吉本佳子

『機能させる専門家』                                 …

吉本佳子

『機能させる専門家』                                                    人生・チーム・会社・コミュニティなど、うまく機能できていない人や組織を機能させて、各々が、目的を達成できるように導きます。

記事一覧

「ありがとう」を目指すけど、期待しない

地域の集まりで、打合せを進めるために必要な資料を、 毎回、かなりの時間をかけて作っている話をした時に、 「資料なんか読まないから、いらない、話せばいいんだ」と、 …

吉本佳子
6時間前

いい気分になれることを、自分にプレゼントする

今日は、いつもの場所が、工事で使えなくて、 やむを得ず、近場で別の場所を探して、そこで課題に取り組むことにした。 少し費用が高めだけれど、今日1日だけだから、と、…

吉本佳子
1日前
1

余計な”力み”を抜く

「ああ、どうしよう! この課題を進めようと思うと、こんなにやることが思い浮かんで、残りの時間では、とうてい間に合いそうにない!」 朝から、険しい表情で、打ちひし…

吉本佳子
2日前
1

逃げても、あきらめない

私は、”仕事でも何でも、テキパキと、やるべことを、こなせる自分” という自己イメージを持っていたので、 その自己イメージに沿って、目の前のことを、どんどん処理して…

吉本佳子
3日前
1

小さな ”嬉しい” を感じられる時

4日間の連続講座にどっぷり参加して、走る時間が取れなかったけれど、 今日は、走れた! 嬉しい。 本当は、時間がなかったけれど、やっぱり作りたくて、 料理を作れた!…

吉本佳子
4日前

3人の自分と対話する

いつも慌ただしく、自分の頭の中を行き交っている自己対話を、 「3人の自分」の対話に見立てて、客観視するワークがあった。 「こうあるべき!こうしたい!」と、前に進も…

吉本佳子
5日前
3

「やりたい」と、理屈ではなく、感情で思うこと

私がイメージする ”やりたいこと” って、 どこかから借りてきたもののような感じがするのは、何故だろう? と、ずっと思っていた。 それが、私のやりたいことなのは、理…

吉本佳子
6日前

どんな感情も、感じ切ると、見えてくるもの

自分の感情と向き合うワークに参加した。 自分の中で気持ちを整理できたと思っていたけれど、 そのことを思い出すと、 感情が急に止まってしまう感じがしていた事柄を、 題…

吉本佳子
7日前
2

自分の正直な気持ちに向き合う勇気

ご自身の心の深いところにある悩みを、 何とか解決したいという必死の思いで、 これまで誰にも話したことのないような、心の内を、 勇気を出して、みんなの前で話してくれ…

吉本佳子
8日前
6

「あんな風になりたい」人達と過ごす時間を増やす

1つの組織の中に、長くいたので、それが自分の日常になっていたけれど、 そこから外に出てみると、本当にいろいろな人がいて、 自分が当たり前と思っていたことも、ある特…

吉本佳子
9日前
1

得意の力が、空回りしている時

「ちゃんとできること」が、私の得意であり、人に自慢できることであり、 自分のこだわり、なのだけれど、 その得意が重宝され、喜ばれる場所では、それでよかったけれど…

吉本佳子
10日前

どんな体験を、持ち帰りたい?

「私達は、自分達より大きなものに、生かされている」という捉え方は、 時代や国により、それがどのように表現されるかは、いろいろだけれど、 昔からあったなあ、と思う。…

吉本佳子
11日前
3

”やりたいこと”を、遠慮しない

いろいろ文句を言いながら、結局、私は、 自分のやりたいことを、やっているのだと思う。 それは、キラキラ輝くようなものではなくて、 私の場合は、「やりたいこと=やら…

吉本佳子
12日前
11

自己防衛しなくても、大丈夫!

自分の行動を、非難されたと感じる時、 ものすごく一生懸命に、自己弁護しようとしている自分がいる。 その反論に、相当の時間を費やしてしまったことに、気がつくと、 「…

吉本佳子
13日前
1

凄いことより、楽しいこと!

