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キネマ備忘録

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映画を観て、広がった世界のこと
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映画『イニシェリン島の精霊』自分の人生を問われる哀しくも美しい人間の物語

中年期以降の人間ならば誰にでも思い当たるであろう「誰かとの分かれ道を感じた瞬間」の寂しさとやるせなさをこの『イニシェリン島の精霊』が恐ろしくも可視化してしまったのかもしれない。私自身は去ってしまったことも、去られてしまったこともどちらも経験がある。多くの人がそうであろう。 また同時に、この作品では「人生を豊かに生きるとはどういうことか」ということについてとても真剣に考えさせられる。価値観が多様になり様々な生き方や暮らし方が肯定されているように思えていても、実は人間の根底にあ

ティファニーで朝食を(1961)

目にも楽しい映画的な魅力が詰まった オシャレでコミカルなロマンティックコメディ “銀幕の妖精”と呼ばれた清純派のオードリー・ヘップバーンが小悪魔的なヒロインを演じたロマンティックコメディです。 原作は実際に起こった殺人事件を題材にした『冷血』('66年)など、独創的な作品で異彩を放ったアメリカの作家、トルーマン・カポーティの中編小説。映画は原作とはまったく違うようですが、映画ならではの演出が見事にハマり、“映像の力ってすごい”と思わずうならされました。 まずは映画の冒頭

車窓から覗く胸の痛み (『ドライブ・マイ・カー』考察)

 車の中から、窓の外を見る瞬間が好きだ。  晴れだろうと雨だろうと、私は守られている存在で、一歩引いた姿勢で景色を楽しむことができる。流れゆく折々の場面は、ひとの人生を体現しているようにも思えて、ほんの少し切なくなることもある。高速道路を猛スピードで駆け抜ける車、突如として広がる海の青さ、激しい雨が窓を穿つ音。  自分で運転をすることも好きだけど、誰かが運転をする車に乗ることも同じくらい好きだ。外を眺めることに集中することができる。巡りめく景色の中で、自分がこれまでどのよ

思いが麗かにそっと、流れゆく

 この世から肉体として消えた時、彼らの存在は消えるのだろうか。  いつだったか、幼い頃、親から今の悩み事は何かある?と聞かれた。私はしばし足りない頭で考えたのちに、この世から私がいなくなってしまったことを考えると怖いですと答えた。親が、目を丸くしたことを思い出す。  ひとり暗いベッドの中に潜り込んで、自分の中の深い深い心の中にどっぷり浸かる。今でも、棺桶の中に自分が入った時のことを想像してゾッとしてしまう。誰しもいつかは死ぬと分かっているのにも関わらず、恐怖が胸の中を席巻

休みの最後、クラシック

 4連休の最終日は、家で静かに映画を見たり本を読んだり時々気まぐれで簿記の勉強をしたりしていた。簿記については正直細く長く勉強しているので、もはや自分でも受かりたい気持ちがあるのか甚だ疑問だ。そもそも人は勉強するにしてもその先に何かないとやる気が上がらない生き物なのだろう(それは私だけかもしれないが)。  久しぶりにクラシック映画を見た。1927年にドイツで製作された『メトロポリス』。Amazon Primeとかでも見られなくて、仕方なしにTSUTAYAで借りた。こうした昔

隙間に挟まれた人の意識

 昔、学生時代に誰もいない道を自転車漕いで必死に進んだ覚えがある。北海道のだだっ広い道を深夜頭がふらふらになりながらただひたすら直進していったのである。途中で疲れ果てて、道路の真ん中に思わず倒れた。思いの外地面は冷たくて、自転車を漕いで火照った体がひんやりして気持ちが良かった。大の字に寝て頭上を見上げると、満天の星が広がっていた。あの時自分はいろんなことから自由だ、とぼんやり思った。 *  前からずっと気になっていたビン・リュー監督の『行き止まりの街に生まれて』を見た。キ

クレーム・ブリュレの恋人

 仕事でオンライン越しに打ち合わせをする機会があるのだが、なぜかみんなミュートかつ動画もオフにしているので一体誰が何を喋っているのかよくわからないという不可思議な時間にも最近ようやく慣れた。これが新しいビジネス様式と言われると何だかそれも違う気がする。顔の見えない相手ほど、不気味な光景ってないと思う。 *  相手が見えないことによって、膨らむ妄想も確かに存在する。なぜだかぼんやりとした輪郭だけが浮かんでいて、相手の姿を掴もうにもまるでぼやけてなかなか全体が見えてこない。何

