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障害を持つ1人として考える

こんにちは、心の迷子さん愛音です


今回は知り合いから聞いた言葉を
同じ精神障害者として考えてみました


その言葉は
【障害者には幸せになる権利も、保証もない】



そもそも権利や保証のもと、私達人間は生きてはいないと思う
それは障害があってもなくても同じでしょう
権利や保証があると、その言葉に守られ肯定されて安心感を得ることが出来ます
人とは、自分を肯定されると満足を得る
間違ってないんだ!と思うと安心感に繋がります



過去に真っ暗な部屋で息をするだけの生活をしていました
なにもしない、出来ない、
出来ることの1つにリストカットはありましたが
ほんとに何もしなかった
 


その時、幸せは逃げていったと思います
なにより私が欲しいと望まなかったから
幸せなんてすぐ私の手元からすり抜けるからいらない



でも私には気付けなかったけど【幸せ】は確かにあった


家があって、洋服があって、ご飯が食べられる、
必要な薬と病院まである、
家族はどんなに私が変化しても変わらず接してくれる、
これは他者から見たら【日常】と呼ばれるものでしょう



幸せの定義は人それぞれ、
自分のものさしで多くのものを判断するのはどうかと思う

あの人は幸せ!コイツは不幸!権利もないよ!

そんな小さな世界で生きてる人こそ【不幸】にも思える

幸せとは権利や保証から貰ったり与えられるものでもない
【生むもの、迎えに行くもの】だと常々思っています



障害者にはその生む力が低いのか?
健常者は高いのか?
障害があっても笑顔で夢へ進む人は沢山います
健常者でも人生に悲観して自殺する人は沢山います



『私には障害がないの、でもあなたは残念ね…』



障害者、健常者、

いつか特別視されない世の中を創りたい

*愛音*

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