「私は、こんなに凄いんです!」と、言いたくなる時がある。 自分のことを、 十把一絡げのように見られていると、感じる時、 見くびられているように、感じる時、 「私は…

吉本佳子
2週間前
2

自分の素直な感情を、大切に受け取る

いつも、親のいいつけを守って、真面目に、一生懸命に、頑張る、 それがいいことだと思って、小さな頃から今まで、 ずっと、そんなふうにして生きてきたと思う。 そういう…

吉本佳子
2週間前
3

「ありがとう」を目指すけど、期待しない

地域の集まりで、打合せを進めるために必要な資料を、 毎回、かなりの時間をかけて作っている話をした時に、 「資料なんか読まないから、いらない、話せばいいんだ」と、 まるで余計なことをしているように、言われて、 「それはないだろう!」と、腹が立ったし、とても悲しい思いをした。 人の役に立ちたい、会議を上手く進められるようにしたい、 そういう思いで頑張っている裏には、 「ありがとう」と言われることを、期待している自分がいる。 仕事の場面でも、「”ありがとう” と言われることが、

いい気分になれることを、自分にプレゼントする

今日は、いつもの場所が、工事で使えなくて、 やむを得ず、近場で別の場所を探して、そこで課題に取り組むことにした。 少し費用が高めだけれど、今日1日だけだから、と、 思い切って、その場所に出かけてみた。 わあ、なんて、気持ちいい空間なんだろう! その場所に入った途端に、いい気分になった。 いい気分になれる場所にいると、集中力が増して、課題がはかどる。 ああ、やっぱり、気持ちいいなあ。 いる場所によって、こんなにも気分が違うなんて! その場所を去った後も、一日中、いい気分

余計な”力み”を抜く

「ああ、どうしよう! この課題を進めようと思うと、こんなにやることが思い浮かんで、残りの時間では、とうてい間に合いそうにない!」 朝から、険しい表情で、打ちひしがれた気持ちになっていた。 黙々と、課題に取り組んでいるけれど、自分の期待より、時間がかかって、 もどかしい。 身体も気持ちも、ズシーンと、重い感じがする。 思い切って、外に走りに行った。 心地よい風を感じながら、全身を思い切り動かして、 ああ、気持ちいい! 戻ってきたら、身体が軽くなっている。 身体の中の血流が

逃げても、あきらめない

私は、”仕事でも何でも、テキパキと、やるべことを、こなせる自分” という自己イメージを持っていたので、 その自己イメージに沿って、目の前のことを、どんどん処理していった。 一方で、 ”私が本当にやりたいことは、何なのかなあ” ”どんなことに取り組んだら、満足できるのかなあ” と、思っていた。 でも、目の前に、やるべきことが、どんどん来るので、 ”まあ、急ぎじゃないから、後で考えよう” と やるべきことを片付ける方に、意識が向くことを、繰り返していた。 結局、やるべきこと

小さな ”嬉しい” を感じられる時

4日間の連続講座にどっぷり参加して、走る時間が取れなかったけれど、 今日は、走れた! 嬉しい。 本当は、時間がなかったけれど、やっぱり作りたくて、 料理を作れた! 嬉しい。 今日は、気になることを、早めに片付けられた! 嬉しい。 やることが一杯で、 やろうと思っていたのに、手を付けられなかったことが、 たくさん残っていても、 こうした、少しずつの、嬉しいを、ちゃんと感じられる時は、 心満たされる感覚があって、心が元気に動いている。 忙しさに振り回されている感じではなく

3人の自分と対話する

いつも慌ただしく、自分の頭の中を行き交っている自己対話を、 「3人の自分」の対話に見立てて、客観視するワークがあった。 「こうあるべき!こうしたい!」と、前に進もうとする自分と、 「でも、こわい、やだ!」と、引き留めようとする自分と、 「なんで、引っ張り合いをやってるの!」と、傍観しながら呆れている自分がいた。 こうして書き出してみたら、 「なんだか、これって、私が地域の集まりでやっていることと、同じだ!」 と思った。 地域の集まりで、「こういう状況だから、こうした方が

「やりたい」と、理屈ではなく、感情で思うこと

私がイメージする ”やりたいこと” って、 どこかから借りてきたもののような感じがするのは、何故だろう? と、ずっと思っていた。 それが、私のやりたいことなのは、理屈では説明がつくのだけれど、 何となく、魂が入っていないような感じがして、 「本当に、それなの?」と、自分で突っ込みたくなる感じがあった。 大きな方向性としては、たぶん合っている、という感覚はあるけれど、 具体的なイメージが、湧いてこない。 「自分の素直な感情を、受け止められるようになりたい」と思って、 理屈

どんな感情も、感じ切ると、見えてくるもの

自分の感情と向き合うワークに参加した。 自分の中で気持ちを整理できたと思っていたけれど、 そのことを思い出すと、 感情が急に止まってしまう感じがしていた事柄を、 題材として、取り上げてみた。 問題が起こった時の状況を、客観的な視点で整理して、 理解したつもりでいたけれど、 「どんな感情も、感じ切ってください」 「どんな汚い言葉でも、出してください、誰も聞いていませんから」 というナビゲーションに従って、 身体も心も一体になって、感情を出し切ることに集中したら、 自分では気づ

