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「海獣の子供」は、アニメ版「2001年宇宙の旅」?

今回は、映画「海獣の子供」について書きたい。
これは五十嵐大介先生の漫画のアニメ化で、毎日映画コンクールアニメ部門大賞、文化庁メディア芸術祭アニメ部門大賞など、様々な映画祭を総ナメにした名作なので、皆さんも記憶に新しいだろう。
制作は、最先端の映像表現に定評のあるSTUDIO4℃
監督は、これまで「ドラえもん」等を手掛けてきた渡辺歩

渡辺歩監督は、リアルのび太くんである

この人の凄さを手っ取り早く実感できるのは、文化庁若手アニメーター育成事業「アニメミライ2014」に出品された、「大きい1年生と小さな2年生」というショートムービーである。
僅か20分余りの短いアニメなのに、私、これ見て泣いたからね。
実は、STUDIO4℃もこの時「黒の栖クロノス」という作品で「アニメミライ2014」に参加してたわけで、ひょっとしたらその時の縁で「海獣の子供」に繋がったのかもしれん。

「海獣の子供」(2019年)

正直、この「海獣の子供」は興行的にはコケている。
興行収入は、4億5000万だったらしいし。
だからまだ見てない人も結構いると思うけど、なんて言ったらいいのかな、とにかく凄い映画である。
カテゴリー的にはファンタジー?
いや、個人的にはSFだと思う。
しかもかなり高尚なSFで、最も近いイメージでいうと「2001年宇宙の旅」かな。
多分、これを描いた五十嵐先生って、かなりそっち方面に造詣のある人なんじゃない?

「2001年宇宙の旅」

「2001年宇宙の旅」は極めて難解な映画とされてるが、それでも今なお多くの人たちに愛され続けている映画でもある。
よく理解できないのに愛されてるって、凄くない?
それはひとえに、スタンリーキューブリックが作り出した映像美がなせる業だろう。
キューブリックという人は完璧主義を通り越して偏執だったのか知らんが、1カットに100回以上の撮り直しをして役者が精神を病んだという逸話をよく聞く。
これは役者がヘタだったからではなく、何十回も同じ動きを繰り返すことで役者が「様式美」の装置にまでなることを強いていたんだという。
なるほどね。
そこまで自分の理想ビジョンを追求したいなら、キューブリックは実写じゃなくてアニメ監督になればよかったのに、と思う。
多分「海獣の子供」の映像美は、そのキューブリックですら納得するほどの至高の領域だったと思うよ。

こういう映像美は、STUDIO4℃ならではのものだと思う。
そして肝心の物語の方も、「2001年宇宙の旅」さながらの難解なものだったんだ。
あらすじとしては、主人公の琉花という女子中学生が2人の美少年と出会うボーイミーツガール系で、最初は「ラブストーリーかな?」と思わせるものがある。
ところがこの美少年たち、どうも普通の人間じゃない。
ヒトというよりは、カミに近い存在というか・・。
でも、2人とも魅力的なんだよね。
天真爛漫なウミ(弟)と、妖しげなソラ(兄)。
なんかこういうのって「花より男子」における道明寺司&花沢類、もしくは「フルーツバスケット」における草摩由希&草摩夾などを彷彿とさせるものがあり、序盤は結構ドキドキするんですよ(私、オジサンなのに・・w)。

左から、ソラ、琉花、ウミ

途中から「あ、これ全然ラブストーリーじゃない」と気付くわけだが、それと同時に琉花もまた普通じゃないというか、どんどん巫女的な立ち位置へと寄っていく。
で、会話もだんだんと高尚になっていくわけよ。

「俺は、宇宙は人間に似ていると思う。
人間の中には、たくさんの小さな記憶の断片がバラバラに漂っていて、何かのキッカケで記憶が結びつく。
そのちょっと大きくなった記憶にさらに色々な記憶が吸い寄せられて、結びついて大きくなっていく。
それが『考える』とか『思う』ってことでしょ?
それはまるで・・」
「それはまるで、星の誕生、銀河の誕生する姿にそっくり、か・・」


こういう会話から、「あ、この物語ってSFじゃん」とようやく気付くわけよ。
そういや、渡辺歩って「宇宙兄弟」の監督でもあったっけ・・。
上記の会話はひとつの重要な伏線になっていて、クライマックスの導入部分で、海の巫女的な婆さんがこういうことを言う。

「宇宙はひとつの生命体。
海のある星は子宮、隕石は精子、受精の祭り。
それを垣間見た者たちが、歌にして語り継いだ。
星の、星々の、海は、生み親と。
続きの歌が聞こえる。
人は乳房、天は遊び場。
・・祭りの本番が、始まる!」

細かいところまではよく分からんけど、私の解釈としては

・生命の素となるものは、地球外(宇宙)から隕石として飛来する
・隕石と海とが融合し、記憶(遺伝情報)を継承する
・ウミとソラは、その融合の導き手?
・全ての生命は、海を介して宇宙と繋がっている
・あるいは人というのもまた、宇宙にとっての記憶収集端末?
・ウミやソラが敢えて琉花を祭りに介在させたのは、陸の記憶継承の為?

