吉本佳子

『機能させる専門家』                                 …

吉本佳子

『機能させる専門家』                                                    人生・チーム・会社・コミュニティなど、うまく機能できていない人や組織を機能させて、各々が、目的を達成できるように導きます。

最近の記事

凄いことより、楽しいこと!

「私は、こんなに凄いんです!」と、言いたくなる時がある。 自分のことを、 十把一絡げのように見られていると、感じる時、 見くびられているように、感じる時、 「私は、こんなに凄いんです!」と言うことで、 見返して、気持ちよくなりたい、という意識が働いているのだと思う。 これって、 「自分のことを、ちゃんと見てほしい」気持ち、とも言えるけれど、 どちらかというと、 人と自分を比べる ”競争意識” の影響が、大きいのではないか、と思う。 「自分が凄いと認められることで、自分

    • 自分の素直な感情を、大切に受け取る

      いつも、親のいいつけを守って、真面目に、一生懸命に、頑張る、 それがいいことだと思って、小さな頃から今まで、 ずっと、そんなふうにして生きてきたと思う。 そういう生き方が、私を守ってきてくれたと思うし、 その中で、自分の得意の力も発揮してこれたと思う。 「自分の心の中に、何かモヤモヤしたものが、ある感じがする」 うっすらと、感じていたけれど、 それに取り合っている余裕もないし、と、 ずっと放置してきたけれど、 いよいよ無視できなくなって、 「違う世界に飛び込んでみたい!

      • 大切にしてきた信念を、手放す

        これまで私が大切にしてきた「正しいこと」「正義」を、 手放したい、と思うようになった。 何事も、きちんと正しくできる私だから、 みんなにそういう人として受け入れてもらえるし、ここにいる価値がある、 無意識のうちに、そんなふうに思っていた。 「正しいこと」「正義」が、いいことだと思っていたから、 そうでない場面を見ると、腹が立って、正したくなった。 それが、みんなのためだ、と思っていた。 自分は、いいことをしている、と思っていた。 世の中には、自分の欲求に、ものすごく素直

        • 自分の望みを叶えてあげる

          自分が、やりたいことから、逃げているように感じる時、 本当はやりたいけれど、自分にはできそうになくて、怖いからなのか、 ”やらねばならない” "頑張らなくちゃ" みたいになって、苦しいからなのか、 両方の気持ちが混ざっているのか、 よくわからないままに、 「ああ、私は、ダメだなあ」と、自分で自分を、非難している。 そんなに難しく考えなくても、いいんじゃないかな。 子供の頃から、まわりの大人に遠慮しているような子だったので、 「やりたい!やりたい!」と、自分から言った記憶が

        凄いことより、楽しいこと!

          身軽になれると、気持ちいい

          ちゃんとやらなくちゃ! ちゃんと筋道立てて説明できないといけない! と思って、いろいろ一生懸命考えて、案をこねくり回しているうちに、 ふと、 「私、何やってるんだろう? 誰も、そこまで気にしないよ!」 「もう、それくらいでいいんじゃない?」 「完璧なんて、誰も求めてないから」 と思った。 「そんなに、そこに時間をかけて、どうするの?」 「また、やっちゃったね!」 両手を大きく広げて、遠くにパアーッ!と放り投げるしぐさをしたら、 ああ、気持ちいい! なんだか、私、いらない

          身軽になれると、気持ちいい

          「やりたい!」って、言っちゃおう!

          この先どうなっていくか、わからないけれど、 やりたいことを、「やりたい!」って、仲間に言ってみた。 気持ちよかった! 「そんなの、もう、他の人がやってるよ!」と、言われたけれど、 あんまり歓迎されていない感じだったけれど、 私もやりたい! それでいいじゃない! そんなふうに思えて、動じなかった自分のことが、嬉しかった。 なんだか、さわやかで、伸びやかで、スッキリな気分! 私は、気持ちいいことが好き。 身体をう~んと伸ばすと、気持ちいい。 でも、心は、伸びやかじゃなかった

          「やりたい!」って、言っちゃおう!

          自分の中の ”正義感” を、緩める

          正しいことが好きな私は、理不尽なことをされると、 ものすごく怒りが沸いてしまう。 不満顔で他人を押しのけて、自分のわがままを通そうとする方に出会うと、 怒りの感情に、さいなまれてしまい、苦しくなる。 相手と同じ目線で、戦うモードになってしまっているからだと思う。 人を応援するのが好きで、人と人を繋げるのが好きで、 興味深々で、楽しいことをしている人に出会うと、 私も、笑顔が溢れて、とっても楽しい気持ちになる。 本当に、ありがたいことだと、感謝の気持ちで一杯になる。 笑顔の

          自分の中の ”正義感” を、緩める

          自分を抑えることが、当たり前すぎて、気づけなかった

          「どんな風にしたら、この人の未来が、素敵になるかなあ」 と、考え始めたら、楽しいイメージが、どんどん湧いてきて、 「私って、こんなにイメージできる人だったんだ!」 と、びっくりしながら、 楽しいイメージを、膨らませていった。 ものすごくアイデアの湧く人と自分を比べて、 「私には、できない」と、勝手に決めつけていただけなんだ、と思う。 たくさんイメージを膨らませて、楽しい気持ちになった後で、 気持ちよく体を動かして、両腕を伸ばしたら、 「ヤッター!」と、いつもより大きな声が

