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散文60

声高に吠えた喜びがエンターテーメントだって言うから私の感情は今、誰かのものとなり、資本主義的なやり方の内輪ノリに内包された。ただ、私の感情が私だけのものであることなど、今まであったのだろうか?そのことに気づいていない思春期終わりの少女に、世界一わかりやすいLove Song聴かせて、わかる〜涙とか言わせて。

はっとしたあなたの感情が、詩作によるものならば、それがエンタメという名の、あるいは詩という名の賞レースで打ち勝った何か。そうでもしない限りに、人は良いものとか、面白いものが、良いとか面白いとわからない。だからあの文学賞だって、映画賞だって、あるんでしょ?いいえ、違うよ。まだ君はずっと若いからだね。

お掃除ロボットが配線に絡まるのを結局、解いたり、絡ませたりしながら、生きていくんだろうね。わかるとか、わからないとか、わかってもらえないとか、好き嫌いとか、人間と話している感じがしない労働と味のしないコンビニのおにぎり。幸福なのか、幸福ではないのか、幸福であると信じ込んでいるのか、考えるよりも前に日乗が過ぎていく。水やりしたはずの花が枯れている。その皺、取引先の女の横顔に似ている。

新宿で映画を観た帰りに、隣で涙していたカップルがいた。座席にゴミを残して帰っていって、感涙するだけの心と、公共の場を汚す覚悟が揺れていて笑った。ただ映画の後味が悪くなったのは確か。まともだね、変わってるね、いいヤツだね、普通じゃないよ、悪口。どこまで本気で言ってる?それすらもわからないようじゃ、いつまでも意味のない意味を意味として理解しない意味を理解できない。挽歌。

いつまで、死ぬことと生きることとの練習を繰り返して、生活をすることが続くのだろうか。ただ楽しい毎日はフットボールしてた頃の私として、大衆性の中で泳ぎ続けることで、ずっと楽になるね。これから。



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ほろ酔い文学

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