いつから人鳥は空を飛べなくなったのか

いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。  ー『徒然草』兼好法師  私が中学生になったばかりのこと。  大人になればくだらない悩みなんて綺麗さっぱりなくて、もう少し呼吸をするにも楽な世界に生きているんだろうと漠然と思っていた。20年後はもっと立居振る舞いもそつなくこなせて、相手との間に軋轢が生まれないようにうまくやるに違いないと、そんな淡い幻想を抱いていたのだ。  それがいざ自分がその歳になると、かつての私自身の理想に指さえも届かない。それどころか、

今も、気がつけば側にいるような

 僕の伯父さんは変わっている。少し、いやだいぶ変だ。  今のこの時代、安定した職を持つ事が当たり前。貯金だってそれなりに持っているべきだということは、見通しのつかない将来を考えてみても世間一般の通説だ。決まった仕事もなく、年がら年中どこほっつき歩いているのかわからない人がいるのであれば、その人は否でも応でも世間では白い目で見られる。生きづらいことこの上ない。  そんな風潮にも関わらず、伯父さんはひたすら決まった職を持たずに、全国各地を渡鳥のように練り歩いていた。  他の

この世はかくも素晴らしく、かくも酷い

 なんとなくこの社会に身を置いていると、客観的に見た時に人は割とその人の正しい内面を知ろうともせず、世間一般のイメージばかりに囚われているような感じがする。そうした勝手な先入観や偏見によって、間違いなく生きづらいと感じてしまう人間がいる。  西川美和監督と役所広司がタッグを組んだ『すばらしき世界』。公開当初から非常に気になっていて、ようやく時間ができて劇場に足を運ぶことができた。直木賞作家・佐木隆三氏の小説『身分帳』が原案となっている。 ■ あらすじ殺人を犯し13年の刑期

現実に変わった夢の後先

 幼い頃は、宇宙飛行士になりたかった。 *  きっと誰しもなりたかった職業やこの人になりたいと憧れていた人がいたことだろう。その夢に向かって奮闘した人もいるだろうが、歳を重ねるにつれて、自分の能力と現実を思い知り、志半ばで幼い頃に夢や希望を諦めてしまった人も少なくないと思う。  先日に引き続き、古典映画を改めて鑑賞するといった活動を続けている。  今回観たのは、ウッディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ(原題:The Purple Rose of Cairo)』。ウッデ

孤独と空虚が隣り合わせ

 最近、名作といわれている作品を日がな時間がある時に鑑賞している。その中で先日観た作品が、『タクシードライバー』という映画。本作品は、映画.comの評価を見ると星が3.7となっており、ALLTIME BESTにも選ばれている。 でも、わたしはどうしてもこの作品が好きになれなかった。  単純に作品の雰囲気が嫌いなのだという感想で終わってしまうと、そこで思考停止だ。そこで、改めて自分の中でなぜ好きになれなかったのかということを問いかけてみた。  まずは、『タクシードライバー

真昼の日輪を追いかける

 最近ハマっているのは、自転車に乗ること。  住んでいる場所が田舎なこともあって、歩いて回るにはとにかく不便。そんなわけで、昨年末にtokyobikeのbisouという自転車を意を決して購入した。思った以上にお金がかかってしまった。それでも、小さな楽しみを得られたと思って満足している。運動不足解消も兼ねて、愛機に乗り周辺を駆け回ることが、近頃における週末の日課。  目的は、ランチ巡りだ。  緊急事態宣言が発令されていることもあるので、密を避けるような形でコア時間を外し、

アメリカン・ポップカルチャーに踊らされる

 昔からコカ・コーラやマクドナルドといった、いわゆるアメリカの資本主義のシンボル的なモノ達が好きだった。  青春時代(あの頃は若かった)、ポスターを集めるのにいっときハマって、アンティークショップに行っては目ぼしいものがないかどうか漁っていた。学生時代、ニューヨークにあるMOMAへ立ち寄った時、かの有名なキャンベル缶がいくつも描かれたアンディ・ウォーホルの作品を見ていたく感動した記憶がある。   感覚的には、きっと古き良きものを愛でる感覚と通ずるものがある気がする。昭和レ