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【開催記録】「対立の炎にとどまる」読書会:約10年間のファシリテーションに関する探求を、どう未来に繋げるか?

今回は、アーノルド・ミンデル著『対立の炎にとどまる(原題:Sitting in the fire)』を扱った読書会の開催記録です。

毎月、友人と共同開催をする中で異なる参加者の皆さんと、異なる学び・気づきを得ることができている恒例企画となってきました。

第1回第2回第3回第4回第5回の「対立の炎にとどまる」読書会の開催記録は、リンクを、第2回の読書会をきっかけに生まれた「プロセスワーク入門」読書会は以下をご覧ください。

今回は、『対立の炎にとどまる』読書会の第6回目。『第7章 ファシリテーター自身が抱える虐待の問題』を中心のテーマに据えて開催した際の記録です。


読書会開催のきっかけ

現在、私は生業として対話の場づくりファシリテーションといった方法を用いて、人と人の集まる場を目的の実現に向けて協力しあっていけるようにするお手伝いをしています。

世代を超えて豊かに育っていく関係性、組織・社会の仕組みづくり』というものをめざして日々、対話、ファシリテーション、場づくりの知見を個人、組織、コミュニティで紹介したり、実践を続けているのですが、その学びと探求の過程でさまざまな流派の知識体系、技術、哲学、事例に触れることとなりました。

そしてその中で、何年も語り継いでいきたい大切な知恵が詰まった本を、興味関心の合う仲間たちと時間をかけて丁寧に読み込み、対話することの重要性を感じるようになりました。

現在、毎月3回程度のペースで読書会を続けていますが、その中で大切にしていきたいことは以下の3つです。

少人数でじっくり1冊のテーマについて語り合う場をつくろう

本からの学びを、日々の実践につなげるための仕組みをつくろう

ゆるくしなやかな、種が芽吹いて育っていくような関係性を築いていこう

主催する私個人としては、読書会用に選書している(そしておそらくこれから選書するであろう別の)書籍は、一度サッと目を通して理解できたり、その叡智を実践することが難しいと感じられるものばかりです。

読書会の場は、次の世代に伝えたい大切な叡智を扱う場として、一冊一冊の知見が自分の子どもや孫世代まで伝わっていくような、そんな気の長い関わり方をできればと考えています。

語り継いでいきたい大切な知恵を、共感しあえる多くの人と分かち合う』そのための場としてこの読書会を設定し、参加者それぞれのタイミングで入れ替わりながらも豊かな関係性を紡ぎ、継続していきたい。

このような思いから、毎月開催のこの指とまれ方式の読書会は始まりました。

さらに詳しくは以下の記事もご覧ください。

アーノルド・ミンデルとは?

本書の著者アーノルド・ミンデル(Arnold Mindell)は、プロセス指向心理学(Process-Oriented Psychology)、また、それらを対人支援・対集団支援へ活かしたプロセスワーク(Process Work)の創始者として知られる人物です。

1940年1月1日にアメリカ・ニューヨーク州生まれのアーノルド・ミンデルは、アーニー(Arny)の愛称で呼ばれ、現在はパートナーのエイミー・ミンデル(Amy Mindell)と活動を共にしています。

幼少期の経験について、ミンデルは以下のように述べています。

第二次世界大戦が勃発したちょうどその頃、私はニューヨーク州北部の小さな町で生まれた。小学1年生になる頃には、自分を取り巻く世界全体が反ユダヤ主義であるように見えた。他の子どもたちが私のことを醜い反ユダヤ的な名前で呼び、寄ってたかって攻撃してきたとき、自分の家族がユダヤ系であることを初めて自覚した。

アーノルド・ミンデル『対立の炎にとどまる』p245

その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)で工学と言語学、大学院では理論物理学を学んでいたミンデルは、留学先のスイス・チューリヒでユング心理学と出逢います。

1969年にユング派分析家の資格を取得したミンデルは、ユング派が得意とする個人が見る夢の解釈のあり方を広げ、それを身体、グループ、世界へと展開していきます。

その考えはユング心理学の枠組みを大きく超えたものであり、1991年にアメリカ・オレゴン州に拠点を移したミンデルは、プロセスワークセンターを設立します。(下記リンクは、現在の組織体であるProcess Work Insutitute)

