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双極母ちゃんと子どもの冬休み。


初めまして、まこママです!
初めましてじゃない方もこんにちは!

まこママプロフィールです!
↓↓


我が家は子連れ再婚。
夫婦2人と子どもが4人、 
(4歳×小学生×小学生×中学生の全員男子)
そして義父母を含め8人家族です。




そうして再婚とともに、
わたしは一人っ子の新米ママから
中学生×小学生×小学生×4歳児(実子)の
パワフルにならざるを得ない
男の子ママに変貌しました。




現在は実家(姉妹)とは、
疎遠となっており
母とは縁を切っています。




普通の何気ない日常のブログを
書いていたのですが、
自身の「双極性障害」という障害を
最近はリアルタイム含め
経験談を主に書いています。





双極性障害になったきっかけ、
総まとめです。
↓↓


私は14歳〜33歳の現在に至るまで
双極性障害に苦しめられて生きてきました。
双極性障害と分かったのは、
26歳のときで当時は障害を受け入れられず
勝手に通院を辞めて断薬もしました。





その後、紆余曲折あり
治療を始め寛解の方向でしたが
コロナがきっかけで再発し
2度目の発症は本当に苦しいものでした。





現在は病院を最初から
通っていたところに戻し、
(市を2つまたぎ高速で1時間)
薬も変えてようやく
落ち着き始めました。





再婚での引っ越しに伴い、
紹介状で別の病院に
お世話になっていたのですが
良い先生でしたが、
結果的に合いませんでした。


そうして現在は以前の病院に戻り、
試行錯誤しながら寛解になるよう
治療に奮闘しております。


二度目の発症の
闘病生活は1年以上になりました。

その間、良くなった時もありましたが
基本的には寝たきり
家事育児もほぼできない
(どうしてもなことはして後は義父母に)
今現在もそんな感じです。

浮いたり沈んだり、
もう本当に疲れました。


そんななか、
クリスマスとお正月は頑張ろうと
奮起して子どもが喜ぶよう
病状のため凝った料理はできず
簡易ではありましたがいろいろ準備。


子どもも喜んでくれました。





冬休みだし遠出もさせたいなと、
症状が出ているのに奮起して
連れて行ったりもしたのですが
これがとてもまずかった。


ADHDの三男が言うことを聞かず
振り回されっぱなし。

四男(4歳)にずっと突っかかる。


これを見聞きして注意して
もう限界を通り越して、

『子どもなんていらない。』

と、そばにいた旦那にライン。


旦那も私が疲れ切っているのが分かり、
1人の時間をくれましたが
時すでに遅し。


帰るまでも帰ってからも
ぐったりでそのまま
鬱に突入しました。


まだまだ冬休みで、
うちの子たちはゲームばかりで
外に遊びにも行きません。


4歳の四男をゲームばかり
させておくのも気がかりです。


鬱で別室に引きこもっていましたが、
四男だけでも何とかしないとと
体調の悪いなか近場の遊び場に
連れて行ったりしましたが
かなりの体調不良なので
全然笑えない、楽しめない。

体調が悪いのでキレ気味の態度で
強引に子どもを連れて
遊びに出て行く感じでした。


四男自体はそんな母の心をよそに
楽しんでおりました。


激鬱のなかでは考えられなかったけど
少し落ち着いた今では
私がそんなでも楽しんでくれて
ありがとうと涙が出ます。



そこから激鬱はずっと続き、
冬休みが終わればまた変わるかもと
思いつつも子どもを完全に拒否して
しまうようになりました。


闘病生活で、
パニック障害、聴覚過敏
寝たきり、対人不信と
たくさんの二次障害を繰り返し
冬休みの疲れやADHDの三男の
対応から子どもの姿も声も
気持ち悪く感じて
しまうようになりました。


それでも、
母親がそんなこと思ってはいけない!と
無理矢理皆んなで映画に
行ったりしましたが
隣に子どもが座ってるだけで
ギブアップで途中退席してしまいました。


車の中や私がいるときは、
子どもらに、
静かにしてねというのが
お決まりのパターンに。


子どもの声で私が
気持ち悪くなるからです。



遠出をしてからの、
『子どもなんかいらない。』
という気持ちはずっとあって
本当に存在自体が無理レベル。


そんなことを思う自分にも
罪悪感を抱えどうにも
ならなくなってました。


酷い育児ノイローゼ
みたいなものでした。


そして別室にまたずっと
引きこもるようになり、
子どものことも何もしたくない
目にも入れたくないとなり、
じっとしていました。



とにかく冬休みが終わるまで…。



別室では相変わらず
ヘッドホンをしたり
対策をとっていました。


家事もできない。
子どものこともできない。

こんな自分に存在意義も
見つけられず何でここにいるのか?
私は一体何なのか?と
常に自分を責めていました。



その矢先、
たまたま夫が連休が取れて

「1人旅でもしてくる?」
「近場でもいいから。」
「今は家を離れるべきと思う。」

と言ってくれ、
動揺しましたが
何か変わるかもしれないなと
行くことにしました。


それを言われたのは前日。


どこに行こうか何をしようか
プチパニックです。


とりあえず自分に
お金をかけたくないから
車中泊をと考えましたが
サンシェードがないので諦めました。



行きたいところも船を使ったり、
またスタッドレスタイヤがいることから
自分の住んでいる地方の中で
行きたいところを探そうとなりました。


最初は不安でしたし
行くまで躊躇していましたが
元々1人旅は好きで、
独身時代はバイクに乗って
旅をしていたので、
今回は車でしたが地図を見ながら
その時の気持ちを思い出してきて
段々と昔のわくわくしていた気持ちを
思い出して楽しい旅をすることができました。



泊まるところはビジネスホテルで
ゆっくりしておりましたが、
すぐに躁鬱が治るわけでもなく
疲れで身体が動かなくなりました。



そのときに、
やっぱり私はもう障害者なんだと
改めて思いました。



段々疲れは蓄積しつつも
観光を楽しんで、
帰り道はへとへとに。



でも家に帰る気になれず、
もう一泊ビジネスホテルに
泊まりました。



家に帰って夫や義父に、

「どうだった?」
「気分は落ち着いた?」

と聞かれましたが、
家に帰ると沈んだままです。


家を出る時と帰った時と
全く変わらずでした。
(道中は楽しかったですが)


そしてそこからまた激鬱になり、
心療内科の先生に事情を話したところ

「入院してみる?」

と言われました。


入院というのは想定してなかったので
びっくりしましたがその手もあるのかと
夫とアリかも知れないと話しました。



続きます。


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