ということになると思う。
宇宙を壮大なスケールでひとつの生命体と捉え、地球のような星はその器官のひとつなんだろうね。
我々人類もまた、その一部。
しかし、器官にせよ臓器にせよ細胞にせよ、全て記憶(遺伝情報)は母体と共有している。
ひょっとしたらソラとウミは太古の昔から地球に存在していて、それこそ「2001年宇宙の旅」におけるモノリスのような役割を果たしていたかもしれない。
人は言葉をもったことで、かえってコミュニケーションがややこしいことになってるが(事実、琉花もその母も極度のコミュニケーション下手)、琉花の劇中最後のセリフが
一番大切な約束は、言葉では交わさない
だったことからして、人が生命である以上はみんな同一の記憶を共有して、人も海も星も宇宙も全部同一の意識で繋がってるんだよ、というメッセージだったんだと思う。
・・う~む、こうして言語化すると、少し意味が分からなくなってくるね。
だからこそ、この映画は映像で上記の情報を表現してるわけだ。
考えるより感じろ、といったイメージで。
不思議なもんで、「祭り」の映像を見てると何となくだけどメッセージ性が伝わってきたのは面白いもんだね。
言語なんかより、映像の方がよっぽど雄弁である。

「海獣の子供」のワンシーン

多分、この作品は「2001年宇宙の旅」と同様、私たちの子や孫、その先の子孫の世代にまで、ず~っと議論され続ける系のアニメだと思う。
いやはや、STUDIO4℃も凄いアニメを作ったもんだわ。
クライマックス、琉花がクジラに飲み込まれたところで、私はSTUDIO4℃の出世作、「マインドゲーム」を思い出したよ。

「マインドゲーム」、主人公たちがクジラに飲み込まれるシーン
「海獣の子供」琉花がクジラに飲み込まれるシーン

やはり、宇宙も海も人も繋がってるように、「マインドゲーム」も「海獣の子供」も同様にして、繋がってるということか・・。
いやいや、繋がりはまだこの後も続く。
STUDIO4℃はこの2年後、今度は海辺に住む母娘ふたりを主人公にした、「漁港の肉子ちゃん」という映画、同じく渡辺監督で作るのよ。
皆さんは、これ見た?
私、これで大号泣したんですけど・・。
正直「明石家さんま企画・プロデュース」というので期待してなかったんだが、これが見込み違いで、とんでもない傑作だったね。

「漁港の肉子ちゃん」
ヒロインのキクりん

ヒロインのキクりんがめっちゃ可愛いんだが、キャラデザが別担当かというほど彼女に似てない母・肉子ちゃんがもうひとりのヒロイン。

娘と対照的に、デブでブスで頭の悪い肉子ちゃん

・・あかん、肉子ちゃんの顔見てるだけで、また思い出して泣けてきたわ。
これ、興行収入が「海獣の子供」をさらに下回る、2億9000万だというから大コケもいいところなんだけど、「ヒットしないが良い映画」はSTUDIO4℃の伝統なのか?
これはもう、子供の繊細な心を描かせたら無双の渡辺歩真骨頂という感じで、「とにかく見てない人は見て」としか言いようがない。
国内外の映画祭で、賞を総ナメにしてるのはダテじゃないぞ。

これ、「トトロ」のパロディ?

あと、渡辺監督は「肉子ちゃん」の翌年、またしても海の出てくるアニメ「サマータイムレンダ」の監督をやっており、
①海獣の子供(2019年)
②漁港の肉子ちゃん(2021年)
③サマータイムレンダ(2022年)

を個人的に「渡辺歩・海3部作」と名付けようかと思う。

「サマータイムレンダ」でも、クジラが出てくるんだよな・・

皆さんもお暇があったら、ぜひ上記「海3部作」を見てみてください。
3つともジャンルはバラバラだけど、なんか根っこは繋がってるような気がするんだよね。


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