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詩的履歴書  書くことは生きること


13歳で萩原朔太郎と出会ってしまい詩を書き始める。
翌年、中原中也と出会う。
この頃から詩の投稿開始。

16歳で知りあった高校文芸部の先輩に詩のノートを見せて感想をもらうようになり、その人を通じて谷川俊太郎に出会う。「本当のことを言おうか 詩人のふりはしているが わたしは詩人ではない」「黙っていた方がいいのだ もし言葉が 言葉を超えたものに 自らを捧げぬくらいなら」などの詩句を彼女から示される。
当時、隣の伊勢高にいらっしゃった詩人の渡辺正也先生にも一度だけ詩のノートを見てもらう。

18歳、大学に入学してすぐ土屋昭(寂光根隅的父)と知りあい、詩・短歌・演劇を通じてひりひりと交友する。彼から寺山修司を教えられる。また、忌野清志郎の歌詞の素晴らしさについて共鳴する。
彼のほか数名の同級生とともに詩の同人誌をつくる。
演劇部に在籍。
雑誌への投稿も継続。
皇學館大学短歌同好会の再興にかかわり、はじめて短歌をつくる。

就職後も断続的に詩を書く。
中北幸宏さんと演劇集団虚宇璃暁社で知りあう。のちに土屋昭が当演劇集団に加わる。
土屋昭と各地の演劇を観る。名古屋七ツ寺共同スタジオ、富山県利賀村、渋谷シアターコクーン、駒場アゴラ劇場、水戸芸術館。
このころからキタダヒロヒコを名乗る。

短詩型の引力に引き寄せられはじめる。俳人・山田みづえさんの結社「木語」の句会や、岡田美代子さん・内田歳也さんが三重県伊勢庁舎前の喫茶店エリトで開いていた歌会に参加。

2001年から教育文芸みえに短歌・俳句・随筆の投稿をはじめる(2012年の休刊まで毎年短歌欄に投稿。俳句はときどき。随筆は一度だけ「次左リ」を投稿。新年の投稿者交流会=歌会にも毎年出席)。短歌欄の選者だった大辻隆弘さんを知る。また、旧知の山川晃史さん(山川築さんのお父様)と短歌を通じたつながりが生まれる。

以後、大辻さんの同人誌に投稿したり、ネット上またはリアルの短歌イベント(歌会、批評会、朗読会、飲み会)に参加。今年2月には、コロナ禍以来初めての教育文芸みえOB歌会を計画中。


SNSを中心に、いまもコンスタントに作品を発信している。

詩歌オフ会しませんか?("⌒∇⌒")

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