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映画「Drive my car」。村上春樹のユング的世界観の更にその先へ

映画を見てきた。
「Drive my car」
これは私が愛してやまない作家、村上春樹の小説を原作にした映画。「原作」と言ってもそのまま映像化したと言うよりは、厳密には複数の短編小説を上手く組み合わせ、村上春樹色を損なう事なく更に良く編集した感じの仕上がりになっている。

内容は、広島で開かれる演劇祭のオーディションから公演までを描きながら、妻を亡くした元俳優の演出家が、「自分は妻を愛していたけど、妻は自分を愛してなかったかもしれない」「実際、妻はくも膜下出血で亡くなったけれど、主観的には自分が殺した」との思いが離れない所からの再生を描いた作品。

この主人公の演出家は、母国語の異なる俳優がそれぞれの母国語を使ってセリフを話す、という独特の演出をする設定で、実際、序盤のセリフの読み合わせなどのシーンでは、私にも日本語と英語と中国語の部分こそ字幕なしでも何となく分かるけど、手話も含め他は全く見当もつかないレベルで分からない、という状態なのに、物語とリンクしているその演劇が公演に向けて徐々に醸成されるに伴って、言語的には理解できないはずの韓国語や韓国語の手話などのシーンも段々何かが伝わってくるようになってくるから不思議。

言葉の行間にある何か。細かすぎて伝わらない何かを伝えようとする男(元俳優の演出家)と、身体を繋げる事でしかコミュニケーションが取れない男。(※妻の浮気相手であり、俳優)そして、寡黙なプロの運転手の女が背負っている過去。そして元俳優の演出家である主人公の心情とリンクしている、舞台上の多言語で紡がれる物語。

これらの要素が見事に絡み合い、村上春樹ファン的目線で見ても、映画は原作より更に好きだと思えた初めての作品だった。

もともと個人的には、村上春樹ファン(いわゆるハルキスト)には「こころ」を生業とする人や、心理学に興味を持っている人が割と多いのは、多分、分からないものを分からないまま受容するという事、それからどことなくユングっぽい世界観と言うか「メタファー(比喩や象徴)」の多用や「意識」と「無意識」を行き来したりする物語が多いからだと私は勝手に思っているのだけど、この映画はそういうユング的な世界観だけではとどまらない深さがある作品に仕上がっていて、また新たな扉が開いた感じがした。

村上春樹はエロ小説だと敬遠する人が時々いるけど、ファンの1人としては、「エロい」という表面的な所で解釈が止まってしまっている事が、本当に勿体無いなぁとよく思う。

この作品も確かにそういうシーンはあるけど、意味なくそういうシーンがあるのではなく、例えばこの作品で言えば妻が自身の無意識にアクセスする為の入り口として、身体を繋げる行為を描いているのに。

アメリカではNetflixでも配信されるらしいし、カンヌ映画祭でも四冠達成して評価も高いので、セリフも思いっきり村上春樹していて(要は回りくどい)ファンも違和感無しだけど、ハルキストという欲目抜きにも良い映画なので先入観なしに是非見て!と自信を持ってオススメできる作品です。

あー!コロナが収まったらこの映画のロケ地の広島の「広島市環境局」や瀬戸内海の島の一つの大崎下島に行ってみたい。

映画公式Webサイト https://dmc.bitters.co.jp

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