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#発達障害
ADHDとか。〜その15 お金の話〜
先月はお金がなかった。びっくりするほどなかった。
とりあえずなんとかなった。またなんとかしてしまった(黒字倒産状態だった)。
会社勤めを辞め、フリーランスになって3年経つけど、そもそも仕事は安定しないし、ADHDゆえにお金の管理が出来ないことの方が苦労をしている。
ついでに仕事のやる気もコントロール出来ないのもまた悩みだ。
会社員の頃は給料日が毎月一回しかないことがしんどく、給料日前はお金
ADHDとか。〜その14 カムアウトする〜
先日、取引先にADHDであることをカムアウトした
去年から新しく取引を始めた会社なのだが、ここに来て仕事が一気に来てしまい、優先順位が付けられなくなってきてしまったのだ。
去年一年、仕事が切れてしまった会社がいくつかあり、その原因の一つに「慣れたと思った(思われた)頃に沢山の仕事が一気に来たり、外注パタンナーの範囲以上の仕事が増えたりして、キャパオーバーした」ことだと私は思っている(相手側から
ADHDとか。~その13私は本が読めない~
自分には色々とコンプレックスがあるのだけど、その中の一つに「本が読めない」がある。
文字が読めないという訳ではないし、読解力は…大学時代に専門の美術ではない、日本文学演習かなんかの授業での単位で10を取ったことがあるので(私が4年間唯一取った10でもある…)、たぶんそれなりにあると思う…(先生との相性が良かっただけな気もする)。
本を読むのに、集中するのにかなり苦労する。
読んでるうちに気が
ADHDとか。〜その12 女で生まれたこと〜
「女の子のクセにだらしがない」と言われたことは1度や2度ではない。
家族や親戚にも言われていたし、学校や、会社、もう誰に言われたかも忘れたくらいに言われている。
小学生の頃、忘れ物をする度にシールを貼るグラフを先生が教室の掲示板に掲示しており、それは男女で分けられていたけど、女子の中で私はぶっちぎりのトップだった。
その当時のクラスでは運良くいじめにも遭ってなかったけど、今考えると「忘れ物が
ADHDとか。〜その11 教員業のこと〜
ADHDの身であるが、なんと私は通信制高校の非常勤講師をやっている。
教えている科目は美術である。
子どもの頃から絵を描くのが好きで、ファッションデザイナーになりたかったけど、高校の時点で専門学校にそのまま行くのは、なんか違う気がして、もっと大きく美術を学びたいと思っていた。
出身の北海道では一番美術が学べるのは教育大だったので、特に教育に全く興味もなく、北海道教育大学函館校に行ってしまった
ADHDとか。その10〜友人達のこと〜
昔の私を知っている人は、私が随分と変わったと思うだろう。
実際にそう言われたこともある。
学生時代はあまり友達がおらず、私は親友が一人いれば十分だと思うタイプの人間だった。
小学校の終わりと中学時代はクラスの男の子に無視をされるいじめに遭っていて、おかげで私は男性が苦手になり、人間不信にもなった。
いじめのトラウマを引きずって、しばらくはどうしてそんな私一人、男の子から無視されるのだろうと
ADHDとか。その9〜親の話〜
ADHDが発覚して、それを受け入れられないのは本人が一番かもしれないが、親や家族も受け入れ難いことだろうと思う。
私は30歳になってADHDが発覚したが、そのことで親に対して「何故気付かなかったのか?」という恨みがなくもないし、実際それを言ったことがある。
しかし現在、この先もしかしたら親になるかもしれない自分が、親の立場になって考えてみたときに、もし幼少期や実家にいる間に発覚したときに、両親
ADHDとか。その8〜障害者手帳の取得〜
私は今障害者手帳3級を取得している。
今年初めての更新をした。
障害者手帳は、フリーランスを本格的に始めたときに、税的にも優遇されることだし、メリットも多いだろうと思い、取得に至った。
しかし、気持ちは複雑で、未だに障害者手帳を見る度に胸が締め付けられる。
頭では「わーい!税金安くなるぞー!」とドライに考えていても、自分の何が変わった訳でもないのに、ポンと国から烙印を押されてしまった気
ADHDとか。その7〜発覚してから改善されたこと〜
ADHDが発覚して、自分の中でちょっと「私障害者だし」と甘えが出てきているように感じることがしばしばあるのだけど、それでも発覚して改善されたことはたくさんある。
私自体は発覚する前がもう結構昔のことなので、失敗したことなどは忘れ、成功体験ばかり記憶している可能性があり、あとは加齢もあって昔の方が体力もあり、最近は「発覚する前の方がもっと頑張れていたんじゃないか」と思ってしまうこともある。
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ADHDとか。その5
話が前後して申し訳ないのだけど(この前後する様もADHDっぽいなぁと思ったり)、30歳になる手前で2社目の会社を辞め、私はそこから呼ばれる仕事をどんどんやるようになった。
パタンナー、デザイナー、営業、生産管理、ライター、バーテン、果てはマネージャーまでやっていた。
ADHDなのに(笑)。
それのどれも今思い返せばあまり長続きしなかった。
今なら長続きしなかった理由がわかる。
30歳にな
ADHDとか。その4
話をするのが遅くなったのだが、私は白いシャツの店レタルというブランドをやっている。
レタルは27歳のとき、最初に入社した会社にいるうちに始めた。
その会社には4年近くいたけれど、今思えば途中から飽きていたなぁと思う。
飽きやすいというのはADHDの特徴なのかもしれない。
元々独立したいと思っていたので、会社にいる間に繊維製品品質管理士の資格を取ったり、パタンナーの学校に行ったり、着物の着付
ADHDとか。その3
カウンセラーの先生が「ヒグチさんは企画する仕事は向いてますし、道具を使ったり、人を使って仕事をすることで、効率を上げることは出来ると思います。」と言ってくれたので、そこから私は自分の意識を変えるようにした。
しかし、それはそれで苦労が多かったし、今も苦労している。
もともと自己肯定度が低い人間で、それはADHDが原因の部分もあると思うけど、「他人に頼る」ことが極端に苦手だった私は人を使う、とい