米津

米津玄師に、ポップ・ミュージックの未来を懸けよう

ポップ・ミュージックの未来を、美しく、しなやかに、そして逞しく体現し続ける彼は、まさに「次の時代」の希望だ。

ボーカロイドの世界で頭角を現し、絶大的な評価と支持を得た米津は、しかし、自らの安住の地に留まることはしなかった。

彼は10代の頃にバンドを組もうとして挫折した経験を持っている。だからこそ彼は、一人でパソコンに向き合い、ボーカロイドを通して「孤高の天才」となった。

それでも彼は、音楽を通して人と繋がることを決して諦めはしなかった。

だからこそ、本名で表舞台に出て、自分の声で歌う覚悟を決め、直接音を届けるためにバンドでライブ活動を始めた。

「肉体性」の奪還、豊かな「人間性」の再認識。そして、ついに届けることができた「肯定」と「希望」のメッセージ。

《消えない悲しみも綻びもあなたといれば/それでよかったねと笑えるのがどんなに嬉しいか/目の前の全てがぼやけては溶けてゆくような/奇跡であふれて足りないや/あたしの名前を呼んでくれた》

そう、この"アイネクライネ"は、いくつもの壁を乗り越え、ついに出会うことのできた「あなた」へ向けたラブソングだ。

そして彼は、他者との関わり合いを通して、誰も聴いたことのないポップ・ミュージックを次々と世に送り出すようになった。

"打上花火"や"灰色と青(+菅田将暉)"は、彼が勇気を持ってインターネットの外の世界に飛び出していなかったら、きっと生まれていなかった楽曲である。

変わり続けること。

それは、ポップ・ミュージック、そして、彼自身の至上命題だ。

いつだって、最新の在り方こそが、最も刺激的で革新的、そしてだからこそ感動的。

「次の時代」の音楽シーンに、米津玄師がいることが何よりも頼もしく、誇らしい。



※本テキストは、「【永久保存版】 僕たちを「次の時代」に導いた平成の邦楽30曲」の一部を抜粋・再編集したものです。


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