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蓮田隆秀1961.6.16生まれ。noteを始めた日2021.3.8~。映画と読書とツ…

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蓮田隆秀1961.6.16生まれ。noteを始めた日2021.3.8~。映画と読書とツイッターのまとめnoteにしようと思います。とりあえず俳句をアップしたいな。

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    源氏物語の感想など。与謝野晶子訳Kindleから。

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「聞き書き」のスタイルを築いた森崎和江

『奈落の神々』 森崎和江(平凡社ライブラリー – 1996) ETV特集で森崎和江の番組をやっていたので再アップ。 森崎和江は、ユネスコ世界記憶遺産となった山本作兵衛の絵を辿っていく映画『作兵衛さんと日本を掘る』で知った。炭鉱所で保育園を開いて女坑夫から聞き書きをして『まっくら』という本を出したというので興味を持つ。『まっくら』は絶版だった(岩波文庫で再販されるそうです)ので、さらに労働史として追求したのがこの本。炭鉱労働という、その過酷な労働が文字化されにくいこともあっ

    • パレスチナ人は即興で歌って踊れる民族

      『ガーダ パレスチナの詩』(2005年製作/106分/日本)監督:古居みずえ イスラエルのガザの侵攻は今が一番酷い時だが、この映画はその前の2000年代に撮ったものだ。ただ通常の反戦映画のドキュメンタリーと違い、タイトルやポスターに描かれているパレスチナの人々の笑顔があるように、悲惨な状況を伝えるだけの映画でもなかった。 それはこのドキュメンタリーの視点となるガーダというひとりのパレスチナ女性がイスラムの伝統に異議を唱えながら結婚式を挙げ(イスラム社会は典型的な家父長制で

      • シン・俳句レッスン120

        麦 麦秋は秋とあるけど夏の季語。「むぎあき」と読むか「ばくしゅう」と読むか?和語を尊ぶ短歌や俳句では「むぎあき」の方がいいのかな。「ばくしゅう」だと熟語で漢語のようだ。二十四節気の小満に「麦秋至」とあるから中国から入ってきた季語なのかもしれない。「むぎのときいたる」と和語にしているが。小津安二郎の『麦秋』は名作であった。 GHQは占領政策の意味。 『日本海軍』論 『船長の行方』「望郷の船団ー『日本海軍』論」で高柳重信は日本海軍の艦名を作品中に使用して艦名を無化させると

        • 俳句という生き方、芭蕉と蕪村の俳句の違い

          『俳句 2024年4月号』 俳句雑誌を読む人は限られていて、自ら俳句を作る人であろう。俳句は通常の散文と違って読むのに時間がかかる。それは言葉の意味が重いからなんだと思うが、そこに芸術性を見るかやり過ごすかと思えばやり過ごす方だった。最近になって、無理に俳句を読まなくてもいいと思うようになっている。さすがにプロと言われる人は、選評などもあって全ての句に目を通すのだろうが、そんなことはとても出来ないと思った。それはプロと呼ばれる仕事であって、根本的な俳句作りとは違うと思うから

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          精神科医の境界例の映画か

          『人間の境界』(2023年製作/152分/G/ポーランド・フランス・チェコ・ベルギー合作)監督:アグニエシュカ・ホランド 出演:ジャラル・アルタウィル、マヤ・オスタシェフスカ こういう映画を観る人はどういう人なんだろうか考えてしまう。自分もその中に含まれるのだが平常心ではいられない。 ポーランド側の妊婦が夫からそういう映像を見せられて、そんな映像を見ないほうがいいというのである。もっともな話で妊婦にしてみれば子どもの明るい未来を描いて欲しいのだ。その中で夫はノイローゼのよ

          精神科医の境界例の映画か

          五月闇自宅警備員は猫かぶり

          昨日は予定通り猫の日だった。俳句関係の本を少し読んだぐらいか。怠惰な日である。生活力がないんだな。それで漠然と思ったことなど。やっぱ俳句は生活だと思う。芸術性よりも生活第一。それは芸術性は自ずと培われてくるが、生活は毎日の必需だからだ。俳句もそのようにありたい。漠然と思ったのは蕪村より芭蕉の方が好きなのかもと思ったのだ。無論、蕪村の俳句も好きなのはあるが、芸術至上主義になるとちょっと違うのではないかと。 芭蕉は生き方の問題。俳句的生き方を追求していきたい。その中で技術論とか

          五月闇自宅警備員は猫かぶり

          「世界文学」から「現代文学」への『源氏物語』

          『源氏物語―A.ウェイリー版〈3〉』毬矢まりえ+森山恵姉妹(日本語訳) 『雲隠』の帖が削除されていることについて、キリスト教文化と仏教文化の違いがあるのか?本編では『雲隠』は題名だけで中身がなく、仏教思想の「空」なる思想を表しているといると思うのだが、それを削除しても物語的には変わらないとする合理主義なのか、考えると興味深い問題のような気がする。 キリスト教の人は「容れ物」という概念は「福音(エヴァンゲリオン)」ということのようだ。それは光源氏は神の使者としての「福音」と

          「世界文学」から「現代文学」への『源氏物語』

          新緑も鬱蒼とした闇世界

          「新緑」も鬱蒼とした闇だな。実際は初夏の陽気でもっと明るかったのだが。夕方近くだったからかもしれない。 天気予報で雨は降らないとのことなので図書館に予約本を取りに行く(実際には図書館を出ると雨が降った後だった)。『源氏物語』関係を二冊借りて、図書館で『ウェイリー版源氏物語 3』を読んだ。まだ二章残しているのだが、読メでは感想を書いてしまった。 「宇治十帖」になると孫世代の話なので関係性が複雑になっていく。誰が父とか母なのか理解が遠くなる。さらにその乳母とかも登場してくるの