これ以降、ミンデルはタオイズムや禅といった東洋思想、シャーマニズムの概念を援用しながら自身の考えを語るようになりました。

アーノルド・ミンデルの思想との出会い

私とアーノルド・ミンデル氏の初めての出会いは、 廣水 乃生 さんが講師としてやってきた『場づくりカレッジ』という場づくり・ファシリテーションを学び、実践するプログラムでした。

その際に初めて私は、人の集団では表面的なやりとり以上に非言語の、明確化されていないメッセージのやりとりが行われていること、そのような場をファシリテーションするとき、ファシリテーターはそのダイナミクスの構造を捉え、違和感やメッセージに対する自覚を高める必要がある、といったことを体系的に学んだと記憶しています。

その学びに何か確信的なものを感じたのか、以降私は『紛争の心理学』『ディープ・デモクラシーと、どんどん日本語訳されたミンデルの書籍を手に取り、それらの原著も取り寄せるまでに至ります。

ところで、どうして原題は『Sitting in the Fire(炎の中に座る)』なのでしょうか?

そのような問いを持ってみると、同じようなタイトルの本も見つかるではありませんか。ラリー・ドレスラー著『Standing in the Fire(邦題:『プロフェッショナル・ファシリテーター』)』です。

2017年以降、私は組織・集団のプロジェクトや、ワークショップを運営するファシリテーターを生業としてきました。

その中で、グループ内の葛藤や対立が深まる中で一触即発の場面や、暴力性が噴出するような場面にも遭遇してきました。

そのような時、ファシリテーターとしての私は文字通り炎に焼かれるような緊張感、緊迫感、存在を揺さぶられるような危機感に身を置かれます。

この場はどうなるのか…
不用意な一言が暴発を招いてしまうのではないか…
次に口火を切るのは誰か…
ここの場の人間関係も決定的な破局になってしまうのか…
ミーティングの残り時間で何かの形で決着させられるのか…
自分にできることは何か…

それでも、そんな中でも、対立を超えたその先に、より良い未来を描きたい…と願い、自分の存在を投げ出すような覚悟と決心を持って場に臨み、真摯にファシリテーターとしての役割を全うする。

そのような体験で感じていたものが、『』ではなかろうか、というのが私の仮説です。

初めての邂逅以来、アーノルド・ミンデル氏が創始したプロセス指向心理学、プロセスワークを実践するプロセスワーカーの方々とも出会い、対話を重ねてくる中で今ここに至りますが、『紛争の心理学』は2022年12月に『対立の炎にとどまる』として復刊され、再び本書と縁が結ばれました。

そして、今回の読書会を思い立つ前に、本書の出版直後、アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎(ABD)という読書会が連続企画として開催され、私もその場にも参加しておりました。

※全3回シリーズの『対立の炎にとどまる』ABD読書会の第1回第2回第3回の参加記録はリンクを、アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎(ABD)については以下も参考までにご覧ください。

ただ、この場だけでは扱いきれないテーマがあったことも手伝い、本書を取り上げてこの指とまれ読書会を開催する運びとなり、現在も毎月1回は本書を扱った読書会が継続し、6回目を迎えています。

読書会を通じての気づき・学び

読書会の運営方法

今回の読書会は、これまで回を重ねてきたやり方から少し形を変えていくこととしました。

というのも、今回の読書会参加者は10年ほどの付き合いの仲間や友人たちであり、彼らとは対話の場づくり・ファシリテーションを幾度も共にしてきていた、という背景があります。

また、今回の読書会で主に取り上げる章を『第7章 ファシリテーター自身が抱える虐待の問題』としていたこともありました。

さらに、共通の友人の旅立ちや、参加者の仲間の人生の転機、といったプロセスも重なってきていました。

そこで、今回の読書会の場を、約10年続いた関係性や旅路、なぜ私たちはファシリテーションや対話の場づくりに惹かれ、今も時間を共にしているのか?といったことを扱う場のようにしたいと考えたためです。

半年間のアーノルド・ミンデル関連書籍読書会のJamboard

まず、この半年間で開催してきたアーノルド・ミンデル関連書籍読書会のJamboardを簡単に共有し、今年4月から現在に至るプロセスを簡単に振り返りました。

その後、この10年で互いが共にした対話の場の写真も共有し、その上でチェックインを行いました。

今回も上記のようにJambordを準備し、自由に扱いたいトピックを対話しながら扱った後、後半に入った時にもう一工夫を行うことにしました。

それは、

これまで話してきたことを日々に活かすとしたら、どのような気づき・学びがありましたか?

