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自分は何かの思想主義を守ろうとしてるわけじゃない、何かに属せと言ってるわけじゃない

自分の話は、あまり人に受け入れられないけど、陰謀論の本質と神学における考え方の答えについての話をしている。

TwitterXでちょこちょこ誰かに言及していても、やはり誰も聞く人はいない。自分の言ってることの意味がそもそも解らないから、何を言ってるのか理解できないんだと思う。

それは参政党の神谷氏でも松田氏でも、日本保守党の百田氏でも、れいわ新撰組の山本氏でも、その左右の支持者も陰謀論者も政治論者も、誰にも簡単には理解ができないこと。

両翼を持つ事の重要性がしっかりと世界中の宗教、聖書や神学が基本としてある書物にも記され残されているし、その答えは既に出ているのにも関わらず誰もそれに気がつけない。

本当は「左翼でも右翼でもない」、ではなくて、左翼と右翼両方の翼を持つ事が正しい。片方の翼だけじゃない、両方の翼を放棄する事でもないし、両方の翼を中道として保つ事でもない。両方の翼を使ってうまく空に羽ばたくこと、それが全てである。

片翼だけでは空は飛べない、黒い翼だけでは地を這うだけの獣、堕天使に成り下がる、両方の翼があるから空を飛べる天使となれる。

蛇、ルシファーとは片翼を失った堕天使の事であり、地を這う獣に成り下がった道に迷いし哀れな小羊を従えるのは獣の王である黒い翼のバフォメット。

脳科学で考えれば、左脳が右半身を支配し、右脳が左半身を支配する。右脳が損傷すれば左半身が麻痺をし、左脳を損傷すれば右半身が麻痺をする。これを右翼左翼政治に例えれば、左翼が右翼を支配し、右翼が左翼を支配する。左が損傷すれば右が機能しなくなり、右が損傷すれば左が機能しなくなる、それはつまり左右共にお互いがお互いを補い合ってると言う事。

これが陰と陽の本質であり、まさに光と闇、天使と悪魔、それが善悪の知恵でありアダムとイブが陥った失楽園。松果体は概日リズムを調整させる器官でありそれは昼と夜の感覚のバランスを保つもので、心理的なものやホルモン調整にも関係する。

なぜ羞恥心を持ったのか、そしてそれが何故良くなかったのかと言えば、善悪の知恵を知れば人は必ず善悪どちらかに偏ってしまい、片翼を失ってしまう、そのせいで地を這うだけの獣に成り下がってしまうから。

善に偏り服を着ていない罪悪感を持ちはじめたのは悪魔の囁き、羞恥心への刺激があったからで、蛇と言う悪に唆された羞恥心がアダムとイブが互いへの責任の押しつけ合い、神へ対する言い訳になってしまった。

神とは愛であり、人間はその愛に対する言い訳をするようになった。こうだからこうなるのこじつけや理由付けをするようになった。

そこに絡んでくるのが蛇の囁き、悪魔の囁きとなる偏執病パラノイア。愛に言い訳や理由付けなど必要ない、蛇が植えつけた無駄な善悪の知恵によって悪に対する理由付けもするようになった。善を知るから悪を理由付ける、悪をプロパガンダする。悪を知るから善の理由付けをする、善のプロパガンダをする。善を悪用し悪を善にする。



アダムとイブ、イザナギとイザナミ、その左右の両翼が陰と陽であり、左右お互いが補い合うこと「あなたに足りない所はわたしが補い、わたしに足りない所はあなたが補う」、善(陽)、に足りない所は悪(陰)、が補い、悪に足りない所は善が補う。白があるから黒があり、黒があるから白がある、白と黒は混じらず、白は白であり黒は黒である。


自分は現在自民党岸田政権を擁護し、河野太郎氏を擁護し、バイデン民主党を擁護し、クルド人と呼ばれる人達を擁護し、LGBTやフェミニストの人達を擁護する。

それは何故か、答えは簡単で、自分は思想主義を守ろうとしてるのではなく人の心を守ろうとしてる。だからどんな人でも、どんなレッテルを貼られた人達でも酷い言葉を浴びせられてるなら数万人相手にでも立ち向かう。



