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自己紹介・病歴


こんにちは。
発達障害/精神疾患の根本治療に興味を持ってくれてありがとうございます。

僕の現在を簡単にまとめました。

・首都圏在住、アラフォー男性(ヘテロセクシャル)
・最終学歴は修士
・一人っ子、両親は健在。離婚歴1回。子どもなし
クローズド就労で在宅にてIT企業の正社員
・酒とタバコは好き
・長期にわたるうつ状態にて就労不能・障害年金1級受給の経験あり
・現在は発達障害グレーゾーン?よくいる空気読めない人。生活や仕事に支障はない
・働くかたわら、脳機能改善のための情報収集・治療を実践中
・目的はハイレベル健常者と肩を並べること
・医療の専門職ではない

当事者として複数の医療による治療経験・知識を持ってることが強みです。

医師は自ジャンル外のことは認識できず「分からないから他をあたってください」とも仕事柄言えません。

略歴

子どものころ、家庭環境は「下の上」だったと思います。

虐待は受けていませんが、幼いころから両親に頬をはたかれたり、かなりストレスの多い家庭でした。

小学校から高校までずっと公立・共学の学校でした。
勉強は得意だったので、大学院修士まで進学しました。

障害のこともあって通常より2年多くかかり、就職したのは26歳でした。

ざっくり言って、よくいる「IQ高めコミュ力0のアスペ」でした。

なので、大手に就職後、ストレスに耐えられず、うつ状態から休職・復職をくりかえし、最後に退職しました。

ほぼ同時期に離婚も経験しています。

その後は建築現場で働いていました。

肉体労働が全く向いていなかったので、すぐに就労不能状態になりました。

この頃になると、両親とは音信不通の状態でした。

格安のシェアハウスに住み障害年金を取得して、生活をしのいでいました。

そういう人は多くいますが、たまたま僕の交友関係は健康な人に限られていました。

自助グループに参加したこともありません。

「誰もわかってくれない」
そんな気持ちに耐えられなくなり、何とか治す方法はないのか?と模索を始めたのが30代半ばでした。

そこからどうやって現状まで回復したかは、順を追って説明します。

発達障害だけでなく他の精神疾患で困っている人も多いと思います。

なので、多くの人に実行可能な鑑別・治療法を伝えることがこのマガジンの目的です。

病歴

子どものころから、落ち着きがなく、だらしなく、時間にルーズで、片付けができない。

集中力がないくせに一度集中すると周りが見えなくなる。

そんな傾向はあったと思いますが、子どもならよくあることと思います。

問題は、ティーンエイジの半ばから原因不明のうつ状態になることが多く、何事も楽しめくなったことでした。

20歳ごろにはかなり深刻化し、学校に行けず一日布団の中で過ごし、自傷行為にふけるようになりました。

また、頭の中の独り言が止まらず、何をせずとも常に疲れていました。

そういった経緯で、大学の3年目に精神科にかかりました。

診断は「うつ病」でしたが、そこで紹介されたクリニックでは「統合失調症」の診断でした。

陰性症状(うつ)が強く、陽性症状(躁状態)が少ない統合失調症ということで、当時新薬だったエビリファイをずっと飲んでいました。

薬の効果が実感できたことはありませんでした。

大学は2回留年しました。

20代のあいだ精神状態に変化はなく、大手企業就職後にストレスから休職・復職 → 退職 の流れも、つまりそういうことです。

効果のない通院・服薬を惰性で続けていました。

ここだけの話、自殺未遂も2回あります。

建築現場で働いた頃に「発達障害」という概念を知り、転院してWAIS(ウェイス)という知能試験を受けました。

結果は「発達障害の傾向がかなり強い」ということで、専用薬のストラテラ・コンサータの服用が始まりました。

ストラテラは、当時は薬事法が緩かったので、個人輸入して最大容量で飲みました。

効果の多少はありましたが、劇的ではなく、頭の中のおしゃべりと霧が晴れることはありませんでした。

仕事を辞めた後はずっと寝たきり。
復帰できる気力はありませんでした。

マガジン「健常者になろう!」

以上のような就労不能の人間が、クローズドで歳相応の年収を得られるようなった経緯と知識は、マガジンですべて解説します。

その上の脳機能改善について今も試行錯誤しつつ、日々充実しています。

そこまで含め、「なるべく多くの人に可能な鑑別・治療法」をお伝えしようと思います。

よろしくお願いします。


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