私はビッチ?日本で起こったノースリーブ事件
こんにちは
今回は私がよく質問でいただく「なぜ海外に来たのか」を語っていきたいと思います。
きっかけ
私のドイツ移住は「海外に行きたかった」というよりもむしろ「日本を離れたかった」という感情から始まりました。
きっかけとなった出来事は大学生の頃、授業中に100人以上いるクラスで教授に「ノースリーブを着ているあなたはビッチだ」と言われたことでした。
ノースリーブを着ている=私はビッチ?
大学に在籍中の6月ごろ、まだ暑くもないけど寒くもない、という季節でした。
当時ジャーナリズム論という講義を受けていた時、いきなり教授に「そこの君、立ってください」と言われました。
突然の出来事に驚きながらも、指示通り大教室で一人立ちました。
教授は「この方はイスラム国に入国できません。なぜでしょう?」とクラスに問いかけるのです。
「この方はノースリーブを着ている。つまりビッチなんですね。肩を出している彼女はイスラム国ではビッチとみなされてしまい入国できません。」
100人も生徒のいる教室で立たされ、私をビッチだと言いました。
その後、私は「大教室で立たされたビッチ」として大学内でひそかに有名になりました。
当時はいじられキャラとして少し楽しんでいましたが、その一方で、内心では不快な感情が募っていました。
一週間も経てば忘れ去られるだろうと思っていましたが、意外なことに、その出来事はしばらくの間話題に上りませんでした。
ある炎天下の日、私は袖のないトップスと短パンで大学に出かけました。
その日は記録的な暑さで、そんなに軽装ではないと思っていたのですが、同じクラスやサークルの仲間たちからは驚くような反応がありました。
「ほぼ裸じゃん!」
「こんな格好で大学に来るなんて!笑」
「やっぱりあなたはビッチだったんだね〜」
私のトップスは胸元が開いておらず、お腹が露出するほどではありませんでした。それにもかかわらず、彼らは失礼な言葉を口にしました。
これらの出来事から、私は服装や外見に関する他人のジャッジに対して、ますます敏感になりました。
たかが服、されど服。
服なんかで悩む必要はない!私が好きな服を着る!他人は気にしない!
そう思えたらどんなに良かったでしょう。
悲しいことに私はそう思えるほど強くはありませんでした。
自分の着たい服を着ることによって私が常識はずれだと思われることがどうしても受け入れられなっかたのです。
自分が着たい服を着て自分の評価を下げることはしたくなかったのです。
たかが服装の問題で、周りからそこまでの批判を浴びることに、私は耐えられなかったのです。
私ではなく、環境を変える
私は周囲に合わせて自分自身を変えるのではなく、自分のありのままを受け入れてくれる環境を求めることに決めました。
移住先のドイツでは、他人がどんな服を着ているかや何をしているかについて誰も気にしません。
ここでは、誰もが自分らしく、自分のペースで生活しています。
これは5年以上前に経験した出来事です。
今日本では、個性が受け入れられ、ユニークなファッションが日本の文化の一部として認められています。
もしも今も大学に在籍していたら、このような出来事は起こらなかったかもしれませんし、海外への移住も考えていなかったでしょう。
今の幸せなドイツでの生活は、ある意味、その教授のおかげだとも思います。
そんなポジティブな考えを持って、前向きに進んでいこうと思います。
余談
私は日本語と英語のYouTubeチャンネルを持っており、この出来事について両方のチャンネルで話しています。
日本語のチャンネルでは、ある記者の目に留まり、記事がYahooニュースなどに掲載されました。
興味深いことに、日本の視聴者と海外の視聴者からのコメントはまったく異なっていました。
日本の視聴者からは、教授への批判的なコメントと同じくらい私に対する批判が寄せられました。
「生きづらそう」
「そんな些細なことを気にするの?」
「作り話じゃないの?」
そんな声が多かったです。
一方、海外の視聴者からは、教授に対する怒りのコメントや、イスラム国のルールについての説明が多く寄せられました。
「教授はUnprofessionalだ」
「このようなエピソードはもっと世間に知られるべきだ」
「イスラム国といっても、肌を見せても大丈夫な国もあるよ」
といったコメントが寄せられました。
異なる国や文化によって、コメントが異なることが興味深い経験でした。
ぜひチャンネルで詳細をご覧ください。
日本語動画⬇️
英語動画⬇️
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