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誰も嫌わない、これが自分の愛なんだ

自分はあんまり、世間の不満とか、愚痴とかは言わない、と言うよりまったく言わないと思う。自分としては、楽しく生きてるつもり。ルッキズムとか、経済的な不満とか、満たされない何か、そんなのを考えてもあまり思いつかない。そんなにお金もいらない。

誰かに、特別これといって腹が立つわけでもない、怒りなんかない、逆に他の人々の方がイライラしてる。何か怒ってる、不満げな顔して、みんな敵だ、みたいな顔して、つんけんして歩いてるよ。邪魔なら咳払いし、遅いならせかせかして、何でそんなにカリカリしてんのかな、みんな。

悲しいんだよ、世の中が、世界中が、人々が、悲しいんだよ。なんかせつない、苦しい、憤る、そんな人々を見てるのが辛い。

自分なんかはどうだっていいんだ、世界中の人々が笑えるなら、俺なんかどうだっていいんだよ。誰にどう思われようが知ったこっちゃない、元から孤独、1人。


何で世界はこんなに悲しみで溢れてる。俺は甘いのかな、頭がお花畑なのかな。

話し合えばわかり合える、そうは思うけど、お互いに許しがないと、和解はできない。

殴られたから殴り返しても、虚しいんだよ、ただ心が苦しくなるだけで。怒りと憎しみと暴力は人を不幸にする、苦しめるんだ、だから笑っていてほしいんだよ。

俺なんか無力で、何にもできない。ただ憤り悲しむしかできない、誰も守れない。今できることは言葉を綴るだけ、自分が思うことを素直に隠さずに表現する。


人を信じると傷つくから、だから愛を信じる、愛は嘘をつかない、裏切らない、騙さない、言い訳はしない。

本気だから怒る、本気だから自分の言葉で素直に感情表現をする。解ってほしくて、憤るから言葉が強くなる。許しなく怒る人に怒っている、もう怒るのはやめろと、憎しみを持つのはやめてほしいと素直に言葉で表現する。解ってもらえなくても、自分が嫌われようが関係なく、どうにかして気がつかせたい、誰かの許し無き言葉で誰かの心が傷つくのは、自分も傷つくと言う事に気がついてほしい。自分に許しがないなら、誰に許しがある、自分に愛がないなら誰が愛してくれる、自分が優しくないなら、誰が優しくしてくれる。

でも誰かが罵られてると、見ていられない、胸が締めつけられて痛くて仕方ない。痛い、心が痛いんだ、どうしようもなく憤る。だから擁護したくなる、どんな人でも、誰でも、責められてたら見ていられない、我慢できない、ほっとけない。

それが、アメリカ大統領なら、トランプでもバイデンでも。プーチンでも、習近平でも、大勢に攻められていたなら盾になりたい。擁護する、人は選ばない、誰も嫌わない。

間違っていると思うなら間違ってると言う、躊躇なんかしない、自分の愛に従うから思うことを素直に言う。自分が多数派じゃなくても、大勢に罵られてもいいから、1人責められてる人がいるなら擁護する。

山本太郎氏も、日本保守党の百田さんも、参政党の神谷さんも、大勢に罵られ責められていたなら擁護する。反ワクチンで大勢に責められ罵られてる河野太郎さんも、今も酷い責められ続けてる岸田首相も、みんな。

安倍さんが他界した時、涙した、もうこの世界にいないなら、そんなに責めるのはやめろと言い続けた。志村けんが大好きだった、あの日、他界したと知った時号泣した。

昔は、テレビのワイドショーや報道を見ていて、ゴミ屋敷住人とか、鳩やカラス、野良猫に餌をあげる人が吊し上げられていて、俺はその人の気持ちを感じてやっぱり涙した。でも周囲の人は違う、怒り、憎しみ、悪態をつく。それを擁護すると全員から圧力を受ける、それでも屈しない、自分は間違ってない、そう思って引き下がらなかった。