と問いを投げかけ、この問いをもとに読書会終了に向け、収束させていこうと意図したことです。

最後、この問いをもとにした対話の後、チェックアウトとなりました。

以下、読書会の中で行われた対話での気づき・学びをまとめていきます。

ファシリテーションとは何か?

今回の読書会で直接扱った訳ではないですが、改めて記録するにあたり、そもそもファシリテーション、ファシリテーターについて簡単に振り返ることにしました。

『ファシリテーション(facilitation)』は、「促進する・容易にする」を意味する動詞・ファシリテート(facilitate)の名詞形です。

『ファシリテーションとは何か―コミュニケーション幻想を超えて』を引いてみると、ファシリテーションには以下のような定義が用いられています。

人々が集まって、やりとりをしながら共同で何かを行うときに、コミュニケーションの場を保持し、そのプロセスに働きかける取り組み・仕組み・仕掛け

『ファシリテーションとは何か―コミュニケーション幻想を超えて』

一般的には、参加型・体験型のワークショップの進行役がファシリテーターと呼ばれ、彼らが行う仕掛け・取り組みなどを指して「ファシリテーション」と称されることが多く、そのような認識をされている方も多いかと思います。

また、日本におけるファシリテーションの広がりにおいて、中野民夫さんの存在は欠かせません。

中野民夫さんが2001年に出版した『ワークショップ』は、それまでさまざまな業界・領域で実践されていたものの、体系立てて説明されていなかった参加型・体験型プログラムである『ワークショップ』、それらの担い手である『ファシリテーター』、そして『ファシリテーション』を広く日本に知らせることとなりました。

その中野民夫さんは、『ファシリテーション』について以下のように述べています。

明るい兆しが広がっている。
環境、社会、経済、どこをとっても危機だらけのこの時代に、いや危機が深刻だからこそ、なんとかしなければという人々の意識と行動が、ふつふつと湧き出してきている。
(中略)
様々な問題は複雑に絡み合い相互に関連していて、簡単な解決策などない。誰か特定のリーダーや専門家や先生が、すべてを一気に解決してくれることも残念ながらありえない。だからこそ、様々な現場を懸命に生きる私たち一人ひとりが、孤立しないで集い合い、問い合うことが、出発点になる。力を生み出していくきっかけになる。それぞれの思いや知恵を率直に出し合い、刺激し学び合う。理解を深め、共感し、新たな解決策と結びつける。 そして行動し、振り返り、改善しながら前に進み続ける。人々の参加を大事にしたこのような動きが確かに広がっている。
そして、このような場をつくり、人々の参加を促進し、対話を育み、学びや創造を容易にする技法が「ファシリテーション」なのだ。

『ファシリテーション 実践から学ぶスキルとこころ』

2001年に中野民夫さんによる『ワークショップ』の出版、2003年に堀公俊さんらが発起人となって日本ファシリテーション協会(FAJ)の設立と、国内におけるファシリテーションの普及・広がりは20年近くの歩みが存在します。

ゼロ年代〜2010年代の京都における対話の文化

今回、読書会に集った参加者は、ゼロ年代から2010年代にかけて関西を中心に対話の場づくりやファシリテーションの文化に慣れ親しんだ仲間です。

では、そのゼロ年代〜2010年代の関西、特に京都ではどのような取り組みがあったのかを以下に簡潔にまとめます。

京都市未来まちづくり100人委員会は、2008年〜2016年まで京都市で実施されていた、市民の主体的なまちづくりの取組と協働を創出していくことを目的とする事業です。

