぜ 僕らの声/アイムアルーザー ずっと前から聞こえてた/いつかポケットに隠した声が》(”LOSER”)
一見、”ピースサイン”は、ストレートなメッセージソングとも捉えられそうでもある。しかし、あえて「捻りのない」という「否定」の表現を用いるところが、やはり彼らしい。
《君と未来を盗み描く 捻りのないストーリーを》(”ピースサイン”)
そして、昨年ドロップされた”TEENAGE RIOT”。無軌道に暴発していくロックの「衝動」を体現したこの曲は、日本のオルタナティブ・ロックシーンにおける新たな金字塔となったと言ってもいいだろう。
《煩わしい心すら いつかは全て灰になるのなら/その花びらを瓶に詰め込んで火を放て 今ここで/誰より強く願えば そのまま遠く雷鳴に飛び込んで/歌えるさ カスみたいな だけど確かな バースデイソング》(”TEENAGE RIOT”)
だからこそ、である。
米津の新曲”馬と鹿”に、とにかく圧倒された。
これほどまでに「情熱的」な曲は、過去のディコグラフィーを振り返っても例がない。彼の音楽を形容する上で、まさか、この言葉を使う日が来るとは思わなかった。
乾いたエレキギターのバッキング。
少しずつボルテージを上げていくマーチングドラムのリズム。
重厚なグルーヴと勇壮のオーケストレーション。
そして、ついに放たれる魂の叫び。
《これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった》
そのハイエナジーな響きは、ロックアーティストとしての米津を取り巻いていた「オルタナティブ」という文脈さえも無化してしまう。
断言しよう。彼が、これほどまでに衒いのない直情的な歌を、J-POPシーンのド真ん中に向けて放ったのは、間違いなく今回が初めてだ。
ただただ、血湧き肉躍る。シンプルにして極上の音楽体験がここにある。
若くして、ロックシーン/J-POPシーンの頂点に到達した米津玄師。
それでも彼にはまだ、音楽に託したい「情熱」があるのだ。
きっと、《誰にも奪えない魂》が、今もなお懸命に叫び続けているのだろう。
その「情熱」の先には、僕たちリスナーが待っている。
そして、もっともっと広い世界が広がっている。そこには、まだ彼の音楽に出会ったことのない未来のリスナーが待っているはずだ。
今回の新曲”馬と鹿”は、その未知なるフロンティアへと一気にリーチし得る普遍性を誇っていると思う。紅き信念が脈打つこの曲が、米津の次なるブレイクスルーのきっかけになることを、強く望む。
輝かしい”Lemon”の季節の先へ。
新時代のポップ・ミュージック史は、確かに続いていく。
その必然と、輝かしい可能性を提示してくれる米津を、僕は希望と呼びたい。
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