自分の正直な気持ちに向き合う勇気

ご自身の心の深いところにある悩みを、 何とか解決したいという必死の思いで、 これまで誰にも話したことのないような、心の内を、 勇気を出して、みんなの前で話してくれる人の姿を見ながら、 「ああ、この方は、本当に、変わりたいんだなあ」と、 ご自身と真剣に向き合っているその姿に、励まされ、勇気をいただいた。 自分の心の内にある、モヤモヤした感情なんて、 面倒くさいし、見ない方が楽チン!  と思って、私は、ずっと、見ないで来たけれど、 それでは満足できなくなった時に、 ようやく私

「あんな風になりたい」人達と過ごす時間を増やす

1つの組織の中に、長くいたので、それが自分の日常になっていたけれど、 そこから外に出てみると、本当にいろいろな人がいて、 自分が当たり前と思っていたことも、ある特定の環境の中でのことだったんだ、ということが、わかる。 もう少し違うことをしてみたくて、外の世界に出てみたら、 本当にいろいろな人がいて、 一緒にいると、こちらまでワクワク楽しくなってくる人達と、 しかめ面をして、非難や文句が出てくる人達と、 両方の人達に接する機会のある私は、 2つの全く違う世界を、行ったり来たり

得意の力が、空回りしている時

「ちゃんとできること」が、私の得意であり、人に自慢できることであり、 自分のこだわり、なのだけれど、 その得意が重宝され、喜ばれる場所では、それでよかったけれど、 そんなの、どうでもいい人たちの中でも、つい頑張ってしまうので、 価値をわかってもらえず、残念な気持ちになりながら、 それでも、必要だからと、頑張ってしまうことを、止められない。 これって、自分の得意の力で、自分を縛っていることにならない? さらには、 たぶん、簡単にできると思うから、どんどん手を出してしまい

どんな体験を、持ち帰りたい?

「私達は、自分達より大きなものに、生かされている」という捉え方は、 時代や国により、それがどのように表現されるかは、いろいろだけれど、 昔からあったなあ、と思う。 たまたま、そんな話をしていて、 人生を、ゲームに例える考え方もあったなあ、と思い出した。 この地球に、遊びに来た、という例え方をする人もいた。 いずれにしても、今の自分を、離れたところから眺める発想。 私は、「自分が、この地球に遊びに来たのだとしたら、 どんな体験を味わって、持ち帰って、親や仲間に話したい?」

”やりたいこと”を、遠慮しない

いろいろ文句を言いながら、結局、私は、 自分のやりたいことを、やっているのだと思う。 それは、キラキラ輝くようなものではなくて、 私の場合は、「やりたいこと=やらなければならないことを、自分の得意の力を使って片付けて、スッキリすること」なのではないか、と思う。 う~ん、それも悪くはないけれど、 やっぱり、それだと、何だか物足りない、 もっと、自由に、思いっきり、のびのびと、何かをしたい! 遠慮して、縮こまっている自分を、どこかで感じているのだと思う。 「自分が ”やりた

自己防衛しなくても、大丈夫!

自分の行動を、非難されたと感じる時、 ものすごく一生懸命に、自己弁護しようとしている自分がいる。 その反論に、相当の時間を費やしてしまったことに、気がつくと、 「なんで、こんなにムキになってしまうんだろう?」 「なんで、こんなに自分の意識がもっていかれるのだろう?」 と、自分自身に、腹が立つ。 その裏側の気持ちを探ってみると、 「自分のことを、ちゃんと認めてほしい、ちゃんと知ってほしい!」 「私は、悪くない! 私は、正しいことをしている!」 と、自分の気持ちが、一生懸命に

凄いことより、楽しいこと!

「私は、こんなに凄いんです!」と、言いたくなる時がある。 自分のことを、 十把一絡げのように見られていると、感じる時、 見くびられているように、感じる時、 「私は、こんなに凄いんです!」と言うことで、 見返して、気持ちよくなりたい、という意識が働いているのだと思う。 これって、 「自分のことを、ちゃんと見てほしい」気持ち、とも言えるけれど、 どちらかというと、 人と自分を比べる ”競争意識” の影響が、大きいのではないか、と思う。 「自分が凄いと認められることで、自分

自分の素直な感情を、大切に受け取る

いつも、親のいいつけを守って、真面目に、一生懸命に、頑張る、 それがいいことだと思って、小さな頃から今まで、 ずっと、そんなふうにして生きてきたと思う。 そういう生き方が、私を守ってきてくれたと思うし、 その中で、自分の得意の力も発揮してこれたと思う。 「自分の心の中に、何かモヤモヤしたものが、ある感じがする」 うっすらと、感じていたけれど、 それに取り合っている余裕もないし、と、 ずっと放置してきたけれど、 いよいよ無視できなくなって、 「違う世界に飛び込んでみたい!