だから嫌われる、人に。誰かとは同じ意見を持たないから、属さないから、誰とも合わない。だからずっと孤独に生きてきた。


ずっと悲しかった、子供の頃からずっと、世の中の人がみんなカカシに見えた。目がなくて、自分が見えてない、自分の存在が見えてない、何も気がつかない。


自分を解ってくれるのはいつも犬や猫だった。優しかった、一緒に埋もれて寝てくれた、癒してくれた、正直な愛を見せてくれた。メス猫は、オス猫より優しい、まるで母性本能があるかのように自分に接してくれる。オス猫はとにかく甘えてくれる、そしてすぐに許してくれる。

犬は優しい、いつも笑顔に見える、喜んで尻尾をふって左右に走り回って、あの頃自分はまだ子供だったから、ちゃんと守ってあげられなかった。何をやってたのか、情けない。


なぜTwitterを見るといつも不快になるのか、いつもいつも目に入る言葉が痛かった、見ていられなかった、それは今でも。だから何度もアカウントを消した、数えきれないほど、何度も何度も。

あそこにいると、すぐに怒りが出てしまう、憤り、悲しくなり、せつなくなる。

過去に大切な人を失った、遠い昔。スマホを持つようになり、夜の公園に腰かける。自動販売機で暖かい缶コーヒーを買って、寒い夜空を見上げる。

星が見えないけど、あの向こうには宇宙がある。きっと、見たこともない光が、色とりどりの光が転々としていて、紫色の銀河が広がり、その中に、生き物のような、宇宙船のような長い光が横切る。あそこに行きたいなって、思いながら昔を思い出す。

あの時の月は美しかった。凄く綺麗だった、涙で滲んでいて、より美しく見えた。もう今はそれほどの悲しみは込み上げてはこない。だだ胸がハラハラするだけ。


優しさとはそんなに恥ずかしいことか、愛を語る事の何が恥ずかしいのかな。差別的な事を言われている人を見て怒りが沸くのはおかしなことなのかな。いなくなったら、もう会えない、何処にもいない、いくら探しても何処にもいないんだよ。誰しもが必ず悲しい別れを何度も何度も経験する。


差別は差別、ヘイトはヘイト、人が深く悲しむならそれは差別なんだ。少なくとも自分は悲しい、自分がその言葉を見て憤り、悲しくなり怒りが出て、それを差別だと思うなら、それは差別なんだ。


どんなに凶悪な犯罪を犯してしまった人でも、深く悔い改めて嘆き苦しみ、床を這いつくばり泣き崩れるのなら、俺はその人と一緒に泣く、悲しみを共有する。

だから、クルド人と呼ばれる人達も、韓国人も中国人も、他外国人と呼ばれる人達も、誰も嫌わない。移民とか、難民とか、不法滞在者とか、そんなラベリングで人を見たくない。言葉が通じなくても下には見ない、時に助けてくれる頼れる誰かだと思う。


みんなそれぞれの悲しみや苦しみを抱えて生きてる。自分だけが淋しいわけじゃない、悲しいわけじゃない、それぞれには、それぞれの物語がある。この世界は1人で創る世界じゃない、みんなの愛で創る物語。みんなが主人公、みんなが主役、ヒロイン。

NPC(ノンプレイヤーキャラクター)、なんか1人もいない。だから変われるんだ、自分だからこそ何でもできる、思った通り生きられる、できないことはない。

命儚くば、天とも繋がりてこの身を世に投じる。地球と共にあり、生命と共にある、運命共同体、我ら地球のもやしっこ。


自分は誰も嫌わない、絶対に誰も。全ての人の味方でいたい、みんな大好きだから。地球が大好きなんだ、生命が、命が、、大好きなんだ。


それが自分の愛なんだ。

自分が心の底から人々に伝えたい思い、魂を込めた愛のメッセージ。この内容に、羞恥心も嘘も偽りも、何も含まれてはいない。正真正銘の素直で純粋な思い、それを表現した。








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