          自分を抑えることが、当たり前すぎて、気づけなかった

          感情を、探求の糸口にする

          感情をいちいち感じていると、振り回されて、面倒くさいから、 理路整然と、頭で考えたことに従って、行動すればいい。 何かの感情が、胸の奥でうずいている感じがするけれど、 取り合わないで、なかったことにする。 ずっとそうやって、合理的に生きてきたら、 やらなければいけないことは、サクサクと行動できるけれど、 「自分は、本当は、何が嬉しくて、何が楽しくて、何がやりたいのか」が、 わからなくなっていた。 やっぱり、感情って、大切だよね! そう思い始めたら、 今度は、不満や怒りの

          感情を、探求の糸口にする

          「正しい」よりも、大切なこと

          正しいことの大好きな私に、 不当な攻撃を仕掛けてくる人が、近くにいる。 事実を、自分の都合のいいように捻じ曲げて、 自分の感情のままに、言いたいことを、声高に叫んでいる。 そんな不当なことが、許せなくて、ものすごく腹立たしくて、 反応してしまう自分がいる。 それにしても、何で、私は、こんなに、気になるのかな? 何で、自分の感情が、反応しているのかな? そこに、私にとって、乗り越える必要のある課題があるのでは? いったい、どういうお題なんだろう? 私は、自分なりに、誠

          「正しい」よりも、大切なこと

          一番大切なことに、立ち戻る

          終身雇用制が崩れて、いろいろな働き方、生き方をすることが、 特別なことではなくなってきているので、 「私も、自分の生き方を、見直しても、いいのかもしれない」 という気持ちにさせてくれる世の中になってきた、と思う。 起業する人も増えてきて、特別なことではなくなってきたように思う。 でも、起業については、 「こういうふうにするもの」 「こうしなければならない」 という思い込みが、私の中にはあったなあ、と思う。 よくわからないことについて、 先にやっている人達から学ぼうとした

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          本当に困ると、変われる

          自分がこれまで良しとして、拠り所にしてきた在り方も、 本当に困ると、変えざるを得なくなる。 私は、たくさんの仕事をこなしていけるのが、いいこと、 何でも ”ちゃんとやる” のが、いいこと、 と、思って、 時間を節約しながら、諸々の仕事をこなしてきた。 常に、はい次! はい次!と、 漏れのないよう、やることに気を配っていた。 時間を無駄にしてはいけない、 常に、何かをしていなければならない、 それが体と心に染みついている感じだった。 今、何もしなくていい時間を、目の前に

          本当に困ると、変われる

          ”自分にあうもの”を、考える

          得意なことなので、気になって、どんどんやってしまうけれど、 心が満たされない。 心がよろこぶ方に進みたい、と思っても、 自分の得意は、今までのようには活かせない。 そんなジレンマが、ずっとあって、 そのジレンマを解決できる像が、見当たらなくて、 どうしたらいいのだろう? と、困っていた。 世の中にある像の中で、何とかやっていこうとしても、 なかなか進めなかったのは、 自分がダメなのではなくて、 どこか、自分の心にしっくりはまっていない感じがするから、 力が入らなかった

          ”自分にあうもの”を、考える

          心の迷いをセンサーにする

          何かを人に伝えようとする時、心が迷うことがある。 よかれと思って、相手に伝えるために書こうとしているのに、 どこか、気が進まない感じがしたり、 これを書くことが、本当にいいのかな、と、 心に迷いを感じて、筆が進まなくなる時がある。 正しいこと、いいことのはずなのに、何でだろう? 頭では、そう思って、書こうとするのに、 心がモヤモヤして、ブレーキをかける。 そういう時は、自分の余計な感情が入ってしまっているのではないか、 と思う。 相手のために、伝えておいた方がいい、と

          心の迷いをセンサーにする

          受け止め方の変化を、楽しむ

          あまりに理不尽な争いごとへの対応に、巻き込まれて、 それに、何とか対応しようとして、 どんどん時間を費やしてしまっている自分が、 情けないし、悲しいし、怒りが沸いてくる。 やっと、ひと段落した時に、 「これはいったい、何のお試しなんだろう?」 と、考えてみた。 乗り越えろ? あきらめろ? 手放せ? あ、これかも、と思った。 なかなか手放せないでいることだから、 これくらい大きな衝撃が、私には必要なのかもしれない、と思った。 以前の私だったら、 私はもっとできるから、自

          受け止め方の変化を、楽しむ

          自分の心にフイットするものを探す

          「まあ、こんなもんかなあ」と、周りを見ながら、つぶやいている自分。 でも、本当は、満足していないから、 「こんなもんかなあ」に、収まりきれないでいる。 「違うかも、と思っても、探すの、怖いし、面倒くさいし・・・」と、 同じところに留まったまま、 「まあ、こんなもんかなあ、あんまり面白くないけど」 と、繰り返し、思っている。 こんな自分を、外から眺めたら、 「何やってるんだろう!」と、あきれてしまう。 何か違う、と思ったら、周りがどうであれ、 自分の心にフイットするものを

          自分の心にフイットするものを探す