見出し画像

補欠の苦悩。輝かしいスタメンの影に隠れた中学三年間。

中学三年間は決していい思い出ではなかった。振り返るのも恥ずかしい。どちらかと言えば陽キャだったけど、正直、女の子と戯れたかっただけで、空回りの連続だった笑。結局付き合うこともできなかったし、ただの下心丸出し。

部活は小学校からバスケットボールをしていたので、そのままの流れでバスケ部に入部した。小学校も補欠のようなもんだったので、中学も三年間補欠。

練習は週4回。平日は他の部活との兼ね合いもあったので、体育館では実戦練習で、それ以外は体力トレーニング。土曜日は3時間ほど練習するのだが、卓球部が練習しないことがあるので、ときどき5時間とか普通に練習していた。

先生とコーチ、どちらも厳しい人たちだった。先生は2年の終盤で転勤したんだけど、大変熱心な方で、良く他校と試合を組んで下さっていた。が、些細な失敗をすると直ぐに臍を曲げ、みんなで説教されていた。

コーチは2年の終盤でいなくなった。教師になるのが夢だったらしいんだけど、確か仕事を見つけて、直ぐに結婚した。入部当初はとにかく暴力を振るう人で、先輩たちは失敗するたびにみんな殴られていた。僕が中学1年の後半で、ピタリと止めたんだけど、地方の部活動では、こういった体罰は今でも横行している。

当時は思春期真っ盛りな年頃だったので、陰でみんなで愚痴ってた。なんだよあいつって。中学生からしたら愛情にも似た檄が本当に迷惑でしたね。

僕は怒られないように、叱られないように動いていましたが、漫画本を学校に持ってきたことがバレて、説教を喰らいましてね。それだけです。基本的には怒られないように生活をしていました。校則を破ることがかっこいい、と勘違いしていましたね。

中学の三年間は補欠で過ごしていました。今思えば、当然のことで、影で努力なんかしなかった。練習だけで満足した。しかも極度のビビリなので、簡単なレイアップシュートを外すことがしょっちゅうでした汗

昔ドラマで、「スクールカースト」って言葉が流行ったじゃないですか。思春期だからか、コンプレックスをすごい感じやすくなるんですよね。補欠は恥ずかしいというか、スタメンに対して劣等感を抱いてしまう。

レギュラーは毎回試合でフル出場して、僕はベンチウォーマー。合宿の洗濯なんかは補欠がやってましたからね。全校生徒の大会決起会のとき、ユニフォームをきて入場しているので、当然好きな女の子の視線も気にしてしまうわけですよ。

同い年なのに、ここまで扱いが違うって本当に悲しくなります汗。でも休みの日にみんなで遊んだことは、楽しい思い出でしたね。

2020年現在。こんな生活をしているとは、当時は夢にも思いませんでした。中学の友達にまた会ってみたいですね。

この記事が参加している募集

#自己紹介

227,825件

#部活の思い出

5,455件

サポートしていただいたお金は自分自身の活動費に充てさせていただきます。どうかよろしくお願いいたします。