京都市から受託を受けた運営団体によって第1期〜第3期、第4期〜第5期とで運営方法が大きく異なることが特徴であり、市民の意見やアイデアを市政に反映するため、組織開発で実施されていた対話の手法およびプロジェクト運営の方法の応用が、全国に先駆けて実施されました。

第1期〜第3期においては、ワールドカフェ、オープンスペーステクノロジー等の対話手法を用いて取り組むべき課題を浮かび上がらせ、それらを解決していくための市民主導のプロジェクトチームを、京都市、NPOによる事務局が支援するといった形で事業が進められていました。

まちづくりの領域におけるワークショップの歴史を振り返ると、20世紀はハード建設のプロセスの一部として、都市計画コンサルタントらによって担われてきました。

しかし、2000年代以降はそれ以前までの市民参加…公共事業の意思決定への参加及び合意形成のためのワークショップだけではなく、市民協働…まちづくりの事業の実施段階も含めたプロセス設計、組織づくりが可能となるファシリテーションが求められるようになっていきます。

その結果、ファシリテーターにも、その場限りの合意形成にとどまらず、チームメイキングのような要素も期待されるようになっていきます。

一方、アメリカでは、オープンスペーステクノロジーワールドカフェフューチャーセンターなどの新しいファシリテーションの手法が開発され2000年代に日本に輸入されてきました。京都ではゼロ年代後半にNPO法人場とつながりラボホームズビーがこれを導入し、京都市未来まちづくり100人委員会で実装し、やがて2010年代に各区役所のデフォルトのサービスとして実装されていきます。この動きが京都の市民協働に大きなステップアップをもたらした事は記憶に新しいところです。

谷亮治世界で一番親切なまちとあなたの参考文献』p115-116

京都市未来まちづくり委員会にファシリテーションの手法を取り入れ、京都の地を中心にファシリテーションや対話の場づくりの普及・文化づくりに取り組んだ場とつながりラボhome's viは、ファシリテーションの第一線で活躍する人々からの学びの場を作ることも重要視していました。

『場づくりカレッジ』と題され、2014年に初めて開催された一連の講座群には、先述の中野民夫さんを第一回の講師として招くなど、home's viはファシリテーションに関する最新の知見の紹介と実践を西日本を中心に行ってきました。

私自身がプロセスワークをはじめとするアーノルド・ミンデルの知見に初めて触れたのもこの頃です。

個人の努力で変えられるもの・変えられないもの

対立の炎にとどまる』という書籍、そして今回のメインテーマである『第7章 ファシリテーター自身が抱える虐待の問題』には、虐待、テロリズムといった暴力的な存在の表現や傷、痛みといったテーマが描かれています。

そして、読書会の対話の中でもこういったテーマを扱っていくのですが、その中で浮かび上がってきたのが『個人の努力で変えられるもの・変えられないもの』といったテーマでした。

私たちは日々の生活の中でより良く生きるため、今この瞬間から次の行動を変えることで、状況を改善できることがあります。

気まずい喧嘩の後に「ごめん」と切り出してみることや、悲しい思いをした後に気晴らしに外に出てみる・旅行してまったく違う景色を眺めて気持ちを変えてみる、といったことは個人の行動によってより良い方向へ変えうるものです。

一方で、現在、ロシア・ウクライナの武力衝突やイスラエル・ガザ地区における戦闘状態といった攻撃的なパワーの表現がありますが、このような形での表現に至るまでには国レベル、民族レベルでの歴史や、歴史を通じた痛み・恐れといったものの積み重ねがあります。

このような歴史的・文化的な営みによって育まれた価値観やそれに伴う感情、行動は、個人という枠組みを大きく超えており、アイデンティティに刻み込まれたそれらを振り解くことは、個人の努力ではとても困難なものです。

このように、私たちが直面する課題や問題には、個人の努力で変えうるもの、個人を超えた集団・社会・国家や歴史レベルで影響し、容易には変えられないものが存在します。

この対話を通じて思い出したのは、『ラインホルド・ニーバーの祈り』として知られる以下の一説です。

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, Courage to change the things which should be changed, and the Wisdom to distinguish the one from the other.

神よ
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えてください。変えることのできないものについては、それらを受け入れる冷静さを与えてください。そして、変えられないものと変えるべきものを区別する叡智を与えてください。

私たちが日々、より良く生きていくためには何を変えることができるのか?何を変えられないのか?

