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辻村深月「凍りのくじら」感想

たぶん、高校生の時に初めて読んだ。辻村作品はデビュー作から読んでいた。今回読むのはおそらく2回目。大筋は覚えているけど、詳細は忘れている感じだった。主人公の理帆子がどこか(高校生の時の)自分に似ていて、親しみというのか、共感というのか、そういうのを感じて大好きな本だった。中高生の頃の私は、人より勉強できたし、頭がいいことを自覚してた。勉強できて、先生にも頼りにされて、所謂優等生だった。本を読むのが大好きで、その日に買った文庫本を3冊ぐらい一気に読んでしまうこともあった。だからか、周りのことを理帆子と同じように馬鹿にして、見下してるとこがあった。同じように、本を読まない人を軽蔑してた。高校生の時に読んだ時、理帆子は私だ、と思った。この作品を読んだから、というわけではなく、私が少なからず大人になったから気付いたのだけど、その時の私は周りを馬鹿にしながらも、誰かにそばにいて欲しかったし、仲間に入れて欲しかった。優等生であることに疲れて、不良になろっかな、が家での口癖だった時もある。つまり、周りを馬鹿にしながらも、憧れてたり、羨んでたりするところがあったわけだ。そういうところも含めて、やっぱり理帆子は私に似ている、と思う。この作品が好きな理由の一つはそれだと思う。
中高生の時は、読んだ本が面白くても、本について話ができる人が周りにいなくて、共感してもらえることが少なくて、寂しい思いをしたこともあったのだけど、この本は、少し大人になってから母にも夫にも勧めて、2人とも読んでくれて、良かったって言ってくれた本だった。ここのところ、この「凍りのくじら」や理帆子のことを思い出すことが多くて、もう1回読んでみようと思った。やっぱり理帆子が私と似ているのはそうなんだけど、今回は、理帆子と理帆子の母がとても似ているんだなということに気付いたし、そこに意識がいった。もちろん理帆子は父にも似ているのだけど、なんだかそっくりな母娘なんだなと思った。
最初の方は、理帆子が自分を全然出さないのに、郁也と多恵に会ってから、どんどん自分の感情を出していく経過も素敵だと思う。特に、多恵が作ってくれたドラえもんの巾着を無くしてしまって、謝りながら泣くところ。あの感情の爆発が、好きだ。
若尾の存在で、物語は最初からずっと不穏だ。それは物語が進むにつれて、色濃くなる。でも、理帆子の感情も見えるようになって、母と父からの愛もより強く感じるようになる。郁也がピアノを弾くけれど、クレッシェンドっていう感じがする。物語の終わりに向けて、どの要素も強まって濃くなって、でも最後はハッピーエンド。私はやっぱりハッピーエンドの話が好きだ。辻村作品では「子どもたちは夜と遊ぶ」が一番好きだが、あれは私の中ではバッドエンドで、切なすぎて、もう一回読むのを躊躇するぐらいだ。それでも好きなんだけど。
良い作品は何度読んでも良いし、でも読むたびに、読む時期によって、心に残る部分、気付く部分は違うと思う。高校生だった私は、きっと完全に高校生の理帆子に感情移入して読んでいたから、今回よりもっともっと感情を揺さぶられたと思うし、泣いたと思う。今回は、さっきも書いたように親子の愛、に一番意識が向いた。理帆子はちゃんと愛されてたんだなあと思うと、安心する。自分に子供が出来たときに読んだら、また違う感想を抱くのかな。とにかく、良かった。月並みだけど、傑作というやつだと思う。ちょっと長いけど、多くの人に読んでほしいなと思う本。まとまりないけど、これで感想終わり!

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