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誰もが見捨てた14歳のリスカ不良女子が、肝っ玉PTA会長になるまでの話


故郷に友達と呼べる人が1人だけいる。

小学校の時に初めて出会って、そこから12〜16歳頃まで、人生のうち最も多感な時をべったり一緒に過ごした友達だ。私という人間の基盤の形成に大いに影響を及ぼした。

当時は親友と呼んでいたけれど、今はもう違う。(親友っていう響きそのものを懐かしく感じる。きっと10代の女の子のための言葉なんだろう)
彼女は現在3児の母であり、PTA会長であり、自分のアイデアで月数十万稼ぐビジネスマンであり、私なんかよりずっとずっと多忙だ。私たちをかろうじて繋いでいるのは、年始のLINEと「帰ってきてるなら飲もうよ」というほぼ形骸化した果たされない約束と、あとはそういう鮮明な思春期の記憶だけだ。

それでも20代の頃はまだ、忘れた頃に泣きながら電話がかかってきて、何時間も話したものだ。

「つかふる、もういいよね?あたしもう死んでいいよね?」

等々。なかなか電話が切れなかった。
でももうそういうことはない。彼女は大人になったのだと思う。おそらく私よりもずっと立派な大人に。

当時彼女を「ろくな大人にならない」と見放し、見下していた教員たちよりもずっと立派な大人に。

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