          新緑も鬱蒼とした闇世界

          昼顔や詩人のコートをクリーニング

          昼顔の季節なのか。どこでも咲く雑草だけどたくましさがあるよな。朝顔とか夕顔が儚いイメージなのに昼顔は、転んでもただでは起きないたくましさというか、カトリーヌ・ドヌーブの『昼顔』は主婦売春の映画だったが、ブルジョア主婦の儚い夢をファンタジーではなくカトリーヌ・ドヌーブの美しさと共に描いていた。さすがにブニュエルの映画だった。 『源氏物語』でも夕顔が人気なのは、中流階級の女が幸せを望んだのに「もののけ」(あとで六条御息所の光源氏への嫉妬心が生んだとわかる)に呪い殺されてしまう。

          昼顔や詩人のコートをクリーニング

          『青春18×2 君へと続く道』に芭蕉の辞世の句を捧げたい

          『青春18×2 君へと続く道』(2024年製作/123分/G/日本・台湾合作)【監督】藤井道人 【出演】シュー・グァンハン/清原果耶/ジョセフ・チャン/道枝駿佑/黒木華/松重豊/黒木瞳 センチメンタルな青春映画。台湾の日本へのリスペクトがあると思ったが日本の監督だったのか?年上の女性が死んでしまう(日本映画を暗示しているのか?)のを台湾の青年がセンチメンタルな感情を抱くというようなベタな青春映画だった。 だいたい映画をデートで使うのがまず許せない。それもポップコーンを注文

          『青春18×2 君へと続く道』に芭蕉の辞世の句を捧げたい

          休みボケ休みばかりでボケるのか

          映画の割引チケット取るのに手間取ってしまった。以前のスマホの電話番号になっているから、それを変更するのに一苦労。結局、変更出来なかった。どういう仕組になっているんだ。まあ、チケットは買えたので良しとする。 昨日は予定通り猫の日だったが、雨振らなかったな。今日の方が危ないのか?いろいろやってはいるがなかなか形にはならない。形にならないことが多い人生だ。まあ、それが自然だというのなら諦念しかないわけだった。こんなことでいいのか? やりかけのことはシン・現代詩レッスン。聖書の詩

          休みボケ休みばかりでボケるのか

          シン・短歌レッス132

          王朝百首 小野小町は夢の和歌だと思ったらさすがに天邪鬼大王(勝手に名づけた)塚本邦雄ならではの選か。小町の代表作だが、小町が小娘というよりも遣り手婆婆(おばさん程度か)の時に文屋康秀に言い寄られたときの一首。 そのとき文屋の歌は記述がないので、どうでも良かったのかもしれない。文屋の歌は、これまたどうでもいい理屈めいた歌が百人一首に載っていた。 小町こそは『古今集』の花であり女歌の原型とする。業平と共に伝説になった歌人だが、伝説の部分は哀れさが多いのはそれこそ女性アイドル

          シン・短歌レッス132

          GW立夏駆けていく子供かな

          今日は雨予報なので、昨日はなんとしても外に出ようと映画館に行ったのだが、けっこうマイナー映画なのに混雑していた。GWはもともと映画産業が生み出した言葉だと言う通りなのだな、と感じた。「ゴールデンウィーク」は晩春の季語だとのと初夏だという説があるがどっちなのだろう。気候としては初夏でいいと思うが。夏は立夏(5月5日)からなのかな。その前は晩春ということなのか。今日の一句。 季重なりだけど、立夏の区切りを詠みたかったので気にしない。昨日観た映画は『正義の行方』良かった。 図書

          GW立夏駆けていく子供かな

          吉本「西行論」は親鸞になりえたのか?

          『西行論 』吉本隆明(文芸文芸文庫) 1 僧形論 西行の説話集『撰集抄』は今日では贋作とされているのだが、その西行像に影響を受けた芭蕉や後世の作家は「西行」その人よりも「西行」の思想に触れて影響を受けたのであり、その西行の思想的なものを表現しているのが『撰集抄』であり鴨長明『発心集』であるという視点から西行の思想を読んでいく。 その中で西行の歌は重要なのだが贋作も多いという。それは一つの歌だけで解釈すると幾通りにもストーリーを組み立てることが出来、それが『伊勢物語』など

          吉本「西行論」は親鸞になりえたのか?

          「バビ・ヤール」悶え苦しむタコの舞

          朝散歩しようかなと思ったのだが日記を忘れていた。日記は調子のバロメーターになるから、なんとなく毎日書いた方がいいのである。 昨日も昼過ぎまでぐずぐずしてしまったが図書館に返却本があったのでとりあえず図書館へ。読まないで返却する本は相変わらず多いな。ちょっとは読むのだが、今でなくてもいいかなと思ってしまうのである。 『源氏物語』は『窯変 源氏物語 7』は読み終えて返却「8」は無かった。最近何故か町田図書館には続きが借りれないのだった。まあ、他の源氏物語を読めばいい話なので、

          「バビ・ヤール」悶え苦しむタコの舞

          シン・俳句レッスン119

          あやめ あやめと菖蒲と杜若(かきつばた)の区別がつかない。たぶん湿地帯に咲いているのが菖蒲や杜若でこれはあやめだと思う。 あやめのイメージは『たけくらべ』に出てくる美登利をイメージする。儚さかな。そういえば「あやめ」と名前の女子がいた。それほど付き合いはなかったのだが、いじめられっ子タイプだった。なんだろう。告げ口タイプかな。そんな噂というかだから無視していたのか?「あやめ」という名前は似合わんなと勝手に思っていた。「あやめ」はもっと高貴な花のように感じたのかもしれない。

          シン・俳句レッスン119