私たち一人ひとりが何か行動を起こすとなった時に、この『祈り』にある考え方は一つの補助線となるかもしれません。

過去と向き合うこと・今、そして未来へ繋げること

自身の抱える虐待というテーマ、また、今回の読書会のプロセスとして現れた過去10年から今に至る積み重ね、時間軸を意識した時に、対話の中やチェックアウトでも印象的な言葉が出てきました。

『自分自身の過去の痛みを切り離し、無視し、忘れることは「自分自身への虐待」に加担している、とも言えるのか?』

『僕はここ最近は、今どうなのか?これからどうするか?といった思考で仕事に取り組んだりしていましたが、今回の読書会は「虐待」もそうだし、「民族の系譜」というのもそうだし、「過去から今に繋がるもの」を意識する時間だったように思います』

ここからはあくまで私自身の主観でしかありませんが、私たちは一人ひとりが意志を持つ人間であるのと同時に、私たちを取り巻くより大きな社会・文化・歴史や時間の流れによって大小さまざまな影響を及ぼし合いながら生きている存在だと考えています。

どのような時代に、どのような土地に生まれ、どのような人に見守られながら育つのか?それらを私たちは選ぶことができません。

それでも、何か縁があって人と人が出会い、コミュニケーションし、互いに影響を及ぼし合うことには、その人のためだけの意味があるのではないか?とも思います。

私たち一人ひとりが体験してきた内容を、自身の内面を振り返り、内省することで見えてくるものもあれば、私たちの周囲では何が起こり、どのような出来事が私たち一人ひとりに影響を与え、今の私たちを形作ってきたのかを眺めることで見えてくるものもあるかもしれません。

「なぜ、あなたはここに来たのですか?」を英語で表現すると「What brought you here?」となりますが、この2つの表現の違いやニュアンスも個人的には気になるところです。

また、ここ最近の私は書くこと・まとめることにエネルギーがとても高まることを自覚しています。

それは、以下のような思いがあるためです。

私は片田舎に生まれて、田舎特有の暗黙知で動くシステムというものを感じながら育ったんですね。

振る舞いや行動も暗黙のルールのもと、果たすべき役割というものが期待されたりする。ですが、そのシステムの中で果たしてみんなが生き生きできているのか疑問もありました。

だからこそ、場づくり、ファシリテーション、システムを見るということに興味が出てきたのもそうですし、アイデアやルール、構造を書いてまとめることで、情報の透明化を実現できると思ったんです。そうすれば、ある条件下においてでも、より自分が生き生きできる行動の選択肢も増える。

また、何かムーブメントが生まれる時、その最中にいなかった人は後から知った時にその熱量を感じることもできません。

ナレッジやストーリーを書き残すことは、後に続く人や後の世代に叡智を伝えたり、足跡を遺すことになるんじゃないか、と希望を感じているんです。

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最近ではこのような思いからさらに少し進んで、一人ひとりの持つ唯一の物語を書き残し、振り返ることは、人生の旅路を歩んだその人自身を勇気づけることになるのではないか?と感じ始めています。

一人ひとりの人生の旅路はその人の身体と記憶に刻まれるものかもしれませんが、私のような存在が人生の季節の折々に聴き取り、対話し、書き留めることはその人の物語を可視化し、歩んできた足跡を確かめ、「ここまで歩んできた、誇るべきあなた自身」を振り返ることができるのではないか?と、そんなことを考え始めています。

ビジネスの文脈では、特にハーバード・ビジネス・スクールの取り組みとして有名な企業研究手法として「ケースライティング」があります。

私はこの手法を事例研究という枠組みだけではなく、人を時に勇気づけたり、新たな気づきをもたらし、行動の変容を促すような、そんな活用の仕方ができないかと模索中です。

ついつい、まとめの後半からは私の個人的なテーマも振り返りつつまとめに書き加えることとなりましたが、今回の読書会はそれだけ主催者である私自身にとっても大きな意味があり、私自身を揺さぶる会になったのだと思います。

次回、どのような形でこの会を開催していけるか、今からとても楽しみです。

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