家族の絆

妻が退院して、3日が過ぎた。
先週日曜の深夜、救急で病院に入った。
それから4日間、娘と2人きりの生活だった。

月曜日と火曜日は、仕事を休んだ。
月曜日、娘と共に妻を見舞いに行った。
だが、未就学児は面会できないと病院に断られた。
それで、翌日から面会に行けなくなった。

火曜日、前日に続いて保育所を休ませた。
娘と2人で食事をして、公園で犬の散歩をして、車でスーパーへ買い物に出かけた。
家の掃除、洗濯、翌日の保育所の準備や職場との連絡をしている間、YouTubeでアニメ動画を娘に見させ、慣れていないことやら、やらなければならないことやらで、疲労が蓄積されていった。
日が暮れてからも、犬の散歩、食事、そして一緒に風呂に入って、早くに2人で寝た。
だが、夜泣きが始まった。
連夜、母親が不在であることに対する不安感からか、深夜2時頃に突然泣きわめく。
娘の体を擦りながら「大丈夫だよ、ママはもうすぐ家に帰ってくるからね」と声をかけた。
それでも、なかなか落ち着かなかった。
結局、夜泣きは1時間ほど続いた。

水曜日は仕事に行くことにした。
教師という仕事柄、あまり続けて休むのは難しい。
ましてや、教師不足の現状で、他の専任講師に負担をかけ過ぎるわけにもいかず、また、代講を立てる余裕もなかった。
いつもよりも早起きし、まだ眠気まなこの娘に朝食を済まさせ、ママチャリで朝イチに保育所へ向かった。
保育所で別れ際に、また泣きわめく娘に後ろ髪を引かれつつ、職場へと向かった。
午前の授業を終え、午後は半休をとった。
そして、保育所へ娘を迎えに行った。
その日、妻から連絡があり、翌日に退院出来ることが決まった。
その日の晩も前日と同じく、深夜の夜泣きが始まったが、今日が最後だと言い聞かせ、娘の体を擦り続けた。

翌朝は、娘を保育所に預けるのを辞めた。
2人で一緒に職場へ行くことにした。
朝の満員電車は、3歳の娘にはきつかろうと思い、車を走らせることにした。
初めての車通勤だったが、渋滞に巻き込まれることもなく、何とか出社時刻前に到着できた。
授業をしている間、職場の事務の女性たちが娘の面倒を見てくれた。
また、学生たちも「先生の子ども、可愛い」と言って、休憩時間にお菓子やジュースなどを与えてくれた。
授業終了後、この日も午後半休をとって、すぐに病院へ向かった。
退院手続きを済ませた妻は、病院の中でずっと2人が迎えに来るのを待っていた。
喘息の症状はまだ残っているが、大量の薬をもらって、近所のクリニックに通院するための紹介状も担当した医師から書いてもらっていた。

その日の晩、久しぶりに家族3人でベッドに入った。
そして、娘は夜泣きをしなかった。
家族の温かみを感じながら眠りについた。

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