何かの思想主義に属してるわけじゃない、特定の政治団体を応援などしていない。ワクチンなど接種もしていないし信じてもいない、マイナンバーなどいらない、日本人を憎んでるわけでもない、自分は日本人。しかしナショナリズムのような思想主義など元から持っていない、愛国心なんて概念も持っていない。右翼でも左翼でもないが中道でもない。自分は両方の翼を持つ、左右の翼を羽ばたかせて空へ飛び立つ。



いつもただ、がむしゃらに何かを書き綴る。いくら書いても書いても、伝えきれない。この世界はそれだけ残酷で憤る。

何を書いても胡散くさく見えるもの、どんなに真剣に、本気でそう思っていてもやはり揶揄はされると思う。心の中で皮肉られる、馬鹿にして見下す人は必ずいる。

それでも構わずに書き続ける。頭に浮かぶこと、昔から思っていたことを、ただひたすら書きなぐる。一生懸命に書く、誰に伝わらなくても、信じて書き続ける。

ずっと自分は普通とは違うと思っていた。他の人とは違う、だから自分自身が普通や当たり前に憧れていた。そうなりたかった、その中にいたかった。

だから普通を演じた、その普通の中にある安心感に酔いしれた、何かも解らない満足感があった。それでもやっぱり普通にはなりきれない、心の何処かで自分は普通じゃないと思ってしまう。

何故だろう、いつからこんな気持ちを持ったのか解らないが、人に劣る、見た目も性格も何もかも自分は普通じゃないと思ってしまう。特別じゃない、その逆で、まったく世の中に適していない部外者のような気持ちになる。ここに居てはいけない人間だと、生きているだけで恥ずかしい人間だと、そう心の底で思っていた。そんな気持ちを捨てたくて仕方なかった、だから無理に普通を演じようとしていた、普通を装った。

それが自分にとっての悪魔の囁き、パラノイアだった。お前には価値はない、生きてるだけ無意味、誰も愛してはいけない、この世に存在していてはいけない。ずっとそんな風な気持ちを持っていた。

昔は学校に行くとそんな気分にさせられた。職場でも、テレビを見ても同じ気持ちにさせられる、今ではYouTubeやTwitterXが自分をそんな気分にさせる。

自分には何の価値もない、無能で知恵がない。全てにおいて普通よりも劣る、そんな何故だか解らない自分の卑下、悪魔の囁き、パラノイアをずっと抱えていた。

自分の考え方、言ってることはおかしいんだと、そう思っていた。なぜかと言うと左右の普通や当たり前の中に属す考え方じゃないから。

テレビなどから見せられる普通や当たり前に属さないから、自分は普通じゃないと思い続けてきた。今でもそうかもしれない、だから陰謀論でも明後日の話をしている。多くの人が話すことを自分は話せない。

普通じゃないから、みんなが怒る事に同調しない。多くの意見に賛同しない。

群れない、属さない、親友などいない、友達も仲間も、何にもないし賛同者もいらない、誰も拝まないしリスペクトなどしないし憧れない。俺は1人、ずっと孤独にたった1人で生きてきた。何かも解らない混沌としたものと1人戦ってきた。


だから群れて悪態をつく者共など怖くなどない、1人で立ち向かえる。

誰かの陰謀論の承認欲求など満たさない、左右の偏った政治論になど参加しない。誰かを責めたりしない、攻撃はしない、しかし誰かを攻撃する者には強い言葉でぶつかる。解らないなら解るまで、どんなに憎まれようが関係ない、何とか解らせるためにどんな方法を使ってでも、気がつかせるための言葉を尽くす。それを拒否するか気がつけるかは人それぞれの自由。その後は俺の知ったこっちゃない。どうせそこまでやれば嫌われる、それを覚悟の上でやる。自分がどんなに嫌われて憎まれようが、その人の心が大事、気がつけ悔い改められる事の方が重要。

人によっては自分が偉そうに見えるかもしれない、何様のつもりだと思うかもしれない、従わせようとしてるように見えるかもしれない。でも自分はカルト宗教などやらないし教祖にはならない、集団も作らない、何かの思想主義など押しつけない、誰かを信じろと強要はしない。

何かの思想主義を守ろうとしてるわけじゃない、何かに属せと言ってるわけじゃない。

ただ、人の心を大事にしろと、互いに許しを持てと、対立分断する双方は、怒り憎しみ罵り合うなと、言っているだけ。




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